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Ep.44 欠落

 妙に早く、目が覚めてしまった。

 デジタル時計を見ると、まだアラームもなる前の6時57分。


 二度寝できるほどの余裕もないので、大人しく起きることにした。



(ねみ)ぃ……」



 寝ぼけ目を擦って、しばらく部屋を徘徊する。

 眩しい夏の朝日がカーテン越しに差し込んでいた。



「おはよう、朔——」



 そこまで言いかけて、俺は思い出した。

 パソコンの中にはもう、朔夜はいないことを。


 ただそこにあるのは、真っ暗なPCの画面。


 ミデンのもとに預けた朔夜の姿はなく、俺は何もないところに話しかけた形になっていた。形容できない虚しさに襲われ、無意識に自分を笑った。



(何やってんだ、俺……)



 朝っぱらから自分の記憶力のなさが嫌になった。

 そのままPCを通り過ぎてリビングに向かう。


 


 テレビでニュースを垂れ流しながら、食パンにかじりついた。

 うるさい話し相手がいない分、なんだか味気なく感じてしまう。


 二週間前までは、これがいつも通りだったというのに。



「ふたご座は三位か……」



 どうでもいい星座占いを流し見て、つぶやく。

 ちなみにラッキーアイテムはネックレスだった。



「いや学校に着けてけねーよ……」



 独り言で不満を漏らしながら、食べ終えた皿を洗い場に持っていく。皿を洗っていると、自分一人しかいないリビングの空気がよりいっそう空虚感を強めた。


 もともと、姉のいない間は一人暮らしのようなものだ。

 それなのに、朔夜一人がいなくなっただけでここまで……



(……早めに学校行くか)



 家にいるとどうも物悲しくなる。

 寂しさとは違う、また別の虚しさだ。


 今日は理優も、例の過眠期で学校には行けない。

 帰ったら今日も面倒を見ることになるだろう。


 今はひとまず、人と会って話がしたい、そう思った。


 


 いつもより、一本早いバスに乗った。

 

 そのおかげか車内はガラガラで、一番後ろの席に座ることができた。車内には俺の他に、数人の老人と大学生らしき男しかいない。当たりの時間帯のようだ。


 バスは海沿いを走る。

 朝日を反射した水面が、煌々と輝いて見えた。



「…………」

 


 イヤホンで適当に音楽を流して、気を紛らす。

 それでも思い出してしまったのは、昨日のことだった。



 



『本当に、これでいいのかい?』



 念を押すように、ミデンは訊ねてきた。

 約束通り朔夜を引き渡した俺は、ただ頷くだけだった。



『ああ。朔夜のこと、頼んだ』

 

『言われなくても、たしかに任されたよ。何かあったらボクに連絡してくれたまえ』



 ミデンはそう言って微笑み返す。

 その横で、朔夜が珍しく神妙な顔で俯いていた。



『あんまり、ミデンに迷惑かけんなよ?』

 

『……ふん! お主に言われんでも、わかっておるわ……』



 強がるように言う朔夜の視線がこちらに向くことは、なかった。

 彼女も彼女で、当事者として最後まで俺たちの選択に振り回されたのだ。可哀想と言う他ないかもしれないが、これが今俺たちの選ぶべき最善なのだから、仕方がない。



『今まで、付き合わせて悪かったな。朔夜』

 

『……!』


『これからは、お前の好きなように生きてくれ。俺みたいな奴の言うことに振り回される必要もない。好きな時に好きなだけ、飯が食える人生だ』


 

 隣にいたミデンが少し苦笑いする。

 それでも朔夜の顔は、最後まで晴れないままだった。



 



 正直、あんなにも早い別れが訪れるなんて想像もしていなかった。

 

 しかし、あれで良かったと思う自分もいる。

 朔夜の力を利用して成り上がろうとしていた自分への罪悪感に苛まれ続けるくらいなら、あれでキッパリと終わった方が良かったのだ。お互いの今後のためにも。



(あいつ、ちゃんと上手くやれてんのかな……)


 

 心残りがないわけではない。ミデンのもとにいる分には大丈夫だろうが、俺がいないところでやらかしていないかどうかだけが心配だった。


 これでは俺はまるで、ペットを預けた飼い主のようだ。



(まあ、ミデンとならやっていけるか)



 今はそう片付ける他なかった。

 朔夜と俺の行く道は分かれたのだ。俺が案ずるようなことは野暮でしかない。


 そんなことを考えているうちに、目的地の停留所が近づいてきた。

 停車ボタンを押して、俺はバスを降りた。


 

 

       ◇◇◇




「なぁー、坂口先生ってさぁ、柴田理恵に似てねー?」


「誰だよ坂口って。坂田先生な。で、どの辺が似てるんだ?」



 2限前の休み時間、飯野と良悟が隣の席で駄弁っていた。



「ほら、あの眼鏡とか髪型とかさぁー」


「あの眼鏡と髪型のおばさんはどこにでもいるだろ」


「でも似てるじゃん!! なあ憂雨!?」



 飯野が顔を覗き込んでくる。

 ぼーっとしていた俺は反応が遅れた。



「え? ああ、そうだな……」


「だよなー? やっぱあの人は柴田理恵なんだよ!」


「いやその理論はおかしいだろ」



 なんてことのない会話だ、くだらなすぎて逆に安心する。

 考えすぎで凝り固まっていた表情筋が、一気に解けたような気がした。考えることが少ない方が、やはり人間楽なのかもしれない。



「あ、そしたら課金灰谷(かきんばや)は要潤に似てるかも」

「「それはない」」




 それから少し時間は過ぎて、昼休み。

 隣の席の九重(ここのえ)はまた女子たちに絡まれていたので、話しかけるのはやめておいた。たまには狼谷のところに行こうかと思ったが、おもむろに良悟が近づいてきて、



「なあ憂雨、屋上に飯食いに行かね?」



 良悟からの飯の誘いは珍しかった。



「いいけど……珍しいな。なんかあったのか?」

 

「いや、快たちがサッカーやってるみたいでさ。出遅れた」



 たしかに、飯野をはじめとしたサッカー部および運動部がいない。

 


「なるほどな。それでぼっちってわけか」


「そ。天気いいし行こうぜ」


「おう」

 

 


 屋上、と言っても俺たちの屋上は正確には屋上じゃない。

 北館と南館を繋ぐ渡り三階の廊下、そこが屋上風に屋根を取っ払って開放されているだけだ。



「今日はまだ涼しいな」


「だな。これ以上暑かったら無理だわ」



 柵に寄りかかって、コンビニのおにぎりを開封する。

 夏日手前の日差しを全身に受けて、俺たちは並んで昼食をとった。



「……なあ、憂雨」


「あー?」



 早くもおにぎりが崩れ始める。


 

「お前、最近なんかあった?」

 


 良悟は何気なく、そんなことを訊いてきた。

 


「なんかって……なんだよ?」

 

「いやほら、お前この間、DJ Zain?……だかに勝っただろ?」

 

「ああ、そうだな」


「なのに昨日からずっと、湿気(しけ)た顔してんなと思ってさ」



 こういうとき、存外に良悟は鋭い。

 他人の変化にすぐ気づく性質というか、なんというか。


 かといって俺は、彼に全て打ち明けるわけにもいかないのだが。



「別に、俺だってそういう顔くらいするさ。思春期だぞ」


「それ自分で言うかぁ?」



 呆れたように良悟は笑う。



「……とにかく、俺はもうなんともねぇよ」

 

「そっか。ま、もし本当になんかあったら相談しろよ」


「おう、それは助かる」



 こういうことを冗談でなく本気で言ってくれるのが、良悟の良いところだと俺は思う。中学時代も、良悟の人柄に助けられた思い出ばかりだ。


 持つべきものは友達、という言葉もあながち間違いではない。

 


 

       ◇◇◇

 


 

 さらに時間は過ぎ去って、放課後。

 いつものバス停で降りた俺は、寄り道を決行していた。


 最寄りのコンビニに立ち寄って、弁当やカップ麺、冷凍食品などをカゴに入れていく。というのも、これから一週間ほど、理優が料理できない状態になるからだ。


 俺も自炊ができないことはないが、当然腕は理優に劣る。

 それに、毎日自炊というのも疲れるものだ。



(理優のやつ、ちゃんと飯食ったのか……?)



 理優の朝食と昼食は彼女の母が用意しているはずだからいいが、問題は彼女が起きてそれを食べているかだ。食べ忘れて夕方に腹を空かせていることもざらにある。


 またしても他人の心配をしながら、レジに向かった。

 若い店員の声に呼ばれて、奥のレジに誘導される。



「いらっしゃいませー」


「お願いしま……」



 カゴを置いて顔を上げる。

 そこでふと、声が止まってしまった。


 カウンターにいたのは、見覚えのある黒髪の少女の店員。


 

「「……あ」」



 バイト中の狼谷(かみや)と、目が合った。

 

 


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