「他人の本音が筒抜けで聴こえるスキルをゴミと笑って婚約破棄した王子へ。そのスキルで国を救った私を、騎士団長が離してくれません」
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「アリシア・ヴェルネット。婚約を破棄する」
ルードヴィク王子の声が、夜会の中央に落ちた。
シャンデリアの光が、白いタイルに反射している。香水と蝋燭の匂い。遠くでバイオリンが止まった。
アリシアは王子を見上げた。微笑んだまま。
「理由をお聞かせいただけますか、殿下」
「お前のスキルだ」
王子が、嘲るように続ける。
「他人の感情が聴こえるだけのスキルで、何ができる。戦えるわけでもない。魔法が使えるわけでもない。ただ声が聴こえるだけのゴミを、婚約者にしておく理由がない」
隣に立つカロリーナ嬢が、扇で口元を隠した。
「本当に。あんなスキル、何の意味があるんですの。私には理解できませんわ」
会場のあちこちから、忍び笑いが漏れた。
アリシアの耳には、その笑いの奥にある声も全部聴こえていた。
(でも王子って普段から態度悪いよな)(アリシア嬢、二年間よく耐えたよ)(あのカロリーナって女、目が笑ってない)
民衆は正直だ、とアリシアはいつも思う。
王子の胸の奥からも、声が聴こえていた。
(せいせいする)(これで終わりだ)(やっと自由になれる)
二年間、ずっと聴こえていた。だから驚かなかった。
「そうですか」
アリシアは一度だけ頷いた。
「では殿下、最後に一つだけよろしいですか」
「なんだ」
「今夜、東の森から魔獣が来ます。三十体以上。先頭の個体が今、仲間を呼んでいます」
王子が眉を上げた。
「……は?」
「魔獣にも声があります。殺意と飢餓と、群れへの呼びかけが。今夜はそれが特別に大きい」
カロリーナが噴き出した。
「婚約破棄されて頭がおかしくなりましたの? 魔獣の声が聴こえるですって? ご自分のスキルが何か、ご存知ですか」
「声なき声、です。人も獣も、言葉にできない感情が声として聴こえます」
「それで魔獣の位置が分かると?」王子が冷たく言った。「たわごとだ。警備隊長、この女を——」
東側の壁が、轟音とともに吹き飛んだ。
悲鳴が上がった。魔獣の咆哮が夜気を震わせ、シャンデリアが揺れる。警備兵たちが剣を抜いた。カロリーナが悲鳴を上げて王子の後ろに隠れた。王子は——動けなかった。
そこへ、会場の後方から足音が響いた。
大股で、迷いなく。
騎士団長、ガレア・ヴォルフ。遠征帰りそのままの、泥と血の混じった軍服姿で、まっすぐアリシアの前に立った。
「お前が言ったのか。今夜、東から来ると」
低い声だった。責めてはいない。確認している。
「はい」
「何体だ」
「三十二体。先頭は火属性の上位個体です。今、右手から回り込もうとしています」
ガレアが振り返った。
「第三隊、右翼へ! 魔法士は火属性対策! 一般客は今すぐ北側へ!」
指示が飛んだ数秒後、右手の壁が炎で焼け焦げた。しかし騎士たちはすでに構えていた。
「次は」
「左の個体が壁を壊そうとしています。十秒以内に」
「第一隊、左壁!」
八秒後、衝撃音。壁に亀裂が入ったが、騎士たちが押さえ込んだ。
「次は」
「中央の三体は囮です。本命は天井から来ます」
「弓隊、上を向け!」
天井の一角が砕かれた。三本の矢が同時に突き刺さった。
それからは早かった。
アリシアが声を拾い、ガレアが指示を出す。敵の動きが全部筒抜けで、奇襲が一度も通らない。魔獣たちは次第に混乱し、三十分で全滅した。
死者ゼロ。
会場に静寂が戻った。
ガレアがアリシアの前に戻ってきた。息が少し乱れているが、目は落ち着いている。
「お前のスキルは何と言う」
「声なき声、です」
「ゴミだと言われてきたか」
アリシアは少し目を伏せた。
「はい。ずっと」
「俺の団に来い」
会場がざわめいた。アリシアは顔を上げた。
「あの、今まさに婚約破棄されたばかりなんですが」
「知っている」
「……知っていて、ですか」
「だから言っている」
感情のない声だった。ただ、その胸の奥からアリシアの耳にはっきりと届いた。
(やっと言えた)
アリシアは息を呑んだ。
(ずっと見ていた。このスキルが本物だと、俺だけは知っていた)
「……返事は」
「は、はい」
「よし」
ガレアが踵を返した。アリシアは慌てて後を追う。
その瞬間、カロリーナが声を上げた。
「ちょっと待ってください! さっきまでゴミスキルって言われていた人が、どうして騎士団に! おかしいじゃありませんか!」
ガレアが振り返った。
ただそれだけで、カロリーナが口を閉じた。
ガレアは静かに言った。
「そのゴミスキルで、今夜ここにいた全員の命が救われた」
誰も何も言えなかった。
王子が、初めて口を開いた。
「ま、待て。アリシア、お前——今夜のことは、確かに助かったが、だからといって——」
「殿下」
アリシアが振り返った。微笑んだまま。
「ご心配なく。殿下のお気持ちは、二年前からずっと聴こえていましたから」
王子の顔が強ばった。
「な、何が聴こえていたと言うんだ」
「さあ、何でしょう」
アリシアはそれだけ言って、前を向いた。
ガレアが先を歩いている。振り返らずに待っている。
背中を追いながら、アリシアはそっと耳を澄ませた。
(早く来い)
そういう声が聴こえた。
アリシアは少しだけ歩く速度を上げた。
後ろで、王子の声が聴こえた。
(しまった)(俺は何を)(取り返しがつかない)
関係なかった。
もうずっと遠くに来てしまったから。
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数週間後、国境での戦闘でアリシアの名が広まった。
敵軍の動きを事前に読み、一度も奇襲を許さなかった騎士団。その中心に、声なき声のスキルを持つ女がいると。
「ゴミスキルの令嬢が、国境を守っているらしい」
「ゴミスキルって、あの夜会の?」
「あの夜会で死者が出なかったのも、その人のおかげだそうだ」
「……じゃああれを捨てた王子って」
誰もその先を言わなかった。言わなくても、全員が同じ顔をしていたから。
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ある夜、遠征から戻ったアリシアの執務机に、温かい茶が置かれていた。
ガレアが、何も言わずに隣に座っている。
「……団長、いつ戻られたんですか」
「さっき」
「報告書は」
「明日でいい。今日はもう休め」
アリシアは茶を両手で包んだ。温かかった。
「疲れているか」
「少しだけ」
「顔に全部出ている」
「……そうですか」
しばらく沈黙があった。遠くで風が鳴っている。
「団長」
「なんだ」
「声、聴こえてますよ」
ガレアが固まった。
「……今、何が聴こえた」
「全部です」
ガレアは盛大に咳払いをして、視線を窓の外に向けた。耳が赤かった。
「……それは反則だ」
「最初からそうでしたけど」
「だったら最初に言え」
「言ったら逃げましたか?」
ガレアが黙った。アリシアは笑いをこらえた。
しばらくして、ガレアが静かに言った。
「逃げない」
「……知ってます」
「全部聴こえているなら、分かるだろう」
「はい」
「なら、いい」
それだけだった。
アリシアは茶を一口飲んだ。温かかった。ガレアの胸の奥から、声が聴こえていた。
(ここにいろ)(ずっと)(どこにも行くな)
アリシアは答えなかった。
ただ、もう少しだけ隣に座っていようと思った。
完




