三文小説
ルナがマスクをつけ、前髪とマスクの間で大きなお目目をキョロキョロさせて陽光の中を楽しげに歩く姿を見て、ある思いがふと胸にこみ上げたヒデキは、その思いを言葉にしたいという気持ちを抑えることができなくなり、また、その思いを言葉にしてルナに贈ればきっとルナは喜んでくれるにちがいない、もしかしたらあまりの嬉しさにルナは何かご褒美をくれるかもしれないと期待する心も抑えることができなくなり、その言葉がヒデキの予想や期待に反した結果をもたらすなどとは、まったく考えず、というよりも、あまりの想像力のなさゆえ、自分の予想した通りの展開になるはずだと確信し、思いきって、「ルナって、マスクすると可愛いね」と言って微笑み、微笑みこそがこの場面で最も適した表情だ、ぼくって何て気が利くのだろうと信じて疑わずに、微笑みながらルナを見つめ続けた。
するとルナは、ヒデキの言葉を聴覚器官で、ヒデキの意味ありげな表情を視覚器官で受け止め、その聴覚情報や視覚情報を脳に送ったのであろう、その直後、大脳辺縁系の活動が活発化して大脳新皮質の前頭葉の働きでは抑えきれなくなったに相違ないと客観的にわかるほどに、それまでの穏やかであった表情を急に変え、ヒデキの誉め言葉を聞いてルナは喜んでくれる、照れながらも表情を和らげ、ヒデキへの好意を一段階上げてくれるにちがいないという、ヒデキの予想や期待に反し、その顔を和らげもせず、喜びの表情を浮かべもせず、それどころか、その目を大きく見開き、見開くやいなや、その目をみるみる三角形にして、ヒデキが予め想定した、「うふふ」という照れ笑いもせずに、いきなり、ヒデキが想像だにしなかった「きいっ」といった、一般的女性がヒステリックになったときに発する声を上げ、続けて、大脳辺縁系がルナの身体中に指令を、おそらくこれも、ヒデキが予想だにしなかった指令を前頭葉の制止もきかずに出したのであろう、「なんだとっ」という、ヒデキがぼこぼこにされる前触れとしてこれ以上になくふさわしい怒声を、多くの人が行き交う路上に響かせた。
ルナの急激な変化を目にしたヒデキは、その視覚情報や聴覚情報を瞬時に脳に送り、送るや否や、「う、うそだろ」とうろたえるとともに、ルナの表情が引き起こす次なる展開を、これまた瞬時に想像して恐怖し、それだけでなく、恐怖を抱く自分自身への哀れみや、恐怖を抱くことそのものへの不思議な悦びをも感じていたが、「ポカッ」という、自らの頭部が発した音を聴覚器官で、それと同時に激しい痛みを触覚器官で受け止めた刹那、「な、なんで?」と思いながらも、ああ、そうか、「ルナってマスクすると可愛いね」という表現では、まるでマスクをしていないときのルナは可愛くない、マスクをして顔が半分以上隠れることによって、ようやく可愛らしくなるのだ、という意味になるのだと遅まきながら気づき、そうした誤解を招かないためには、「ルナって、マスクをしていても可愛いね」と表現することで、ルナはマスクをしていてもしていなくても、そんなこととは無関係に可愛いのだ、という思いを伝えなくてはいけなかったのだとも気づき、さらには、以前にルナが「今日は可愛いね」というヒデキの言葉に激高したのも同様の理由からだ、つまり、「は」という区別・強調の副助詞を用いたがゆえに、今日だけ特別可愛い、今日以外は別に可愛くもねえよ、という意味をルナに伝えてしまったからだということや、あのときは、「今日も可愛いね」と言って、並立・付加を意味する「も」という副助詞を用いることで、昨日までと同じように今日もまた可愛いね、という意味を伝えればよかったのだということにも気づき、そうか、そうだったのか、言葉って難しいぜ、と一つ利口になったものの、後の祭りであった。




