勇者、そして来訪者について
シオンは手先が器用だ。
試しに刺繍を教えてみたら、しばらくは持ちなれない針に苦戦していたようだが、じきに簡単な花くらいなら刺繍できるようになった。
面白がって今度は編み物を教えてみた。今度も四苦八苦しながら不格好な膝掛けが編めるようになった。
ユジェには彼が剣を取って戦う姿がどうしても想像がつかなかった。
器用だけどどこか不器用で、日向を好む彼が、勇者だとはとても。
「ユジェ」
呼ばれて彼女は考え事から目の前のことに意識を戻した。
シオンが編み途中の膝掛けを広げていた。様々な編みかたの練習のために編んではほどいている毛糸は毛羽立ってしまっている。
受け取ったそれをユジェは受け取ってじっくりと眺めた。
「うん、まあまあね。まだ売り物にはできないわね」
シオンがしょぼんとする。
網目をなぞって彼女は順番に指摘した。
「網目にむらがある。一定の強さで編まなきゃ。それに編みはじめが雑よ」
返した膝掛けをためつすがめつしながらシオンは唸った。
「うまくならない」
「一朝一夕で上手くなるものなら、誰も苦労しないでしょ。もう一度」
そんな様子を見ながらユジェは苦笑する。
(私はお母さんじゃないんだけど)
勇者は異世界から召喚される。この世界には縁もゆかりもないのだ。
居場所くらいは誰かがあげてもいいのでは、と思う。
「あ」
不意にシオンが声をあげた。
「何?」
「ごめん……切っちゃった」
そうっと摘まんだ指の先には毛糸の切れはし。ユジェが編んでいた方の毛糸だ。
「あんたねえ……」
ユジェはためらうことなく拳をふり下ろした。シオンの銀色の頭に直撃する。
「……ッ」
「周りはよくみなさいって言ったでしょうが」
失敗すれば鉄拳制裁。それは二人の間のルールだ。
雇い主として当然のしつけだとユジェは思う。
兄弟がいたらこんな感じかとも思ったが、こんな兄は勘弁してほしいとも思う。
「ユジェ……」
涙目のシオンが仁王立ちするユジェを見上げる。
ユジェは甘やかさない。甘やかしてどうする。
それは本人のためにならない。
涙を拭ったシオンは立ち上がった。立ち上がると、シオンの方が背が高い。
手を伸ばして毛糸の籠から新しいものを取り出すと、それをユジェに渡す。
受け取ったユジェは小さく嘆息した。
「ご飯にしようか」
あまり表情の動かないシオンが笑った。少し眩しそうに目をすがめて。
それを見るとなんだかもう怒りも萎えるユジェなのだった。
シオンがユジェの家に来て一年が過ぎた。
最初は薪割りの仕方すらも知らなかったシオンだが、今では力仕事は大体彼の仕事だ。
食事の支度をしながらユジェは助手を呼ぶ。
「シオーン、薪取って」
しばし待ったが、返答がないので不思議に思い、火を止めて彼がいるはずの表を見に行く。
果たして、彼はそこにいた。
ユジェが初めて見る険しい表情で、目の前の人物を見据えている。
その事にも驚いたが、ユジェはその目の前の人物にも驚いた。
村の者ではない。
この近辺では見かけないような派手な衣装に、腰には細身の剣。目付きはキツいが美人と呼ぶに相応しい見た目の女性だった。
思わず物陰に隠れたユジェの前で、シオンが剣呑な声を出す。
「何故今さらここに来た」
「今さら? ずっと探していたわ、私の勇者」
女性は朱金の長い髪を揺らし、肩をすくめる。その仕草さえ様になっている。
ユジェのような田舎娘とは比べようもない。
「俺は戻る気などない」
冷たくシオンが切り捨てれば、女性は眉をあげて見せた。
「存在意義を放棄するつもり? あなたは魔物と戦うために召喚された。その為だけにこの世界に存在しているの」
違う。
ユジェは声をあげようとして飲み込んだ。
シオンはシオンだ。例え勇者であってもなくても、ユジェの拾った締まらない助手だ。
刺繍が下手くそで薪割りもできなくて、それでも彼はここに存在している。
ユジェは知っている。時々彼が遠い目をすること。
この場所は、彼の本来の居場所ではない。けれど彼は決してこの世界の居場所を放棄しようとはしなかったこと。
女性が一歩距離を詰めると、シオンは眉間に皺を寄せたままそれを拒絶した。
「よるな」
「いいのかしら? 私は別に構わないわよ。あなたが戻るのなら何を傷つけても」
女性がちらりとユジェを一瞥する。目があってユジェは一瞬で覚悟を決めた。
シオンの前に出ていく。
「ユジェ」
「うちの助手に何か? まだ仕事が残っているのだけど」
シオンを背中にかばうようにしながらユジェは威嚇する。それが必要だと思ったから。
「あら。どうやって勇者をたらしこんだか知らないけど、困るのよねぇ。彼は彼一人の体ではないんですもの」
「シオンはシオンよ」
後ろではっと息を飲む音がする。
気にせずユジェは女性と睨み合う。
ふと、笑った女性がおもむろに剣を抜いた。
思わずユジェは喉をならす。
この村に暮らしていて……抜き身の剣など見たのは初めてだ。
「悪いけど急ぐのよねぇ。退いてもらえる? 勇者の前で切られたくなければ」
「エウリカ」
シオンの低い声が響く。彼はユジェの前に出た。
「彼女は関係ない。巻き込むな」
「ふーん、庇うの」
つまらなさそうに呟いた女性は剣を構えた。
その瞳が剣呑な色に沈む。
「なら尚更ねぇ。勇者の“唯一”なんてこの世界に必要ない。あなたは世界のための勇者なんだから!」
一瞬の出来事だった。動いたシオンの手の中に、どこから抜いたのかひとふりの剣が握られていた。
輝く刀身に鮮やかな紋章が浮かぶ。
ユジェの手が届く前にシオンは駆け出していた。
金色の軌跡がユジェの目を焼く。
気がついたら、シオンの剣はユジェに迫る細身の剣を弾いていた。
「くっ」
呻いた女性がとびすさる。
ユジェはただ呆然として目の前の背中を見上げた。
シオンの背中。一年も一緒にいたのに、別人のような。
「俺のことなど好きにすればいい。俺以外に手を出すな」
ひどく冷ややかな声だった。
ユジェはあっと思う。
一年かけて、ユジェはシオンと関わってきた。凍りついたような彼が、笑えるようになるまで。
それが、すべて無に返った気がした。シオンの心が凍りつく音を聞いた気がして、耳を押さえる。
「ユジェ」
呼ばれてのろのろと見上げれば、夜空の色の瞳。
「ごめん」
とん、と首もとに軽い衝撃を受けてユジェは意識を手放した。
最後にのばした手は、届くことはなかった。




