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第6話 私の嘘が、世界の真実になる



 ナラクの地に、かつてないほど清浄な朝日が差し込んでいた。

 一ヶ月前まで、ここには絶望と死の臭いしか存在しなかった。

 だが今、窓の外に広がるのは、活気に満ちた人々の声と、整然と並ぶ美しい石造りの街並みだ。


 紫の霧は、私の「嘘」通りに、特殊な魔導ろ過装置(という名の、ただの換気扇)によって制御され、今や街を彩る幻想的なカーテンとなっている。

 黒い砂は、鉄分を抽出した後の副産物として、頑丈な建築資材へと生まれ変わった。


 ……すべては、私の舌先三寸から始まった「虚構」だ。


「お嬢様。……いえ、ナラク自由領、最高総督エレグバラ閣下。お召し替えのお時間です」


 アンナが、これまでに見たこともないほど豪華な、真珠と銀糸で刺繍されたドレスを持って現れた。

 彼女の目には、もはや不安の色はない。あるのは、自慢の主君を仰ぎ見る、眩いばかりの崇拝だ。


(……ああ。……まずいですわ。取り返しがつかないところまで来てしまいました)


 私は心の中で、冷や汗を流していた。

 ただの婚約破棄への腹いせだった。

 追放先で生き残るための、その場しのぎのハッタリだった。

 なのに、どうして私は今、一国の主として戴冠式のようなものに臨もうとしているのか。


 私は、鏡の中に映る自分を見つめる。

 銀髪を高く結い上げ、威厳に満ちた表情を作った、完璧な「指導者」の姿。

 ……嘘つきの、エレグバラ。


「……アンナ。少し、一人にしてくださる?」


「はい、閣下。ギルベルト様が外でお待ちですわ。……うふふ、お幸せに」


 アンナが茶目っ気たっぷりにウインクして退室する。

 部屋に静寂が訪れた。

 私は大きく息を吐き、机の上に置かれた「ナラク憲章(案)」を指先でなぞった。


 ここには、私がこれまで吐いてきたすべての「嘘」が、さも最初から決まっていた真実であるかのように、格調高い言葉で記されている。

 毒の霧は「聖なる大気の恵み」。

 死の土地は「選ばれし者の試練の地」。

 ……そして、私の支配は「神の導きによる必然」。


 ……馬鹿げている。

 真実なんてものは、どこにもない。

 すべては私が、皆が「信じたい」と思う物語を編み上げただけなのに。


 不意に、バルコニーの扉が開き、冷涼な風と共に「彼」が現れた。


「……エレグバラ。準備はいいか。民が貴女を待っている」


 ギルベルトだ。

 漆黒の礼装に身を包んだ彼は、死神というよりは、月光から生まれた騎士のような、浮世離れした美しさを放っていた。

 彼は私の隣に歩み寄り、その瞳で、私の揺れる心を見透かすように見つめた。


「……ギルベルト様。私、怖くなってしまいましたわ」


「……貴女が? 世界を欺き、王子を銅貨十二枚で切り捨てた、あのエレグバラ様がか」


「ええ。……だって、これまでのことは、すべてデタラメなんですもの。この土地に眠る奇跡も、私の聖なる力も、全部、私が勝手に作り上げた空想。……もし、いつか皆がそのことに気づいたら? この楽園は、一瞬で砂の城のように崩れてしまうのではないかしら」


 私は初めて、彼の前で弱音を吐いた。

 嘘を吐き続けることは、孤独だ。

 誰も本当の私を見ていない。皆が見ているのは、私が演じている「理想の象徴」でしかない。


 ギルベルトは、何も言わずに私の手を取った。

 そして、その手の甲に、昨夜よりもずっと深く、確かな温度を込めた誓いのキスを落とした。


「……エレグバラ。貴女はまだ、気づいていないのか」


「……何をですの?」


「貴女が『嘘』を吐き、民がそれを『真実』だと信じた瞬間、そこには新しい『現実』が生まれたのだ。……見てみろ。あの痩せこけていた老人たちが、今では笑いながら畑を耕している。……絶望していた騎士たちが、今では誇りを持ってこの街を守っている。……それが、偽物だと誰が言える?」


 ギルベルトが、窓の外を指し示した。

 そこには、朝日に輝くナラクの街が広がっている。

 私が「嘘」で塗り固めたはずの景色は、今や何千人もの人々の「生活」という名の血肉を得て、力強く脈打っていた。


「貴女が吐いた嘘は、人々が明日を生きるための『希望』になった。……なら、それはもう嘘ではない。……世界を創り変えるための『予言』だ」


「予言……」


「そうだ。……そして、もし貴女の嘘がいつか力尽きそうになったら、その時は俺の剣が、それを真実に変えてやる。……貴女が『白』と言えば、俺が世界を白く塗り潰そう。貴女が『神』だと言えば、俺がその祭壇を築こう。……だから、貴女は貴女のままでいろ」


 ギルベルトの言葉は、あまりにも真っ直ぐで、不器用で、そして……何よりも「真実」だった。

 嘘つきの私が、最も苦手とする、一切の混じりけのない純粋な想い。


(……ああ。……本当に、この御方には敵いませんわね)


 私の胸の奥に、温かい何かが溶け出していく。

 孤独だと思っていた深淵に、いつの間にか、誰よりも信頼できる道連れがいた。


「……わかりましたわ。……ふふ、なら、覚悟してくださいませね、ギルベルト様? 私の嘘に付き合うということは、世界中を敵に回すということかもしれませんわよ?」


「……望むところだ。死神の俺には、地獄ナラクこそが最も相応しい居場所だ」


 私は彼の手を取り、力強く立ち上がった。

 迷いは、霧と共に消え去った。

 私は再び、最高に傲慢で、最高に美しい「嘘つき令嬢」の仮面を被る。


「……さあ、行きましょうか。……真実よりも刺激的で、現実よりも幸福な、『嘘の続き』を始めましょう」


 バルコニーに出ると、地響きのような歓声が巻き起こった。

 数万の民が、私の名を呼んでいる。

 「エレグバラ様!」「我らが光!」「偉大なる創世の女神!」


 私は扇を華麗に広げ、民衆に向かって最高の微笑みを振りまいた。


「……皆々様、静粛に! 本日、このナラクは、古き因習と嘘に満ちた王国から完全に決別いたしました! ここにあるのは、ただ一つの『真実』……それは、私を信じる者が、誰よりも豊かになれるという約束ですわ!」


 歓喜の嵐。

 私の言葉一つで、世界が熱狂に包まれる。

 ……ふふ。やっぱり、真実なんてものは、声の大きい方が決めるもの。

 そして、この世界で最も声が大きいのは――この私です。


 隣でギルベルトが、満足げに口角を上げたのが見えた。

 

 ……数百年後。

 歴史書には、こう記されることになるだろう。

 

 『聖女王エレグバラ。彼女の言葉はすべて奇跡を呼び、彼女が歩いた後には花が咲き乱れた。……彼女は生涯、一度たりとも偽りを口にしなかったと言われている。……彼女の瞳には、常に世界の真理が映っていたのである』


 ……ああ。

 未来の歴史家さん、そんなデタラメを書くなんて、貴方も随分な「嘘つき」ですわね。

 

 でも、いいでしょう。

 その嘘、私が今のうちに「真実」として予約しておいてあげますわ。


 私はギルベルトの手を強く握り、青く澄み渡った空に向かって、高らかに勝利を宣言した。


 嘘つき令嬢エレグバラ。

 彼女の吐いた、世界で最も美しい「嘘」の物語は、ここに伝説として完結する。


 ……いいえ。

 幸せな新生活の「嘘」は、まだ始まったばかりですわ!


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