Ep.39 嘘吐き
「ボクの名前はミデン。朔夜の『姉』だよ」
喫茶《ENZIAN》の店のドアを開けて入ってきたその少女は、俺たちに自己紹介するなりそんなことを言い放った。俺はおろか、朔夜ですら彼女とは面識がないからいよいよ困ったものだ。
「……は?」
朔夜の姉を名乗る、ミデンという見知らぬ少女。
あまりにも堂々とした相手の態度に、思わず不躾な返事が出てしまった。しかしベレー帽を被ったその少女は、俺の反応を意に介すことなく、また凛々しい顔つきを崩すこともしない。
「おや、会っていきなり何を言い出すのか――なんて言いたげな顔だね」
「……当たり前だ。不審者の自覚があるなら帰ってくれ」
「やれやれ、手厳しいな。こんな堅苦しいのが妹の保護者とは」
わざとらしくため息をついて、少女は言った。
ため息をつきたいのはこちらの方だ。
「……朔夜、もう一回訊くけどこいつ他人だよな?」
「ああ、紛れもなく他人だ! わらわはこんなやつ知らん!!」
「そう邪険にしないでほしいな。ボクと君はこの世界において、互いに唯一の“同族”なんだから――」
俺の後ろに隠れる朔夜に、少女はゆっくりと近づこうとする。
その歩みを止めたのは、一部始終を見ていた店長の一声だった。
「ちょっとアンタ、うちの客にちょっかい出したいだけなら帰りな。客じゃないっていうんなら、アタシらが力づくで追い出すよ」
毅然として腕を組んだ店長は、少女に厳しい目で忠告する。
すると、何かを取り繕うように貼り付けられていた少女の微笑も剥がれ、神妙な面持ちで何かを考えるような素振りを見せ始めた。流石にこの人数を敵に回すことは躊躇われるのだろう。
「ふむ……ここまで上手くいかないとは思ってなかったけど、仕方ないな。疑われいるようでは、こっちも話どころじゃない」
少女は独りごちると、またこちら――正確には朔夜の方を見て――振り返った。ワンピース状になった黒い衣装の裾がひらりと翻る。
「今ボクに求められているのは、“証明”——そうだろう?」
青の瞳がきらりと輝く。
そして、その白い手をかざして、
「【創造】——《ベイオウルフ》」
燐光が煌めき、何かを形作る。
少女はその手に、見慣れた銃を出現させた。
「なっ……!?」
それは紛れもなく俺の愛銃である《ベイオウルフ》で――いや、この際それは重要ではない。問題なのは、武器を出現させた方法と直前の掛け声だ。
(アルケーシステムを使わない武装の《再現》……そういう能力の《ディスオーダー》だったりするのか? いや……まずこいつはプレイヤーじゃない筈……)
視界に映る少女には、名前や肩書き等が表示されていない。
その点は朔夜と同じと言っていい。
(……それにしても、問題はやはり——)
「ボクのこの【創造】能力は、朔夜の『龍』と同じだよ」
「……!」
俺の胸中を言い当てるように、少女は言った。
やはり、その掛け声に違わずこの少女は、朔夜が『龍』を出すときと同様の能力を持っているらしい。プレイヤーの使う《アルケーシステム》とは一線を画す、物質の『創造』——。
「言っただろう、“同族”だって。証明はこれで十分かな?」
人差し指で銃をくるくると回しながら、余裕ぶった笑みの彼女は俺に問うた。あくまで証明のためだからか、銃自体には弾を撃ち出す機能はつけていないらしい。
店長やコレットたちも黙って少女を見つめている。
彼女の言うことを認めざるをえない状況になっているのは、確かだった。
「……お前、ミデンとか言ったな」
「うん、言ったよ」
頷くミデンに、今度は俺が問い返す。
「なら、ミデン……お前の言う同族っていうのが、『同質の存在』って意味なのはわかるが、お前自身は一体何者なんだ? 朔夜のことも……お前は何か知ってるのか?」
それは、興味本位の質問だったと言っていい。
彼女が本当に朔夜の『姉』なのだとしたら、いま俺は彼女から情報を引き出す方向で動くべきだ。未だ正体もわかっていない相棒の同族を名乗る人物が現れたのだ、利用しない手はない。
ミデンは俺の質問に数秒、考え込む素振りを見せた。
それから横目で店内を軽く見渡し、俺と朔夜以外の人物に目をむける。
「ボクは一応、そのことで君たちに話をしにきたんだ。でもここじゃあ少し……場所が悪いかな」
「……聞かれたらまずいような内容なのか?」
「朔夜と君以外にはね。あらぬ誤解を生むようなことはしたくない」
場所を移せるかい、とミデンは控えめに訊ねてきた。
俺は朔夜と顔を見合わせ、ややあって彼女の問いに頷いた。
◇◇◇
「すまないね、こんな場所で」
「ああ、いや……」
ミデンに連れられてやってきたのは、店から少し離れた狭い路地裏だった。この場所なら人目につきにくい上、運営のオブザーバーによる監視の目も避けられるとのことらしい。そこまでするほどの話なのだろうか。
それにこういう場所に来ると朔夜との出会いを思い出してしまうものだが、それは彼女も同じようで。
「わらわはたしか、このあたりに落っこちてきたのだったな……」
ゴミ捨て場からほのかに漂う悪臭に顔を顰めながら、朔夜は言った。
「そうなのかい? それは災難だったね」
「ふん、まったくだ!」
「……それじゃあ君は、ここに落ちてきた朔夜を助けてあげたと?」
朔夜に親しげに微笑んだミデンは、俺に話を振る。
正確にはちょうどこの場所というわけではないが、首肯してみせた。
「ゴミ箱に落ちてきてな。見過ごすわけにもいかなくて、俺が助けた」
「ふむ、なるほど。君、意外と慈悲深いタイプか」
「……なあ、この話はもういいから、そろそろ話してくれないか?」
気持ちが先走っていた俺は、ミデンに話の続きを促す。
「そうだね。場所も移したし、あまり引っ張るほどのことでもない。本題に戻ろうか」
顎に添えていた手を離すと、ミデンは一つ咳払いをした。
並び立つ俺たちの前で「さて」と前置きして、真摯かつ理知的な口調で語り始める。
「まず、前提として言っておきたいんだけれど」
「なんだ?」
「ボクは、《NERVE》のメッセンジャーとしてここに来たんだ」
「……!」
流石に驚いた。
朔夜との共通点といい、ただのプレイヤーやNPCでもないとは思っていたが、まさかそこまでの大きなつながりを持っていたとは。俺たちの居場所も知っていて当然というべきか。
「なんなのだ? そのナーヴとやらは?」
朔夜が俺の袖を引いて訊ねてくる。
「《NERVE》は――このアンブレの世界を管理している組織だ。一言で言えば、このゲームの運営ってところだな……」
「ほう……運営、か……」
もっとも、《ディスオーダー》が流行り出してからはこれといって目立った活動を見せていないが。しかしだからこそ、その伝令役が俺たちに接触してきたことに大きな意味があると言える。
「で、その運営様の伝達役が俺たちに何の用なんだ? ただ自分の『妹』に会いに来たってわけでもないんだろ?」
朔夜が納得したのを見て、また話を本筋に戻した。
するとミデンは両目を閉じて静かに頷き、
「まあ、そうだね。実を言うとボクは、君たちに《NERVE》の計画に協力してもらうための交渉役を買って出てきたんだ」
「協力か……なるほどな」
正直、《NERVE》の話が出てきたあたりで何となく察していた。
世界ランク7位のDプレイヤーを倒した俺たちに、相手側はこのタイミングで接触を図ったのだ。《ディスオーダー》対策のための協力要請と考えた方が自然といえるだろう。
「その“協力”ってのは、大方〈ディスオーダー〉関連のものなんだろ?」
「ああ……そうみたいだよ」
「ふむ……なら、わらわたちも応じるほかないだろうな! その《NERVE》とやらと協力して戦えるのなら、それに越したことはない!」
「だな。俺もいつかは来るとは思ってた」
むしろ、このタイミングでの協力要請は遅いくらいだ。
ディスオーダーが広まってから半年、俺が【Executor】になってから約三ヶ月半、俺と朔夜が出会って二人で新生【Executor】となってから二週間。その間、《NERVE》は何もしてこなかった。
だから俺はミデンの言葉に安堵さえ覚えていた。
俺の、俺たちの行いがやっと、報われる時がきたのだと。
「…………」
しかし、当のミデンは気後れしたように黙ったままだった。
やがて口を開いたかと思えば、少し言葉を淀ませて、
「……そのことで、ボクからひとつ助言があるんだ」
「助言?」
「ああ。これはアドバイスと思って聞いてほしいんだけれど——」
「《NERVE》からの協力要請、君たちは断った方がいい」
大真面目な顔で、ミデンは言い放った。
その真意を測りかねた俺は、やや反応が遅れてしまう。
「いや、断るなんて、そんな……だいたいミデンは《NERVE》の伝達役なんだろ?」
「そうだよ。だからこれは、ボク個人からのアドバイスだと思ってくれ」
「…………わかった。それで、断った方がいいと判断した理由は?」
理解が追いつかなかったが、ひとまずはミデンに事情を話してもらうことにした。こちらとしては、彼女一人の助言に馬鹿正直に従うわけにもいかない。
ミデンは少し焦った様子で顔を伏せ、しばしの沈黙のあとで、
「これはあくまで、協力の末に『目的』が達成された後の話なんだけれど——」
「——ボクと朔夜は、《NERVE》によって消されることになる」




