Ep.42 強襲
昼休み、午後の授業と過ぎて、今は放課後。
帰ってきた俺の家のソファでは、理優が眠っていた。
「毎度毎度、迷惑かけて悪いわね。憂雨くん」
理優のそばに立っているのは、彼女の母親だ。
娘が倒れたということで、流石に仕事を中断して学校まで迎えにきたらしい。午後から急に雨が降り出したこともあって、倒れた理優の送迎を余儀なくされたわけだ。
とはいえ、理優を運ばれてきたのは彼女の家ではなく、俺の家である。
「私、まだやらなきゃいけない仕事が残ってるの。21時頃には戻るわ。その間、理優のことよろしく頼むわね」
忙しそうに鞄を拾い上げ、理優の母は一方的に言った。
理優の家は母子家庭だから仕方がないが、この母親は娘の「面倒事」を幼馴染の俺に任せっきりにする傾向がある。いつも仕事の忙しさを理由にするので、俺はなかなか反論できないのだが。
「……はい。わかってます」
「夕飯は、理優が何か食べたがってたら用意してあげて。何か変わったことがあったら連絡してね」
「はい。おばさんも気をつけて」
俺の返事を待たずに、スーツ姿の彼女は忙しない様子で玄関へと向かっていた。
今日もあの人は、定型文しか喋らなかった。
だが、こんなのはもはや、単なる日常の一部でしかない。
「はぁ……」
あの人が去った後、部屋でひとり溜め息をつく。
しばらくしてスマホを開くと、朔夜が心配そうにこちらを見つめていた。
『どうしたのだ? 憂鬱そうな顔をして』
「別に。ちょっと疲れただけだ」
適当に嘘をついたつもりが、半分本当だった。
このタイミングで理優がこうなってしまっては、俺としても少し心労が溜まるというものだ。ため息の一つもつきたくなる。
『……なあ、此奴はどうしてこんな時間から眠っておるのだ? 昼寝か?』
カメラ越しに理優の姿を見た朔夜が言った。
返答に迷ったが、こいつには打ち明けることに決めた。
「昼寝じゃない。理優はな……病気なんだ」
『病気……?』
「ああ。『クライネレビン症候群』って言ってな。一週間かそこらの間、昼も夜も構わず眠り続ける病気なんだ」
朔夜が驚いたように目を見開く。
クライネレビン症候群。またの名を、反復性過眠症。
100万人に1人が発症するとされる難病だ。
理優の場合、一日20時間ほど眠り続ける「過眠期」の症状が一週間から二週間程度続く。それが年に十回ほどだ。トイレや食事以外で起きることはほとんどなく、眠っている間はどれだけ揺さぶっても起きようとはしない。
主な症状としてはただ「長く眠り続ける」だけであるが、その強烈な睡魔のせいで学校はおろか日常生活すらまともに送ることはできない。タチの悪い病だ。
「命に直接関わるような病気じゃないんだけどな。普段はいつもみたいに、元気に生活できるし」
『それでも……今起こそうとしても、リユは……』
「ああ、起きない。何があってもだ」
空腹時や排泄等、生理現象の場合は別だが。
なんて、ここまで俺に知識があるのも、中学生の頃から「こうなった」ときの理優の世話を任されてきたからだ。ワーカホリックな彼女の母親に、幼馴染だし年上だからと半ば無理やり押し付けられて……
(……いや、今はそんなことで怒ってる場合じゃねぇ)
俺が怒りをぶちまけたところで、悲しむのは理優だ。
それに、今はこんなことより優先して考えるべきことがある。
棚の抽斗からボールペンとメモ用紙を取り出した。最低限書き残しておきたいことを走り書きして、一枚のメモをソファの前のローテーブルに置いておく。
「朔夜、《ENZIAN》に行くぞ」
『リユのことは置いていっていいのか?』
朔夜が不安げに理優のことを見つめる。
「ここで寝てる分には、特に問題ない。
それに、ミデンが返事を待ってるかもしれないだろ」
頭の片隅にあるそれを片付けなければ、今は気が済まなかった。
ミデンに迫られた選択の答えを考えあぐねているままでは、心が揺蕩うように落ち着かない。なるべく早く、自分の気持ちに決着をつけておきたいところだ。
『わかった。答えは決まっておるのか?』
覚悟を決めた様子の朔夜が訊ねてくる。
こいつとしては、全ては俺の選択に委ねるといったところだろう。
「……いや、まだ決まってない」
それが、今の俺の答えだった。
◇◇◇
同時刻。
多々羅率いる【々々々々】一味のアジトである、海岸沿いの廃工場にて。
「おいおい、なんだよ? ……て、敵襲かぁ?」
工場入口を見張っていたオールバックの少年、十々木は気配に勘付いて顔を上げた。向かいにある工場の屋根には、黒いドレスをはためかせる人影が見える。
「どぉしたー、十々木?」
「いや……見てよ、スス君。あいつ、確か報告にあった——」
工場の中から出てきたのは、老け顔な長髪の幹部、煤々谷。
十々木が振り返って彼に指差すと、先ほどまで見えていた人影はいなくなっていた。代わりに音もなく、彼らの前に一人の少女が着地する。
「——あたしは【白狐】のカサネ。あんたらを潰しにきたわ」
大鎌を携えたピンク髪の少女が、立ちはだかる。
十々木は冷や汗を流して後ずさるが、入れ替わるように煤々谷が前に出て、
「ほー、あんた一人でか? いい度胸してんじゃん?」
「あたしは第二の【Executor】だもの。悪を潰しに来て当然じゃない」
「やれやれ……厄介オタクもここまで極まると才能だなぁ。ええ?」
二人は真正面から睨み合う。
気圧されていた十々木に、煤々谷は小声で言った。
「十々木、俺の小隊を連れてこい。多々羅にも連絡だ」
「スス君……?」
「こいつは俺が押さえておく……だからとっとと行きやがれ、中坊」
「わ、わかった!!」
十々木は慌てて工場内へと駆け出した。
一人残った煤々谷は溜め息をつくと、両手に巨大なスパナとレンチをそれぞれ《再現》する。一見すると工具でしかないそれらを彼は構え、工業用のゴーグルを目元に下ろした。
「さぁて……来いよ、嬢ちゃん。ここを潰したいなら、まず俺からだ」
「そうね。あんたは邪魔そうだから、今ここで潰しておくわ」
カサネは大鎌を手のひらで回し、刃を煤々谷に向けた。
彼女にとって煤々谷は、倒すべき衛兵の一人に過ぎない。
擦れたヒールがコンクリートを鳴らし、両者の影が交わった。
◇◇◇
2027 7/15 17:12
カルキノス連邦領第13廃棄地区 旧一番通り
Cafe&Diner《ENZIAN》
いつになく重い足取りで店に向かい、ドアを開いた。
ドアチャイムが軽快な音色で俺たちを迎える。
店内に目を向けると、そこには——
「——やあ。お邪魔してるよ」
ベレー帽を被った銀髪碧眼の少女、ミデンがいた。
俺たちの来店を待ちかねていたとでもいうように、カウンター席で優雅にブラックコーヒーを嗜んでいる。店長たちも普通の客として扱っているあたり、彼女は自分で自分の誤解を解いたのだろう。
「……おう、待たせたな」
「ふふ、謝ることはないよ。それにしても、この店のコーヒーは絶品だね。上に許されるなら毎日でも通いたいくらいだよ」
余裕ぶって冗談も挟みながら、ミデンは笑顔を見せた。
するとやがて、俺たちの表情から何かを察したのか、
「……わかってるよ。そっちがその気なら、単刀直入にいこうか」
「ああ。そうしてくれ」
もう、俺も朔夜も覚悟はできている。
「……! あんたたち……」
「いいんです、姐さん」
どこまでか事情を知っているらしいジャンヌさんが口を挟むが、制止した。これはもはや、俺と朔夜、ミデンの三人の問題なのだ。
「出すべき答えはもうわかってる。だが、その前に——」
俺はミデンの眼を見た。
「ミデン、お前に一つ頼みがある」
「——? ボクにかい?」
コーヒーカップをおいて、ミデンは首を傾げた。
俺は頷いて、一歩だけ歩み寄る。
「——最後に一度、俺と闘ってくれ」




