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『 inizio 』

「ライアーさんッ!」

 ハッと、自分の名前を呼ばれて青年は気がついた。見上げると、黒い制服姿のウェイターが立っていた。まだあどけなさの残る、蝶ネクタイが似合う身だしなみの良い男だ。

 ボブカットのブロンドヘアーは近年では珍しくないが、左は灰色、右は翠のオッドアイは珍しいかもしれない。


 もっとも、奇異の眼差しは彼に呼ばれた青年、ライアーの方に集まるだろうが……。


 一言で表すならソファーに座る彼、ライアーは美人だ。実に美人という言葉が似合う。ヴァイオレットカラーの毛色と瞳。透き通るような白い肌を持ち、文字通り女優顔負けの美顔だけでも特徴的だが。そこのところは些細である。


 最も奇抜と言えるのは、正面から見ればまるで羽ばたく不死鳥の形にみえるヘアースタイルと、道化のイメージを掘り起こす派手なドレス。違和感なく似合うので、一見すれば人形が座っている様に見えなくもない。そんな彼と比べたら、ウェイターの方は実に平凡と言えよう。


 そんなウェイターの彼が大して気にする素振りを見せないのは、二人が親しい仲にあるからで。つまり見慣れている、ということだ。


 自分を呼んだ友にライアーは、大きな瞳をパチクリさせて尋ねた。

「え、と、どうしたのかしら? アデル」

「どうしたの、じゃあないですよライアーさん。ここは飲食店なんですから、御注文をしてくれなきゃ困ります」

 やれやれと頬を掻く彼、アデルの言葉は尤もだ。ここはミラノ中央駅近くに建つ店、名はクオーレ。イタリア中の様々な料理が、メニューが煮詰まった人気の店だ。

 レストランという名目で建つこの店だが、どちらかと言えばバール【※喫茶店】に近い。しかし食材や味は一級品で、にも拘わらず値段は極端に安い。

 店内の階段から上る二階にはインターネットやカラオケ用の個室があり、若い客にも好まれている。故に近年、一般旅行者やビジネスマンの利用も増えてきた。



 何だかんだで繁盛しているこの店だが、建てたのが莫大な資産を持つライアーとは、奇異の視線を送る客分には知る由も無かろう。


 暇な日はこうして店を訪れ、親友のアデルに会いに来る。しかし今日はいつもとライアーの様子が違っていた。普段は悠然としており、注文したエスプレッソを上品に啜る彼が、テーブルに頬杖をついて茫然としているのだ。


 意外というか、珍しく思えた。儚げな少女のような印象を受けるが、けっして隙を見せない人なのだから。

「何かあったんです? あ、そういえば最近ルーポさんいませんね。ライアーさんといつも一緒なのに……もしかして、それで考えごとをしてたとか?」

 アデルが訊ねると、ライアーは困った様にはにかむ。

「いつも一緒よ……これからも一生ね。ただ、時折こうして眠るのよあの娘。まあ、普段いてくれるのがいなくなると、寂しいって気持ちにはなるわね……ただ」


 茫然としていた訳じゃない。妙な……理由の解らない胸騒ぎがしたのだ。


「ただ?」

 眉を顰めるアデルの反復に、ライアーは何でもないと微笑んだ。

「ごめん。やっぱり単に疲れてるだけ……だからぼうっとしちゃってたのかも」

「無理しちゃだめですよライアーさん。疲れたらちゃんと休まないと」


 チラリと、ライアーは時計を見た。針は夕刻をさしている。窓から見える街並みは、緋色に染まっていた。ここから私邸に帰って寝るには、ちょうど良い時間帯なのかもしれない。


「そうね。今日はワインを一杯だけ、頂こうかしら」

 安眠剤がわりにはなるだろう。時間的にはちょっと早い気もするが、早寝するならこれも悪くはない。

「かしこまりました。今日は僕のおごりです。オススメがあるんですよ」

「いい。払うわよ」

「ダメです。たまにはおごらせて下さいよ。ライアーさんにはいつもお世話になってるんですから、今日くらいはね」

 借りは返すのが礼儀だ。そう人差し指を立てて、メトロノームみたく動かしながらアデルは諭す。ライアーにとっての報いは毎日が平和で、みんなが笑っていればそれで良く。それ以上は望まない。

 小さな願望。けれど、なかなか叶わない現実。それを幼稚と思う人間がいる限り、争いごとや衝突は、事件は絶えないのだ。



「おい! ふざけんなよテメェッ!?」

 そして今日も、自分の周りには事件が起こる。何事かと、周りの視線が集まっている。当然、ライアー達もそこへ目を向けた。

「も、申し訳ありません!」

「申し訳ないで済むかボケェ! テメェ、このスーツ。俺の彼女が誕生日にくれたもんだぞ! ああクッソ、イカスミのパスタなんて誰が注文しやがったよ、おい! 染みになんだろ、臭い残んだろがコラァ!」

「ごめんなさい。ごめんなさい!」

 喚き散らす男へ、そばかすの目立つ赤毛の少女が泣きそうな顔で何度も頭を下げていた。アデルから聞いたとこ、アルバイトの女学生らしい。まだ入ったばかりでドジをよく起こすも、めげずに根気強く頑張っているそうだ。

 状況を見ていた客から聞いてみれば、彼女は小さな段差で足を踏み外して転び、隣の席に座る男にぶちまけてしまったらしい。

「謝ってねえで責任取れよブスが! つうか責任者呼べよお前! 頭下げるだけしか脳ないのかよ、アアッ!?」

 男の暴言がエスカレートしている。ついには店を、従業員を馬鹿にし、無能扱いし始めた。白いスーツに付着した黒い汚れを証明代わりにして、周りへと見せ付ける。

 周りは嫌な顔をして黙っていた。黙々と食事を続ける者。水を飲んでから席を離れる者。店の素行より少女に対する同情と、男の怒鳴り声がうるさくて気分を害していたが、皆無関心を装う。

 確かに少女のミスが原因だが、だからといって男のやっているのはクレーマー並みにたちが悪い。しかし誰もが面倒事に首を突っ込むのはゴメンだと、矛先が自分に向かうのは嫌で傍観に徹している。



 ただ一人。ライアーを除いては……。



 立ち上がった彼は冷たい水の入った容器を片手に、男の背後へツカツカと歩み寄り肩を掴むと──


 無理矢理振り向かせ、顔面にぶっかけた。


「ブアップっ!?」


 店内が騒然とし、緊迫の空気に包まれた。


「て、テメェッ!? 何しやがる!」

 睨み付ける男の憤りを、そよ風みたく聞き流し、ライアーは容器をテーブルに置いた。

「……ただの事故なのに、スーツが汚れたことを理由に謝る少女を追い詰める」

「アアッ?」

 それも、大の大人が──と、ライアーは少女を一瞥し、男には蔑みの眼を向けた。

「小さい男。みっともないったらありゃしない」

 その科白を聞いた男の目尻が、ピクリと上がる。

「喧嘩売ってんのか……テメェはよぉ!」

 男がテーブルにあるフォークを掴んで、そのままライアーの頬を目掛けて突き立てた……かに見えた。

「お、おごぉ……ッ!?」

 唇をラッパ状に尖らせ、男は眼を白黒させていた。鳩尾にはライアーの肘が突き刺さっている。自分の有り様を目にした男は、自覚により溢れてきた痛みに悶えた。

「喧嘩を売ってるのはあなたの方でしょ。だから、私が買い取ってあげる」

 中指をクイクイと引いて挑発的な態度を見せる彼に対し、屈辱を覚えた男は顔を真っ赤にさせて、ズボンのポケットからバタフライナイフを取り出した。

「このオカマ野郎が! ぶっ殺す!」

 目が血走っている。勢いに身を任せ、今にも刺しに来そうだ。しかし対するライアーは臆する様子もなく、寧ろ獲物を狙う鷹の如き瞳をこらす。

 ナイフよりも鋭利なその眼光には、刃先が今にも折れてこぼれ落ちるのではないかと、錯覚させる威圧感があった。

「あなた……今、殺すと言ったわね?」

「だ、だったらどうした!」

「覚悟……あなたにある?」

 尻込みする男を、ライアーは睨み付ける。穏やかでありながら、どこかひんやりした声調。しかしバカをやらかした子供を窘める感じの、情のある含みが籠もっていた。

「く、くそ。なめやがって! こ、殺す。マジでやってやらぁ!」

「そうかい。ならあんた。覚悟できてんだな?」

 男の意気込みに返事をしたのは、琴の音色な声を持つライアーではなく。ズッシリと芯のある野太い男の声だった。

「へ?」

 男が間抜けな声を出した瞬間、付近の客席から立ち上がった赤い背広の男を皮切りに、所々から黒服の男達が立ち上がる。全員が銃器を片手に武装し、ナイフを持つ男へと銃口を向けた。

 『え?』と茫然自失気味に辺りを見渡す男に、赤い背広の男は言う。

「テメェよぉ……この方はなぁ。俺達荒くれ者の、イタリアの裏社会の良心と言われてる方なんだわ」

 ジッポライターでタバコを一服。横目の一瞥は、男を震え上がらせるのに十分な威圧感があった。

「分かるか兄ちゃん? 良心が無くなるってことは、歯止めがきかなくなる。俺らが暴走しちまう。限度や見境のない暴力が、手始めにあんたへと振るわれる訳だが……それを受ける覚悟できてるんだな?」

「い、いえ……その、あの……」

「あ? どうなん……」


 男が今にも決行しそうな勢いで凄む。そんななか、ライアーが赤い背広の男へと歩み寄り、彼のタバコの火を人差し指と親指で摘まんで消した。そして背広の男からそのままタバコを奪うと、自分のポーチから取り出したヘビ柄の携帯灰皿へと入れ、背広の男へと返す。

 呆然とする背広の男へ、ライアーは睨み付けて言う。

「ここ……禁煙よ」

「え……あ、その……」

「次、見かけたら……ガッレリアに吊すわよ」

 ニッコリ微笑んだライアーだが、目だけ笑ってない。どうして彼の怒りの矛先がこちらに向いているのか、そんな疑問も吹っ飛んでしまう威圧感を前にして男は、引きつった表情で後退り、慌てて頭を下げた。

 今のライアーは、この場にいる誰よりも“本気の眼”をしているからだ。病院送りや殺しこそしないが、二度と体験したくない罰を容赦なく与える。それを男達は知っているのだ。

「す、すんませんでした!」

『すんませんでしたッ!』

 彼の醸し出す無言の迫力に堪えきれなかったか、背広の男につられ、場にいる男達全員が口を揃えて頭を下げた。




 数分後。店の外にて。


「本当に、すんませんでした」

 すごすごと頭を下げ続ける男の前に立ち、ライアーはポーチを探り出す。男はライアーが何らかの暴力を振るって来るのではと、小さな悲鳴をあげて身を縮めた……が、出てきたのは予想に反する物だった。

「はい、これ」

「え?」

 手渡されたのは、紙幣。それも大金だ。五〇〇ユーロが数枚もある。働かずともひと月は食って行ける程の金額だ。

「え? な、何ですかこれ!?」

 目を丸くさせて問う男に、ライアーは穏やかな笑みを浮かべて答えた。

「クリーニング代と、慰謝料よ」

「え?」

 ライアーの意外な発言に、男は再三同じ反応を見せた。

「そのスーツ、彼女からもらった大切な物なんでしょ? 大切なのは分かるけど、それを理由に公衆で誰かを侮辱するのはやめなさい。彼女の名誉の為にもね」

 自分のしたことの情けなさを思い出したか、男はばつの悪そうな顔を俯けて再度ライアーへと謝った。謝るなら、店に謝れと言うとこだが、既に迷惑をかけたと謝罪を繰り返した後だ。

 咎める気はない。寧ろもう済んだこと……気にするよりも今日を教訓に人として成長してほしい。そうライアーは願う。

「彼女の誇りになれるよう、自分を磨きなさいな。そしたら、また店に来た時、私が一杯奢るわ」

 それじゃねと手を振るライアーに男は、何度も礼を言いながら街中へと消えて行った。


「良いんですかい? ボス。あんな奴に大金なんか渡して……」

 赤い背広の男が、ライアーの隣に立ってぽつりと漏らす。彼からしたら、胡散臭いのだろう。本当に彼女なんているのか、もしかしたら最初から店への嫌がらせが目的だったのかもしれない。

 様々な憶測、疑いが浮かぶ。だが、ライアーは真実がどっちだろうと構わない。男を信じることにしたからだ。

「人が人を信用することが出来なくなってく時代……こんな時代だからこそ。一人や二人、愚直に信じ切る馬鹿が必要なのよ」

 自分が、その選ばれた人間だと言い張るつもりはない。ただ、今まで学んできた人生の出来事が、自分をこういう人間へと形成した。

 波乱万丈の人生から生み出されるのは、極端に強いか弱い人間。だとするならば、自分は一体どちらに分類されるのだろう?

「ボス……あんたは、本当に優しい人だな」

 横で、背広の男がネクタイを締め直しながら口にした言葉に対し、ライアーは自嘲気味に笑う。それはないなと、自分が甘い人間ですらないことも含めて否定した。

「優しい人は、養父を躊躇なく殺したりはしない」

「ッ! ……ボス。それは」

 切ない表情で首を横に振り、ライアーは空を見上げた。だいぶ暗くなって来た。予定より長居してしまったようだ。

「手を出してちょうだい」

 言われるままに差し出す男の手に、ライアーは金を載せる。仲間と一緒に飲むと良い──そう何だかんだで助けてくれた彼らへの、ライアーなりの礼だった。

「じゃあ。夜遊びも程々にね」




 ひらひらと手を振って店から立ち去るライアーの背中を見て、背広の男は眼を細めた。

「ボス……前ボスが、ケインが言ってましたぜ。あんたには救われた。けど、同時に背負う必要の無いものを背負わせてしまった……と」


 それが、養父殺害とどう繋がるのかは、部下である男にすら解らない。しかし事情は知らずとも、これだけはハッキリ言えた。


「あんたは、やっぱり優しい人だ」


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