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妹の方が愛嬌があると言われ続けたので、婚約を辞退しました

作者: 絵宮 芳緒
掲載日:2026/05/08

フィオナ・クラウディアは、昔から「よくできた子」だった。


リュミエール王国でも有数の名門であるクラウディア公爵家の長女として、礼儀作法も、社交も、勉学も、何ひとつ疎かにしなかった。


兄のレオルドは公爵家を継ぐ長男。


妹のミレイユは、誰からも愛される末娘。


だからフィオナは自然と、自分は兄を支え、妹を立てる役目なのだと思うようになっていた。


「フィオナは本当にしっかりしているわね」


「ミレイユは困った子だけれど、可愛いところがあるから」


両親に悪意はなかった。

兄も妹も、フィオナを嫌ってはいない。


むしろ大切にされていたのだと思う。

ただ、いつの頃からか、フィオナは「我慢する側」になっていた。


欲しいものがあっても、ミレイユが笑えば譲った。


疲れていても、頼まれれば引き受けた。

不満を呑み込み、微笑む。


それが長女として正しい姿なのだと、信じていた。


婚約者であるアレン・ローゼン侯爵令息に、そう言われるまでは。


「君は、少し真面目すぎる」

王宮の庭園。


茶会帰りの夕暮れの中、アレンは困ったように笑った。


「真面目、ですか」


「ああ。悪い意味じゃない。ただ……ミレイユ嬢みたいに、もっと肩の力を抜いてもいいと思う」


フィオナは小さく息を飲んだ。


まただ、と思った。

アレンは悪い人ではない。

責めるような口調でもなかった。


けれど彼は、いつも自然にミレイユと比べる。


「ミレイユ嬢は一緒にいると気が楽なんだ」


その言葉に、胸の奥が少しだけ痛んだ。

フィオナは静かに微笑む。


「ミレイユは昔から、人を笑顔にするのが上手ですから」


「君も、もっと笑えばいいのに」


――どうやって?

そう聞きたかった。


けれど、聞けなかった。

だから代わりに。


「努力いたします」

とだけ答えた。


その日から、フィオナはさらに静かになった。


明るい色のドレスを避けるようになった。

控えめに笑い、目立たぬよう振る舞った。


アレンが「落ち着いていて助かる」と言えば、そうあるべきなのだと思った。


ミレイユが「お姉様、この返礼のお手紙を考えてくださらない?」と言えば、断れなかった。


そんな妹を見て、レオルドが呆れたようにため息をつく。


「ミレイユ。またフィオナに任せたのか?」


「だって、お姉様の方が上手なんだもの」


「だからって甘えるな。あいつは嫌って言わないだけだ」


兄の言葉に、ミレイユはむっと頬を膨らませた。


「お兄様はお姉様に厳しすぎるわ」


「逆だ。甘やかされてるのはお前だろ」


母が苦笑しながら口を挟む。

「もう、その辺にしておきなさい」


父も新聞から目を上げる。

「ミレイユ、少しは自分で覚えなさい」


「はぁい」

素直な返事。


けれど翌日には、また同じことを繰り返す。


両親は言う時は言う。

それでも末っ子の甘えは、どこか許されてしまうのだ。


フィオナは責める気にはなれなかった。


ミレイユは明るくて、可愛らしくて、愛されるのが上手だった。


自分にはないものを持っている。


だからアレンがミレイユを見て笑うたび、フィオナは胸の奥をそっと押さえた。


決定的だったのは、春の夜会だった。


王宮の大広間。


花の香りと音楽に満ちたその場所で、フィオナはアレンの隣に立っていた。


銀灰色のドレスを纏い、いつものように静かに微笑む。


けれど、アレンの視線は何度も別の場所へ向いていた。


淡い桃色のドレスを着たミレイユ。

彼女は令嬢たちに囲まれ、鈴のような声で笑っている。


「やっぱり、ミレイユ嬢は華があるね」

ぽつりと落ちた言葉。


フィオナは扇を握る指に力を込めた。


「そうですね」


「君も、もう少し柔らかければ――」


その続きを、アレンは言わなかった。

けれど、十分だった。


フィオナの中で、何かが静かに切れた。


怒りではなかった。

憎しみでもない。

ただ、疲れてしまったのだ。


誰かと比べられ続けることに。

足りないと言われ続けることに。

自分ではない誰かになろうとすることに。


「アレン様」


「ん?」


「少し、お話がございます」


広間を離れ、柱廊へ出る。

夜風が、熱を持った頬を冷やした。


フィオナは静かに顔を上げる。


「私との婚約を、白紙に戻していただけませんか」


アレンが目を見開いた。


「……何を言っている?」


「婚約を辞退いたします」


「待ってくれ。急にどうしたんだ」


「急ではありません」

フィオナはゆっくり首を振る。


「ずっと考えておりました」


アレンは困惑していた。

まさか自分が婚約を辞退されるとは思っていなかったのだろう。


「僕が何かしたのか?」


その問いに、フィオナは少しだけ笑った。


「何かをされたわけではありません」


何も、してくれなかっただけだ。


けれど、それを責める気にはなれなかった。


「私は、誰かと比べられ続ける人生に疲れてしまいました」


アレンの顔が強張る。

「それは……ミレイユ嬢のことか?」


「誰のことでもあり、誰のことでもありません」

フィオナは視線を伏せた。


「私は、あなたの隣で、自分のままでいられませんでした」


「フィオナ、誤解だ。僕は君を否定したかったわけじゃない」


「わかっています」


だから苦しかった。

悪意のない言葉は、責める先がない。


「ですが、もう無理なのです」


フィオナは深く礼をした。

「今まで、ありがとうございました」


顔を上げた時、アレンは何も言えず立ち尽くしていた。


婚約辞退の話は、すぐにクラウディア公爵家へ伝わった。


父は長く黙り込み、母は青ざめた顔でフィオナを見る。

「フィオナ、本当にそれでいいの?」


「はい、お母様」


「アレン様のことを嫌いになったの?」


フィオナは少し考えた。

「いいえ」


嫌いではない。

だからこそ苦しかった。


「ただ、隣にいることがつらくなりました」


その言葉に、母は唇を噛む。


するとレオルドが、大きく息を吐いた。

「やっと言ったか」


「お兄様?」


「もっと早く言えばよかったんだ」

レオルドは苦い顔で言う。


「お前は昔から、嫌だと言わなすぎる」


その視線がミレイユへ向いた。

「お前もだ。フィオナに甘えすぎた」


「……ごめんなさい」

ミレイユはしゅんと肩を落とした。


「押しつけるつもりじゃなかったの。ただ、お姉様なら大丈夫だって思ってて……」


父も母も、何も言わなかった。

それが答えだった。


誰も、フィオナを嫌っていたわけではない。

ただ、一番大丈夫そうに見える娘に、甘えていたのだ。


「……少しだけ」

フィオナは静かに言った。


「疲れていました」


母が目を伏せる。


レオルドはそんな家族を見渡し、小さくため息をついた。

「今さら後悔しても遅いが、これからは変えろ」


その言葉に、ミレイユが何度も頷いた。


婚約辞退後、フィオナは王宮の慈善事業補佐を任されることになった。


兄の紹介で、その補佐役についたのがシリル・ヴェインだった。


ヴェイン公爵家の長男であり、王宮文官。

将来は王太子の補佐官になるだろうと言われている人物だ。


そして、レオルドの親友でもあった。


「久しぶりだね、フィオナ」


「ご無沙汰しております、シリル様」


「昔みたいにシリルでいい」

穏やかな声。


幼い頃から知っている相手だからか、不思議と肩の力が抜けた。


シリルはフィオナの顔を見て、静かに言う。


「少し、顔色が良くなった」


「そうでしょうか」


「前より息がしやすそうだ」


綺麗になった、ではなく。

息がしやすそうだと、彼は言った。


その言葉が、不思議なくらい胸に落ちた。


シリルは余計なことを聞かなかった。

婚約辞退の理由も、アレンのことも。


ただ、必要な仕事を丁寧に教えてくれる。


「ここは、相手を立てつつ断る方が角が立たない」


「なるほど……」


「あと、君は謝りすぎる」


フィオナがきょとんとすると、シリルは少しだけ笑った。


「質問は迷惑じゃない。確認してくれる方が助かる」


褒められている。

そう気づくまで、少し時間がかかった。


変化は、本当に少しずつだった。


母が持ってきた若草色の布で、新しいドレスを仕立てた。


ミレイユが「お姉様、その色すごく似合う」と笑う。


以前なら遠慮していた。

けれど今は、少し照れながら受け入れられる。


夜更けまで無理をせず、疲れた日は眠る。


好きだった蜂蜜入りのパンを選ぶ。


そんな小さなことを重ねるたび、胸の奥が少しずつ軽くなっていった。


アレンと再会したのは、初夏の夜会だった。


若草色のドレスを纏ったフィオナを見て、彼は言葉を失う。


「……綺麗になったね」


その言葉に、フィオナは静かに微笑んだ。


「ありがとうございます」


「僕は間違っていた」


アレンは苦しそうに目を伏せる。


「君は堅かったんじゃない。ずっと、僕を支えてくれていたんだ」


フィオナは黙っていた。


「もう一度、やり直せないだろうか」


かつてなら、嬉しかったのかもしれない。


けれど今は違う。


「私は、あなたに選ばれたくて変わったのではありません」


アレンの表情が揺れる。


「ようやく、自分のために息をすることを覚えただけです」


それが答えだった。


アレンはしばらく立ち尽くし、やがて小さく頭を下げる。


「……すまなかった」


フィオナも静かに礼を返した。


「大丈夫?」


隣でシリルが尋ねる。

フィオナは頷いた。


「はい」


今度こそ、本当に大丈夫だった。


シリルは小さく笑い、手を差し出す。


「一曲、踊っていただけますか」


「私でよろしければ」


「君がいい」


短い言葉が、柔らかく胸に響く。

差し出された手を取ると、シリルは静かに言った。


「無理に笑わなくていい」


フィオナは目を瞬く。


「君が笑いたい時に笑えばいい」


その言葉に、胸の奥がほどけていく。


ずっと、誰かのために笑わなければと思っていた。

けれど今は違う。


自分が笑いたい時に、笑えばいい。


「……ありがとう」


フィオナがそう言うと、シリルは穏やかに目を細めた。


音楽が流れ始める。

広間の光が、ゆっくりと揺れる。


比べられなくなったわけではない。


それでももう、自分を消す必要はない。

フィオナは、フィオナのままでいい。


そのことを、ようやく信じられるようになっていた。


後日。

クラウディア公爵家の庭園で、レオルドはシリルをじろりと睨んだ。


「お前、昔からフィオナに甘かったよな」


「否定はしない」


「少しは隠せ」


「無理だな」


涼しい顔で返され、レオルドが深いため息をつく。


「兄としては複雑なんだが」


「安心しろ。泣かせる気はない」


「お前、自分で言うのかそれ」


二人のやり取りを聞いていたフィオナは、思わず吹き出した。


その笑い声に、ミレイユが嬉しそうに目を輝かせる。


「お姉様、最近よく笑うわね」


「そうかしら」


「うん。前よりずっと素敵」


フィオナは少し照れながら、ティーカップを手に取った。


窓から差し込む初夏の光が、白いテーブルクロスを照らしている。


比べられなくなる日は、きっと来ない。

人はこれからも、誰かと誰かを比べるのだろう。


それでももう、その中で自分を消さなくていい。

フィオナは、フィオナのままでいいのだから。


隣では、シリルが穏やかな目でこちらを見ていた。

昔から変わらない眼差し。


ようやくフィオナが、それに気づけるようになっただけだ。


フィオナは静かに顔を上げる。


誰かに選ばれるためではなく、誰かに愛されるためだけでもなく。


自分の心で、自分の未来を選ぶために。


柔らかな光の中で、フィオナはもう一度、笑った。


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― 新着の感想 ―
人と比べたり比べられたりする事は、人との付き合いでは避けられない事だけど、そこで自分を抑えると周りは受け入れたと思うので、言うべき事はしっかりと言わないとね。
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