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Ep.50 選ぶ未来、続く明日

二週続けて更新を休んでしまいすみません。

今話はどうしても完璧な形で書き上げたかったのですが、そのせいで完成までに時間がかかってしまいました。記念すべき50話目を飾るに相応しい1話になったと思います。よろしくお願いします。

 2027 7/18 14:04

 Under Brain運営本部 3階

 研究棟 モディファイズ作戦会議室前




 整然とした通路を、白衣を着た研究員達が行き交う。

 俺は邪魔にならないよう、壁際に寄りかかって立っていた。



(ここが、《NERVE(ナーヴ)》の拠点か……)



 自分がこの場所に足を踏み入れることを、俺自身全く予想していなかったわけではない。【Executor】としてディスオーダーの撲滅に加担する者として、この展開が待ち受けているのはむしろ自然と言えるだろう。


 まあ、ここに来た経緯は予想だにしないほど複雑になったわけだが……。




「——おや、ここにいたのか。カナタ君」




 靴音を鳴らして近づいてくるその影に、俺は振り向いた。

 ミデンは眩しい銀髪を揺らしながら、悠々と通路を闊歩している。一度は《NERVE(ナーヴ)》を裏切ったようなものだというのに、よくもまあそこまで余裕でいられるものだ。

 

 

「三日ぶりだね。まさかこんなにも早い再会になるとは」


「だな。速水さん達から何か言われたか?」


「それはまあ、予想通りこっぴどく叱られたよ。こんなデータの塊に説教して、何が楽しいんだろうね彼らは」



 悪びれもせず、ミデンは軽薄に笑って見せた。

 さすがは朔夜の姉というべきか、精神力が強靭で何よりだ。とはいえ、呑気に微笑む彼女に対して、俺も全く罪悪感がないわけではなかった。


 

「……なんか、色々悪かったな」



 というのも昨日、俺はミデンと再び連絡を取ったのだ。

 キバクラと名乗る男の助言に従って、朔夜ともう一度話し合いの場を設けたいと思った次第だったのだが、どうやらその連絡でミデンは運営に「足がついた」らしい。


 ミデンが運営から逃げ回っていた手段は知る由もないが、俺はまんまと《NERVE(ナーヴ)》の仕掛けた罠に加担してしまったというわけだ。そういう事情もあって、彼女には申し訳が立たない。



「キミが謝る必要はないよ。ボクの意思でやったことだからね」


「でも、お前の処分は……」


「ああ、ボクの処分については考え直しになったよ。キミの訴えもあってね」



 そうさらりと言ってのけ、彼女は自然な笑みを見せた。



「ありがとう。キミのおかげで命拾いさせてもらったよ」


「ん、ああ……?」

 


 なんだか気を遣われてしまったように感じたが、俺の謝罪を拒むような笑みを前にそれ以上言葉が出てこなかった。彼女はすまし顔で微笑みながら、独り言のようなトーンで言う。



 

「さて、これは独り言だけど……朔夜なら今は4階のデッキにいたような気がするな。会いに行くなら今かもしれないね」


 


 試すような目で、ミデンは俺を見た。

 返すべき言葉はもう、決まっている。



「ああ、行ってくる。ありがとう」



 俺は覚悟を決め、エレベーターへと歩み出した。すれ違いざまにミデンの口から「行ってらっしゃい」と聞こえた気がしたが、俺は振り返らなかった。






「運営本部にこんな場所が……」


 4階の大窓の外にはデッキが設けられており、雲ひとつない青空がガラス越しに果てしなく広がっていた。その端に白と紅の見慣れた後ろ姿を認めた俺は、気持ちを落ち着かせてから扉に手をかける。


 少し湿気をまとった風が、頬に吹きつけた。



「……」



 彼女は、こちらに背を向けて欄干に寄りかかっている。

 艶やかな白髪を風にさらすその後ろ姿は、俺の知るあの少女とはまるで別人に思えた。たった三日会っていなかっただけだというのに、俺はどんなふうにあいつに接すればいいかわからなくなっている。


 ただそれでも、この場から逃げるわけにはいかない。




 

「——朔夜、」


 



 呼び慣れた名が、口から滑り落ちる。

 やや遅れて、体を震わせた朔夜はこちらに振り返った。澄んだ蒼色の双眸は大きく見開かれ、真っ直ぐに俺に向けられている。



「……な、なんだ、お主か。びっくりしたぞ」


「それは悪かったな。……空でも見てたのか?」


「別に……わらわは暇してただけなのだ」



 少ししおらしく言って、朔夜はそっぽを向く。

 一度別れを決めてしまった以上、お互い気まずいのは仕方ないことだ。むず痒い気分になりながらも、俺も朔夜の隣に行って欄干に手をかける。



「どうだったんだ? ミデンとの生活は」



 何気なく、彼女に問うてみる。

 朔夜はしばし考え込んでから、口を開いた。



「……楽しかった。いろんな国に渡っていろんな景色を見て、いろんなものを食べた。それからミデンには、生き残るための術も教わったな」


「そうか。充実した旅だったんだな」


「ああ。彼奴(あやつ)はお主よりもわらわに優しいし、わらわの好きなものを好きなだけ食べさせてくれた。不自由することなんて、なにもなかった……」



 そこで朔夜は声色を一段階落とし、言葉を継いだ。



「……でも、()()()()だったのだ」



 憂うような目で、朔夜は空を見つめる。

 俺が訊ね返すよりも早く、彼女は続けた。



「ミデンはわらわに力を使うなと言いつけて、機械の化け物とも戦うことを許さなかった。Dプレイヤーを見つけても、『無視しろ』とだけわらわに言った」


「けど、それはお前を守るために……」


「わかってる——わかってるのだ。わらわだって、それくらい……。でも、それでもわらわは……」



 小さな手で欄干を握りしめ、朔夜はうつむく。



「生まれもったこの力を隠して、誰の役にも立てずに生きるのが、わらわの『正しい生き方』なのか……? ほんとうならこの力は、誰かを助けるために使うものなんじゃないのか……?」


「朔夜……」


「これじゃあわらわは、生まれてきた意味がわからない……お主が教えてくれないと、わらわは何もわからない……!」



 顔を上げた朔夜は、弱々しい目で俺を見た。

 俺に助けを乞うような、潤んだ瞳で。



「なあ、カナタ……もう一度、わらわに命令をくれ。できるならもう一度、わらわはお主とともに戦いたい。お主のそばにいないと、わらわは……」



 泣きそうな朔夜の目を見て、気づいた。


 これは——もう朔夜の意思じゃない。


 俺にすべての判断を委ねてきた朔夜は今、盲目的に俺の命令に従おうとしているだけの状態だ。俺に従うだけの理由も今の朔夜にはないし、これ以上俺に依存的になるのは避けるべきだろう。



「……なんで、そこまで俺に頼るんだ? お前に命令を下すくらいなら、ミデンでもできるだろ」



 気持ちとは裏腹に、俺は突き放すようなことを言った。本当は俺だって、朔夜の力を借りていたい。けれど——それは今の俺たちにとって最善じゃない。


 朔夜は朔夜自身の意思で、生きていくべきだ。



「でも、わらわはカナタの命令がないと……」


「俺の命令なんて、もうこれ以上聞く必要もない。これからはお前自身の意思で生きていけばいい」


「っ、なんでっ……どうしてなのだ……!」



 感情を吐き出すように、朔夜は叫ぶ。




「お主はっ……わらわの(あるじ)だろ!!」




 耳が痛くなるような言葉だ。俺に判断を委ねるとき、朔夜は決まってそう言う。だから、うんざりするほど聞いたその言葉は、俺にとっては——



「違う」



 そんな言葉で、自分の意思をはぐらかすな。

 俺に任せるなんて、軽々しく言わないでくれ。


 俺だって、本当は。

 


「俺はお前の主じゃない」



 朔夜が傷つくのが、手に取るようにわかった。

 彼女の泣きそうな顔なんて、もう見れない。俺は朔夜から目を背けるように宙空を見つめたまま、感情に流されるように言葉を継いでいった。



「お前はその言葉で、都合よく俺に判断を任せてるだけだ。そこにはお前の意思なんて存在しない。そんな曖昧な理由で俺を頼るのは……もうやめてくれ」


「カナタ……違う、わらわは……っ」


「違くないだろ。お前はこれまでずっと、盲目的に俺に従ってきた。その結果自分が傷つくことになっても、お前は俺を疑うことすらしない。その無責任な信頼が、どれだけ俺を悩ませてきたかも知らずにな」



 すすり泣くような声が聞こえた。

 俺の中の善意が悲鳴をあげる。


 しかし、俺の口は言葉を紡ぐことをやめない。今ここですべての気持ちを打ち明けなければ、俺は朔夜と正面から向き合えないから。



「悪いけど、今のお前とは一緒に戦えない。だから……今は、正直に俺に話してほしいんだ。今お前が考えてることも、本当にやりたいと思ってることも、全部、俺は知りたい。主としてじゃなく、仲間として俺はお前と対等に——」


「……るさい」


「え?」



 小声で呟く声が聞こえて、思わず振り返った。

 朔夜は涙目になりながら依然としてうつむいている。



「朔夜……?」



 不思議に思った俺は、彼女の顔を覗きこもうとする。

 その瞬間だった。


 

 

 朔夜の拳が、俺に顔面に勢いよく繰り出された。



 

(は……?)

 

 突然殴られた俺の体が一瞬、宙を舞う。

 わけもわからぬまま俺は吹き飛ばされ、背中から地面に叩きつけられた。殴り慣れていない朔夜の拳がヒットした左頬は、まだじんじんと痛んでいる。



「なん、で……殴った……?」

 

 

 俺を殴った朔夜は、まだ泣いていた。



「——うるさいうるさいうるさい!! 意思とか無責任な信頼とか、そんなの今更聞かれたところでわかるわけないだろこの馬鹿者!! わらわの頭を舐めるなぁ!!」

 

「いや、ちょっと待て、朔」


「だいたいなんだ! これまで散々わらわをこき使ってきたくせに、今さら『主じゃない』ってなんだっ!! わらわに戦うことしか求めてこなかったくせに、相棒として必要としてくれたくせに……っ!」

 


 嗚咽を漏らしながら、朔夜はまくし立てる。

 俺はその剣幕に押され、何も言えなかった。

 


「どうして今さら、自分で考えろなんて残酷なことを言うのだ! こんなのっ——どう考えても無責任だ!! わらわをここまで引っ張ってきたのはお主だろうが! 最後まで責任取らんかっ……この、痴れ者が!!」


「そもそも、あの日わらわを拾ってくれたのも、うまい飯の味を教えてくれたのも、戦う意味と生きる理由をくれたのも……! 全部全部、お主だったじゃないか!!」

 



「——そんなお主を、わらわが信じて何が悪い!!!!!」


 


 朔夜は泣きじゃくる。まるで幼い子供のように。

 彼女の涙を見たのは、それが初めてだった。



「朔夜……」


「っ……わらわは、馬鹿だ……馬鹿だから、お主に教えてもらわないと、何もわからない。生まれた意味も、『現実』での居場所も、この名前も……全部、お主が教えてくれたものだ。モーモク的だろうがなんだろうが、わらわは、お主のくれたものを大切にしたい……ただ、それだけなのだ……」



 泣き疲れたように肩で息をしながら、朔夜は声音を落としていった。風鈴の音のように微かな声で、彼女は話し続ける。



「わらわには、自分の目的なんてない。……ただ、それでも、お主の隣にいたいと思うことは——できればまた、一緒に戦いたいと思うことは……わらわの()()なんじゃないのか?」


「……そう、かもな」



 俺に頼ることを選んだのも、ある意味では朔夜のささやかな意思なのかもしれない。俺はそれを無視して、ないものねだりをしていただけなのだとしたら……あまりにも滑稽だ。


 しかし、それでも。



「本当に……それでいいのか? このまま戦い続ければ、お前はまた命の危険と隣り合わせの生活になる。それにもし《NERVE》とも協力することになったら、最終的にお前は……」


「……そんなの、どうだっていい。このまま意味もわからず生き続けるくらいなら、わらわは……お主と一緒にいたい。お主の役に立って消えるなら、わらわは……本望だ」



 流れる涙を拭いながら、朔夜は笑ってみせた。

 彼女に意思だのなんだのを問うていた自分が、次第に馬鹿馬鹿しくなっていく。朔夜は自分の意思こそ弱くとも、はじめから俺に本音で話してくれていたのだ。


 それだけで、今は十分じゃないか。



「ありがとうな。本音で話してくれて」


 

 改めて向き直り、真っ直ぐ朔夜の目を見る。

 両目を泣き腫らした朔夜に、俺は言った。



「なあ、朔夜。改めて聞いてもいいか?」


「……?」


「俺はもう一度、俺の目的のために朔夜の力を借りたい。俺には……俺の人生には、やっぱり朔夜が必要なんだ。だから、もう一度——」




 

「——俺と、手を組まないか?」


 



 差し出した手。かつて投げかけた言葉。

 無意識に昔の自分の言動をなぞってしまうのは、俺がまたここから、改めて彼女とやり直したいと思っているからだろうか。どうしたってまた交わってしまう運命を、可笑しく思うからだろうか。


 理由はどうであれ——俺はこれでいい。

 朔夜がまた、この手を取ってくれさえすれば。

 

 

「あたりまえだろ……この、馬鹿」


 

 涙目で微笑を浮かべ、朔夜は俺の手を握る。

 小さな手だが、込められた力は強く、固い。



「お主はほんとうに……わらわがいないとだめだな。仕方のない奴め……」


「お互い様だろ。甘えん坊」


「ふふっ……うるさいな、この、ばかもの……っ」



 溢れてきた涙を隠すように、朔夜は顔を伏せて俺の胸に飛び込んできた。それから堰を切ったように泣き出した彼女の頭を、俺は黙って撫で続ける。


 次第に俺の胸は、朔夜の涙で濡れていく。

 だがそれでも、はっきりとした彼女の体温は、今の俺にとってどうしようもなく温かかった。




        ◇◇◇




 「一件落着、か」

 

 小さなモニタールームにて、キバクラは煙草の煙を吐いた。

 互いの本音をぶつけ合い、和解に至った少年と少女の姿を見て彼は目を細める。その背後に立つ人の気配にも、彼は薄々勘づいていた。


 

「覗き見なんて趣味が悪いね。指揮官殿」



 壁に寄りかかるミデンは、呆れたような表情を浮かべていた。

 キバクラは煙草を左手で持つと、素知らぬ顔で言う。



「協力者の特権だ。それに、お前さんも気になってたんだろう?」


「否定はしないよ。彼らには仲良くしてもらわないと困るからね」


「んじゃあお互い様だな」


 

 手にした煙草を灰皿で揉み消し、キバクラは背もたれにゆったりと体を預けた。それから安堵したように息を吐くと、一面のモニターを見上げて呟く。



「さぁて、これで……『駒』は揃った」

 


 椅子を回転させ、彼はミデンの方へ向き直る。



「今度はお前にも、きっちり働いてもらうぞ。ミデン」



 有無を言わさぬ冷徹な目で、彼はミデンを見た。

 ミデンは無言のまま、口元に不敵な笑みを浮かべていた。



 


        ◇◇◇


 



 同時刻。

 トップランカー「多々羅(たたら)」の率いるクラン、〈々々々々(タナトス)〉のアジトにて。



「あいつら、ついに目ぇつけられちまったか〜」



 一人掛けのソファに寝そべりながら、多々羅は箱型のテレビが映し出す映像を眺めていた。そこには〈モディファイズ〉のメンバーである速水やヨモギが、ヒミヤと戦っていたカナタに加勢する様子が流れている。途中ミナモがクラゲ型の〈ノーブレイン〉を引き連れて乱入するところで、映像は途切れていた。


 

「なぁ、これからどーすんだ? 多々羅」

 


 気だるげにソファに沈む多々羅の背後、センター分けの青年が歩み寄ってくる。柔らかな茶髪を揺らす彼こそ、〈々々々々(タナトス)〉幹部の最後の一人である七々扇(ななおうぎ)であった。


 

「襲撃は中止? やめとくか?」


「ハハッ、馬鹿言うなよ。せっかくここまでのメンツかき集めたんだぜ? ここまできて引けるかって話だろ」


「じゃあそろそろ、全体に今後の方針でも伝えといた方がいいんじゃね。みんな首謀者(おまえ)の指示を待ってるぜ?」



 七々扇の言葉に多々羅は「そうだなぁ」とだけ答え、懐から取り出した銀の鋏を宙空にかざす。彼はゆっくりとその刃を開くと、その間に覗く工場の天井を見つめた。



 

「……6日後だ」


 


 独り言のように、多々羅は呟いた。



「え?」

 

「襲撃の決行は6日後——7月24日だ。参加メンバー全員に伝えとけ」


「っ、おい! 多々羅!?」


 

 ソファから飛び降り、コートをはためかせて多々羅は歩き出した。三白眼に覗く鋭い眼光は狂気的な黒い輝きを放ち、口端は不気味なほど吊り上がっている。



「こいつァ面白くなってきやがったなぁ〜」



 彼は手にした鋏を振り上げる。

 すると彼の周囲の地面に、無数の大鋏が突き刺さった。


 鋏の剣山と化したその場所で、多々羅はなおも笑っている。



「いいぜぇ……俺たちが全部切り刻んでやるよ」



 

「なぁ? ——【Stylist(スタイリスト)】」



 

 再び手を組んだ二人の執行者と、狂気に呑まれた死神。

 彼らの衝突までのカウントダウンは、始まっていた。

 



 

 

 

今話にてChapter.4は終了になります。

そこで勝手ながら、他の作者さんとの合作小説を制作するためしばらく本作の更新をお休みさせていただきます。

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