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信じていた日常が壊れた夜、俺は彼女の『本当の顔』を知った  作者: ledled


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第一話 三年間信じ続けた優等生彼女の、たった一枚の写真

十一月の冷たい雨が窓を叩く夜だった。俺、柊木透矢は、アパートの狭い部屋で卒業研究のデータとにらめっこしていた。画面に映る数字の羅列を見つめながら、ふと時計を確認する。午後十一時を回っていた。今日も梢からの連絡はない。


水無月梢。俺の彼女だ。いや、正確には三年間付き合っている恋人、と言うべきか。出会いは大学一年の春。新入生歓迎会で偶然隣に座った彼女は、控えめな笑顔で自己紹介をした。清楚な黒髪、落ち着いた話し方、派手さはないが誠実そうな雰囲気。俺のような地方出身の奨学金学生には、彼女のような穏やかな女性が眩しく見えた。交際を申し込んだのは半年後。彼女は少し驚いた顔をした後、頬を赤らめて頷いてくれた。


それから三年。俺たちは地味だが誠実な関係を築いてきた。デートは大学近くのファミレスか、公園での散歩。俺はアルバイトと研究で忙しく、彼女も文学部での勉強やサークル活動に追われていた。それでも週に二回は会い、たわいもない話をして笑い合った。同棲はしていない。お互い一人暮らしで、それぞれの生活リズムを尊重していた。俺の部屋は大学から徒歩十五分の古いアパート。彼女の部屋は大学から反対方向の、少しだけきれいなマンション。


でも、最近様子がおかしかった。返信が遅い。会う約束をしてもドタキャンされる。理由は決まって「就活が忙しくて」「サークルの用事が」というものだった。俺は信じていた。梢は嘘をつくような女性じゃない。真面目で、誠実で、俺を裏切るはずがない。その確信が音を立てて崩れたのは、あの夜だった。


梢が俺の部屋を訪ねてきたのは、珍しいことだった。最近はこちらから誘っても断られることが多かったのに、彼女の方から「今日、少しだけ会えない?」とメッセージが来たのだ。久しぶりに会った梢は、いつもより化粧が濃い気がした。香水の匂いも、以前は使っていなかったような甘い香り。


「最近忙しそうだけど、大丈夫?」


俺が訊ねると、梢は曖昧に笑った。


「うん、ちょっとバタバタしてて。ごめんね、透矢」

「無理しないでね」

「ありがとう。透矢は優しいね」


彼女はそう言って、俺の頬に軽くキスをした。それから一時間ほど他愛もない話をして、梢は帰っていった。玄関で見送った後、ふとテーブルの上に置かれたスマートフォンに気づいた。梢のスマホだ。


「あ、忘れてる」


俺は慌てて玄関のドアを開けたが、もう梢の姿は見えなかった。仕方なく部屋に戻り、スマホをテーブルに置いた。その時だった。画面が光り、通知が表示された。俺は見るつもりはなかった。本当だ。他人のスマホを覗くなんて、信頼関係を壊す行為だと思っていた。でも、画面に映った文字が、俺の視線を釘付けにした。


『蓮より:昨日は最高だった。また今度、例のホテルで』


時間が止まった。蓮? 例のホテル? 心臓が嫌な音を立てる。これは、きっと誤解だ。サークルの先輩とか、ただの友人かもしれない。でも、次の瞬間、また通知が来た。


『蓮より:透矢には悪いけど、俺と一緒にいる時の梢、すごく可愛いよ。もう離れられないだろ?』


手が震えた。スマホを持つ手が、自分の意思とは関係なく震えている。俺は梢に電話をかけた。ワンコール、ツーコール、スリーコール。


「もしもし、透矢? どうしたの?」


彼女の声は、いつもと変わらず穏やかだった。


「あ、ああ。スマホ、うちに忘れてるよ」

「え、本当? ごめん、今から取りに行ってもいい?」

「いや、明日でいいよ。もう遅いし」

「ありがとう。じゃあ明日取りに行くね。おやすみ」


電話は切れた。俺は、震える手でスマホを握りしめた。見てはいけない。これは信頼を裏切る行為だ。でも、でも。画面を開くと、ロックはかかっていなかった。梢はいつも「透矢なら見てもいいよ」と言っていた。その言葉を信じて、俺も彼女のスマホにロックをかけるよう言ったことはなかった。


メッセージアプリを開く。『蓮』という名前のトークルームが、一番上にあった。俺は、指先でそのルームをタップした。画面に広がったのは、信じられない光景だった。


『蓮:今日のディナー、楽しかったね。梢はやっぱり特別だよ』

『梢:私も楽しかった。蓮と一緒にいると、私、特別な女性になれる気がするの』

『蓮:当たり前だろ。俺の女なんだから』

『梢:もう、そういうこと言わないで(笑) でも、嬉しい』

『蓮:次は週末。例のホテル、予約しとくから』

『梢:うん。楽しみにしてる』


スクロールすればするほど、甘いやり取りが続いていた。写真も添付されていた。高級レストランでのディナー。ブランドバッグを持って笑う梢。見たこともない高級ホテルのベッドルーム。そして、男性と寄り添う梢の写真。男性の顔は映っていなかったが、梢の表情は、俺が見たことのないほど幸せそうだった。


俺は、スマホを床に落とした。乾いた音が部屋に響く。これは現実なのか。夢なのか。三年間、信じてきた。梢は俺だけを見てくれていると。俺たちの関係は、地味だけど誠実で、確かなものだと。でも、それは全部嘘だったのか。床に落ちたスマホの画面が、また光った。


『蓮より:明日も会えるよね? 透矢とはもう別れるんだろ?』


俺の中で、何かが音を立てて崩れた。


翌日、梢はいつもと変わらない笑顔で俺の部屋を訪れた。


「おはよう、透矢。スマホ忘れちゃってごめんね」

「ああ」


俺は短く返事をして、スマホを手渡した。梢は何も気づかない様子で、スマホを受け取った。


「ありがとう。じゃあ、私これから用事があるから」

「わかった」


梢は笑顔で部屋を出て行った。俺は、その背中を無言で見送った。部屋に一人残された俺は、ベッドに倒れ込んだ。天井を見つめながら、昨夜見たメッセージの内容が頭の中をぐるぐると回る。どうすればいい。問い詰めるべきか。それとも、何も知らないふりをするべきか。


俺は親友の神宮寺拓海に電話をかけた。拓海は情報工学専攻で、俺と同じ研究室に所属している。何より、裏表のない性格で信頼できる男だった。


「もしもし、透矢? どうした、珍しいな」

「拓海、今から会えるか。相談したいことがある」

「おう、いいぞ。どこで会う?」

「いつもの喫茶店で」


一時間後、俺たちは大学近くの古い喫茶店で向かい合っていた。俺は拓海に、昨夜の出来事を全て話した。梢のスマホを見てしまったこと、そこに書かれていた内容、そして蓮という男の存在。拓海は黙って聞いていた。俺が話し終えると、彼は深くため息をついた。


「最悪だな」

「ああ」

「で、透矢はどうしたいんだ?」


拓海の問いに、俺は答えられなかった。どうしたい? 梢を問い詰めたい。でも、それで何が変わる? 彼女が泣いて謝ったら、許せるのか? いや、無理だ。裏切られた事実は消えない。


「わからない」


俺が呟くと、拓海は真剣な顔で言った。


「透矢、感情的になるな。まずは証拠を集めろ」

「証拠?」

「ああ。もし梢と別れるなら、ちゃんとした理由が必要だ。それに、その蓮って男、どんな奴かも調べた方がいい。もしかしたら、梢も騙されてる可能性だってある」


拓海の言葉に、俺は少しだけ冷静さを取り戻した。そうだ。感情的になっても仕方ない。まずは、事実を確認しないと。


「どうやって調べればいい?」

「SNSだよ。梢のアカウント、知ってるだろ?」

「ああ、でもあれは普通の投稿しかないぞ。大学の友達との写真とか、風景とか」

「裏アカがあるかもしれない。それに、その蓮って男のアカウントも探せば見つかるかもしれない」


拓海の提案に、俺は頷いた。それから二週間、俺は梢と蓮について徹底的に調べた。


まず、梢のSNSアカウント。公開されているメインアカウントには、確かに怪しいものは何もなかった。でも、拓海の助言通り、別のアカウントを探してみると、見つかった。鍵付きの裏アカウント。フォロワーは少ない。でも、そこには俺の知らない梢がいた。高級ブランドのバッグを持った写真。見たこともない高級レストランでの食事。そして、「最近、特別な人と過ごす時間が幸せ」という投稿。


次に、蓮という男を調べた。鷹司蓮。二十八歳。IT企業の若手経営者で、実家が資産家。SNSには、高級車、高級時計、海外旅行の写真が並んでいた。そして、複数の女性との写真。拓海と一緒にSNSを調べていくと、鷹司蓮が過去にも同じような手口で複数の女子大生と関係を持っていた形跡が見つかった。女性たちは皆、数ヶ月で関係を終わらせられ、その後SNSから消えていた。


「こいつ、完全に遊びだな」


拓海が吐き捨てるように言った。


「梢は、騙されてるのか?」

「いや、どうだろうな。梢も自分から乗ってる可能性もある。金目当てとか、特別扱いされたいとか」


拓海の言葉が、胸に突き刺さった。梢は、俺との地味な関係に飽きて、華やかな世界に惹かれたのか。俺は、彼女にとって「退屈な男」だったのか。その答えが出たのは、さらに一週間後だった。


梢から突然、メッセージが来た。


『透矢、今度ゆっくり話せる時間ある? 大事な話があるの』


俺は、その内容に嫌な予感がした。


『大事な話?』

『うん。これからのこと』


これからのこと。もしかして、別れを切り出されるのか。それとも。数日後、梢と会った。場所は大学近くのカフェ。梢は、いつもより少しだけ緊張した顔をしていた。


「透矢、私たち、もう三年だよね」

「ああ」

「私ね、最近考えてたんだけど」


梢は、少し間を置いてから言った。


「そろそろ、結婚とか考えてもいいんじゃないかなって」


時が止まった。結婚。梢の口から出たその言葉に、俺は言葉を失った。


「透矢は、どう思う?」


梢が不安そうに尋ねる。俺は、彼女の顔を見た。その笑顔は、いつもと変わらない。でも、俺は知っている。その笑顔の裏に、どんな嘘が隠れているのかを。この女性は、俺に結婚を持ちかけながら、別の男と関係を続けている。この女性は、俺を「退屈だけど安定した将来」の保険として見ているのか。俺の中で、何かが決壊した。


「梢」

「うん?」

「少し、考える時間をくれ」


梢は少し驚いた顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。


「そうだよね。急にごめんね。でも、前向きに考えてくれると嬉しいな」


その夜、俺は拓海に電話をかけた。


「拓海、俺、決めた」

「何を?」

「復讐する」


拓海は、少しの間黙っていたが、やがて言った。


「わかった。手伝うよ」


俺は、梢と鷹司蓮に、彼らがしたことの代償を払わせる決意をした。ただ感情的に怒鳴り散らすのではない。二人が、自分たちの行為を心から後悔するような、完璧な復讐を。


それから一ヶ月、俺は計画を練った。拓海の協力を得て、鷹司蓮のSNS、メール、さらには会社での行動記録まで調べ上げた。拓海はハッキング技術に長けていて、合法すれすれの方法で情報を集めてくれた。そして、ある決定的な証拠を見つけた。鷹司蓮は、自分の会社の経費を私的に流用していた。高級ホテル代、レストラン代、女性へのプレゼント。全て会社の金で賄われていた。


「こいつ、完全にアウトだな」


拓海が画面を見ながら呟いた。


「この証拠があれば、横領で告発できる」


俺は、復讐の計画を最終段階に進めることにした。梢には、こう伝えた。


『梢、結婚の件、前向きに考えてる。一度、ちゃんとした場所で話そう。両親も呼んで、正式にプロポーズしたい』


梢からの返信は、すぐに来た。


『本当!? 嬉しい! いつにする?』

『来週の日曜日。レストラン予約するよ』

『楽しみにしてる!』


俺は、画面を見つめながら、冷たい笑みを浮かべた。これで舞台は整った。来週の日曜日。梢と鷹司蓮は、人生最悪の日を迎えることになる。

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