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Ep.41 揺蕩う

「根岸ぃ! そっち飛んだぞ!!」


「走れ和尚(オショー)! 二塁いける!」



 クラスメイトたちの和気あいあいとした歓声が上がる。

 授業は4限目、科目は体育のソフトボール。昼休みも間近に迫っているということで、運動部を中心に試合はより一層の熱を帯びていた。



「このクソ暑い中、よくやるな……」

 


 俺は丁度いい日陰に腰を下ろし、打順が回ってくるのを待っていた。

 今日はピーカンに晴れた炎天下、いつ誰が熱中症で倒れてもおかしくないような陽気だ。体育教師はこまめに水分をとるようにとしつこく言ってくるが、こんな日に思いっきりスポーツをやらせること自体、何かのハラスメントに当たると俺は思う。

 

 タオルを頭から被り、眩しい日差しを遮る。

 思考を巡らせていたのは、昨日の出来事についてだった。




『ボクと朔夜は、《NERVE(ナーヴ)》に消されることになる』




 あれからというもの、ミデンの言葉を幾度となく反芻してきた。

 どこへ行っても何をしていても、常に頭の片隅に、彼女が提示してきたあの「選択」がちらついている。


 大きな後ろ盾を得る代わりに朔夜たちが確実に消される未来と、後ろ盾を得ることはないが、朔夜たちが逃げ切れるかもしれない未来。そんな非情すぎる二択に、俺は——。



(馬鹿げてるだろ、こんなの……)



 誰にも怒れない。誰も恨めない。

 朔夜を生み出してくれたのは《NERVE(ナーヴ)》だが、その性質ゆえに処分を下すのもまた彼らだ。強大な力と引き換えに限りのある命を与えられた存在、それが朔夜たちなのだから。


 しかし、彼らにとっては好きなタイミングで消去できるような存在だとしても、俺にとって朔夜は共に戦い続けることを誓った唯一無二の相棒だ。彼女にそんな運命を背負わせたくない。



(そうはいっても、俺は——)



 俺は所詮、この理不尽を嘆くことしかできないただのいちプレイヤー。

 すべては、彼らの掌の上で起こっていることに過ぎないのか。



「彼方君! 次、行けるかい?」



 名前を呼ばれて、慌てて顔を上げた。日陰にいた俺に話しかけてきたのは、ひょろっとした真面目そうな顔の男子だった。


 彼の名前は白河(しらかわ)天治(てんじ)。あだ名は「院政」。

 俺たちのクラスの学級委員……なんて、今は別にそんなことはどうでもいい。



「ん、悪い。ぼーっとしてた」


「大丈夫かい? 具合が悪いなら休んでいても……」

 

「平気だよ。それよりバット貸してくれ」

 

「あ、ああ……頼んだよ!」



 いつまでも、ウジウジ悩んでいたくない。

 考えていても鬱憤がガスのように溜まっていくだけだ。



「おおっ! 憂雨、お前打てんのかー?」


「うるせー。サザンビーチまでかっ飛ばしてやるよ」



 ボール出し役の良悟が煽ってくるが、軽くあしらった。

 バットを構え、良悟に一瞬目配せをする。


 ランナーは二塁。ここで俺が打つ。



(……朔夜(あいつ)は、そう簡単に消させない)

 


 投げ入れられたボールが、宙に浮かぶ。



(消させて、たまるか……!!)



 今はただ、この鬱憤をぶち壊すように。

 思い切りよく、バットを振った。


 


「————っ!!」

 


 

 腕まで伝わる、確かな手応え。

 打球が空高く舞い上がる。



「う、打ったぞ!!」


「根岸ぃ! 早く取り行けぇ!!」



 俺の鬱憤を乗せた一打。

 バットを捨てて盗塁する。歓声が心地よかった。


 試合結果は、8−6で俺たちのチームの勝利だった。

 俺の鬱憤が完全に晴れることは、なかった。


 


       ◇◇◇




「さぁ〜て、飯だ飯だ!」 


「腹減ったぁ〜!!」

 


 汗をかいたのでトイレで着替えを済ませ、俺と良悟、飯野は遅れて教室に戻ってきた。購買に寄ってパンも買っていたら、いつの間にか昼休みは15分ほど経過していた。早いとこ昼飯を食わねば。



(今日も狼谷とは会えそうにないな……)



 朔夜のことも解放してやれないが、やむを得ない。


 パンと着替えを両手に、俺は自分の席に向かおうとした。

 すると後ろから、良悟が肩を叩いて、



「なあ、見ろよあれ」


「あ?」



 良悟の指さす先を見る。

 そこにいたのは、自席に座る九重(ここのえ)小恋音(ここね)だった。


 周囲に友達と思しき人はおらず、一人黙々とサンドイッチを齧っている。整った容姿に似合わない、相も変わらずの仏頂面で。


 というか、教室でぼっち飯はメンタルが強すぎる。



「昨日まで女子も男子も群がってたのに、今日はあの有様かよ」

 

「一人で食うのが好きなだけじゃねーの?」

 

「そうかぁ? 見た目からは少なくともそんな感じしねぇんだけどな……」



 どうしたもんか、とおせっかいな良悟は考え込む。

 早く荷物を置きたい俺はその場から去ろうとするが、



「憂雨、お前話しかけてやったら?」

 

「はあ? いや、なんで俺が……」

 

「そりゃあ席が隣だからだよ。大丈夫、お前ならいける」

 

「いや……厳しいって」



 なんで俺が、という感想しかない。

 しかし、九重もあれはあれで可哀想だ。俺が何かきっかけを作ってやれば……

 


「……まあ、やるだけやるけどさ」



 百パーおせっかいだとは思いつつも、俺は九重のもとへ向かった。

 それに正直、初日のあれからずっと会話がないのも気まずかったというのもある。ここは一つ、隣の席の人として接点を持っておきたいところだ。



「……なあ、九重さん?」



 さん付けするか迷ったが、念のため。



「何?」



 睨むような上目遣いの視線が向けられる。少し怖い。

 俺は荷物を机に置いて、自席に腰掛けた。



「誰か、友達と一緒に食わなくていいのか?」


「ご飯は一人でも食べれるわよ?」


「いや、そうだけどさ……」

 

「それにあたし、別に友達とかほしいわけじゃないから」



 キッパリとそう言い放って、九重はサンドイッチに口をつけた。

 強がりで無理やり尖ったことを言っているだけのような気もするが。



「でも、話し相手くらいはいた方が楽しいんじゃないのか?」


「……なに、あんたあたしのパパか何かなの?」



 ごもっともだ。



「話し相手なんていらないわよ。気の合う人もいなそうだし」


「でも昨日、みんなに話しかけられてただろ? 気の合いそうな人くらい、一人はいたんじゃないか?」


「あれは……そうね……」




小恋音(ここね)ちゃん、好きなアーティストとかいるー?』 

『いないわね、特に』

 

『じゃあ、アニメとか観てる?』

『観てないわ。そんな時間ないし』


『インスタやってる?』

『やってない。あれ面倒じゃない』


『こ、九重さん! ズバリ、好きなタイプは――』

『初対面でそういう質問しないでくれる? 気持ち悪いんだけど』



 

「……って感じで、あたしに合いそうな人はいなかったわね」


「最後のはともかく、受け答えが冷たいなぁ……」



 多分、この調子では友達ができそうもないだろう。

 とはいえ、彼女の性格にこれ以上言及するのも憚られる。お節介と言ってウザがられるのはこちらにもダメージがきそうだ。



「だいたい、質問が悪いのよ。あたしが答えられないのばっかりで」


「じゃあ、なんだったら答えられるんだ?」


「それは……趣味、とか……?」



 自分で言っておいて、自信なさげに九重は言う。

 そしてその曖昧な視線は一周回ってまた俺に向けられて、



「……()きなさいよ」

「え? ああ……」



 今のはどうやら、催促のそれだったらしい。

 


「えー、じゃあ趣味はなんですか」



 変な会話だとは思いつつも、九重に訊いてみた。

 すると彼女は、なぜか照れくさそうに視線を逸らす。

 


「そうね……ゲーム、かしら」


「そうなのか? 意外だな。ちなみにどんなゲームを——」

 


 俺が一歩踏み込んで質問しようとした、ちょうどその時。

 


 

「——彼方先輩! 彼方先輩いますかっ!?」


 


 教室前方のドア付近から、そんな声が聞こえた。

 見ると、見知った顔の後輩が教室に身を乗り出している。



「ごめん九重、俺ちょっと行ってくる」


「え? ああ、うん……」



 九重との会話はやむなく打ち切り、席を立った。

 駆け足で教室の入り口へと向かうと、そこにいた女子生徒は俺の顔を見て安堵の表情を浮かべた。


 俺もその女子生徒の顔を見て、大方の事情を察してしまう。



「お、彼方先輩、あの、理優ちゃんが……!」


「落ち着け、理優がどうした?」



 黒い髪に赤い目の彼女の名は、ユイカ。理優の友達だ。

 気が動転していた様子のユイカは一旦息を吸って、言った。



「さっき、理優ちゃんがトイレで倒れて……今、保健室にいます!」


「……! そうか、わかった」



 怖いくらい俺の予想した通りだった。

 それ以上の会話は、特に必要なかった。




       ◇◇◇




 それから俺は大急ぎで、一階の保健室に向かった。 

 昼休みも終わりが近い。もうゆっくりしていられるだけの時間はないだろう。



「失礼します、三笠(みかさ)先生」


「ああ。毎度悪いな、彼方」



 ワークチェアに座った養護教諭、三笠が言った。

 白衣を着たその姿はまるで医師のようだが、目元には真っ黒な隈が異様に目立っている。見た目こそアングラな感じだが、彼女はこういうときには頼れる大人だ。



「倒れるときに君の名前を口にしたそうでな。念のため、君を呼ぶようにクラスメイトに頼んでおいた」



 コーヒーカップに口をつけて、先生はベッドの方に視線をずらす。

 つられて見ると、そこには静かに眠りにつく理優の姿があった。倒れたと聞いたときには流石にヒヤッとしたが、怪我などはしていないようで少し安心した。



(よかった……なんて、まだ言えないな)



 正直、理優の「これ」にも慣れてしまっている自分がいる。

 というのも、理優の背負うある()が原因なのだが……



「先生、理優のこれは、今回も……」


「ああ、おそらくな」



 三笠先生は振り向かずに、淡白に言った。



「クライネ・レビン症候群……今はその過眠期だろう」

 

 

 



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