第2話 地獄の沙汰も、私の嘘次第
馬車がガタンと大きく揺れ、私の思考を現実へと引き戻した。
窓の外を見れば、そこには「この世の終わり」を具現化したような景色が広がっている。
どんよりと立ち込める不気味な紫色の霧。
草木は一本も生えず、地面は真っ黒な砂に覆われている。
鼻を突くのは、鼻孔を刺すような強烈な硫黄の臭い――いや、これは「死の臭い」だ。
「……ひどい。お嬢様、やはりここはこの世の地獄です。王家は本気で私達を殺しに来ていますわ」
向かいの席で、唯一ついてきてくれた侍女のアンナが青い顔で震えている。
だが、私はそっと扇を開き、優雅に微笑んでみせた。
「あら、アンナ。貴女にはこれが地獄に見えるの? 私には、宝石箱の鍵を開ける直前のワクワク感しか感じられませんわ」
(嘘です。心の中では『うわぁ、マジで草一本生えてないじゃん、最悪』って思ってます。硫黄の臭いで鼻が曲がりそうですし、このままだと三日で肺が真っ黒になりそう。……でも、だからこそ「付加価値」を付ける甲斐があるというものです)
馬車が止まった。
そこは、この辺境領地「ナラク」の唯一の集落だ。
集まった領民たちは、まるで生きる屍のようだった。
痩せこけ、泥に汚れ、虚ろな瞳でこちらを見ている。
「新しい領主様か……。また死にに来たのか」
「この霧に巻かれれば、一ヶ月も持たずに寝たきりになる。女の身で、無駄なことを」
呪詛のような呟きが漏れる。
最年長らしき老人が、杖を突きながら私の前に歩み寄った。
「お引き取りくだされ、お嬢様。ここは神に見捨てられた土地。この黒い砂は作物を拒み、この紫の霧は命を吸い取る……。我らはただ、ここで静かに朽ちるのを待つだけの身ですわい」
老人の絶望。それは本物だ。
だが、私にとってはこれ以上ない「フリ」でしかない。
私は馬車から降り立ち、あえて深く、深呼吸をした。
……ゲホッ、と咽せそうになるのを執念で堪える。
そして、恍惚とした表情を作って天を仰いだ。
「……ああ、なんてこと。なんという慈悲深い香調かしら! 素晴らしいわ、この土地は!」
私の叫びに、村人たちがポカンと口を開けた。
老人が耳を疑うように聞き返す。
「す、素晴らしい……? この毒の霧がですか?」
「毒? 何を仰るの、長。……これこそが、伝説に謳われし『ヴァイオレット・オーラ』。乙女の肌を永遠に若く保つ、聖なる美容の霧ですわよ?」
「び……美容……?」
私は確信に満ちた声で続ける。
声のトーンは「秘密を打ち明ける親友」のように。
「皆さんはご存知ないのですか? 王都の貴婦人たちが、一瓶一万ゴルドもする『若返りの香油』を求めて血眼になっていることを。その主成分こそ、この霧の中に含まれる希少成分……そう、『エレグバラ・エッセンス(仮)』なのですわ!」
もちろん真っ赤な嘘だ。
エレグバラ・エッセンスなんて今この瞬間に思いついた名前だし、王都の貴婦人たちが求めているのはただの高級な薔薇の油だ。
だが、私の肌を見てごらんなさい。
私は昨日、馬車の中で死ぬ気でマッサージをし、秘蔵の化粧水(特濃)を塗りたくって、過去最高にピカピカの肌を仕上げてきたのだ。
「見てください。この霧の中に数分いただけで、私の肌がこのように発光し始めたのが分かりますか?」
夕日に照らされた私の頬が、過剰な保湿成分でテカテカと光る。
村人たちは、その「ツヤ」を神々しい何かだと勘違いし始めたようだ。
「お、お嬢様の肌が……光っている……」
「本当に、若返りの霧なのか……?」
「左様です。そして、足元のこの黒い砂。……これを『ただの砂』だと思っているなんて、なんて勿体ない。これは大地の毒ではなく、地脈から噴き出した『神のデトックス材』ですわ。これで全身をパックすれば、体内の悪い気がすべて排出され、筋肉は躍動し、男性なら……そうね、夜の営みも十代の頃のように戻るでしょう」
最後の言葉に、男たちが露骨に反応した。
生命の危機に瀕した人間は、生存本能に直結する欲求に弱い。
私は一気にたたみかける。
「ここは呪われた地などではない。神が、あまりの効能ゆえに人間から隠した『聖域』なのです。王家が私をここに送ったのも、この莫大な富を独占するため……。ですが、私は決めました。この富を、私を支えてくれる貴方たちと分かち合うことにいたします!」
「「「おおおおお……!」」」
さっきまでの死臭漂う沈黙はどこへやら。
村人たちの目に、ギラギラとした「欲望」という名の生気が戻った。
嘘が真実を上書きした瞬間だ。
そこへ、一台の豪華な馬車が近づいてくる。
扉が開くと、丸々と太った男が現れた。
王都から私を監視(あるいは嘲笑)するために追いかけてきた、悪徳商人ハンスだ。
「ヒッヒッヒ、エレグバラ様。随分と威勢の良い大ボラを吹いていらっしゃるようで。こんな場所、砂も霧もただの毒でしょうに。誰がそんな話――」
「あら、ハンスさん。お目が高いわね。……ええ、そうよ。これは『毒』。凡人が触れれば死に至る、あまりにも純度が高すぎる『神の薬』なのですもの。……ですが、貴方のような嗅覚の鋭い商人なら、既に気づいているのでしょう?」
私はハンスに歩み寄り、彼の手を握った。
そして、彼の耳元で囁く。
「この黒い砂の下には、魔法具の出力を百倍にする『魔導銀』の鉱脈が眠っている……という、国家機密の噂を」
ハンスの目が点になる。
「み、ミスリル……!? そんな、聞いたこともない!」
「当然です。王家が独占するために隠蔽していたのですから。……でも、見てください。この砂の重さを。普通の砂より、ずっと『重い』でしょう?」
私は地面の黒い砂を一掴みして、彼の手に乗せた。
実際、この砂は鉄分を多く含んでいるため重い。……ただの鉄だが。
だが、「ミスリル」という言葉を刷り込まれた彼の脳内では、その重さがそのまま価値に変換される。
「本当だ……。重い……! これ、まさか、本当に……!」
「今なら、この『開発利権』の一部をお譲りしてもよろしくてよ? もちろん、王家には内密に。……それとも、ただの砂だと思って見捨てますか?」
情報採餌理論の基本。
人は「失う恐怖」よりも「得られない恐怖」に弱い。
特に、自分だけが知った「裏情報」には、驚くほど盲目になる。
「買います! 買わせてください! 当座の運転資金として、とりあえず三万ゴルド出しましょう!」
「三万? ……ふふ。私の『嘘』を信じるための授業料としては、安すぎますわね。……でも、いいでしょう。貴方の熱意に免じて」
私はその場で、ハンスにデタラメな利権証明書を渡し、三万ゴルドもの大金をせしめた。
領民たちは、目の前で「毒の砂」が大金に変わる瞬間を目撃し、もはや私のことを女神か何かだと崇め始めている。
「さあ、皆さん! まずはこの『聖なる霧』を閉じ込めるための高級宿舎を作りましょう! そして、黒い砂から『デトックス石鹸』を作るのです! 働いた分だけ、貴方たちの生活は豊かになりますわよ!」
「「「うおおおおおお! やらせてください、エレグバラ様!」」」
さっきまで「朽ち果てるのを待つ」と言っていた老人までもが、杖を放り投げて走り出した。
アンナが私の横で呆然と立ち尽くしている。
「お嬢様……。三万ゴルドって、一国の地方予算くらいありますよ。これ、後でバレたらどうするんですか?」
「あら、アンナ。嘘を嘘のままにしたら詐欺ですけれど、それを現実に変えてしまえば、それは『予言』になりますのよ」
私は扇で口元を隠し、暗く淀んだ空を見上げた。
……実は、馬車から降りた瞬間に気づいていた。
この黒い砂に含まれる独特の結晶構造、そして霧の正体。
これは毒ではなく、高密度の魔力が大気と反応して霧散している証拠。
つまり、この土地は「呪われている」のではなく、あまりにも膨大なエネルギーが制御不能なまま漏れ出しているだけ。
私のついた「ミスリル」という嘘は、あながち遠からず――いえ、それ以上の価値が眠っている。
(さて、労働力と資金は確保しました。次は……この異常なまでの魔力濃度を感じ取って、必ず現れる『あの男』をどう料理するか、ですわね)
ふと、遠くの丘の上に人影が見えた。
黒いマントを翻し、こちらを凝視している。
隣国の「死神」と恐れられる辺境伯、ギルベルト。
彼が今抱いている感情は、おそらく「不審」と「殺意」。
それをどうやって「狂信」と「執着」に書き換えて差し上げましょうか。
「アンナ、最高のお茶の用意をして。……お客様が、今夜あたり私の首を獲りにいらっしゃるはずですから」
私は黒い砂をヒールで踏みしめ、誰よりも高く、誇り高く笑った。
ナラクの地が、私の舌先で黄金の都へと変貌を遂げる。
その第一歩は、この上なく順調に踏み出された。




