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Ep.38 変わりゆく日常

 Zainとの決闘から三日後の、7月14日。

 今日も今日とて俺は、普通の高校生としての日常を謳歌していた。世界ランク7位に勝ったからといって、何かが劇的に変わってしまったなんてことはないのだ。


 

「よう、世界ランク11位!」


 

 結果としては、このネタを擦られているというだけのこと。



「……なあそれ、まだ擦るのか?」



 一応おはようと返しておきながら、俺は良悟の前で自分の席に座った。今日は珍しく、チャイムの鳴る前に教室に滑り込むことができた。先日の遅刻の件で流石に反省したのだ。



「ああ、もちろん擦るぜ。憂雨――いや、新生【Executor(エグゼキューター)】のあのカッコよさは、俺がきっちり末代まで語り継いでいくつもりだからな!」

 

「何が末代だよ……あとその二つ名あんま学校で呼ぶな」



 決闘の配信を観て感化されてしまったのか知らないが、良悟は最近ずっとこんな調子だ。応援してもらっている側として文句は言えないが、面と向かって言われると少し気恥ずかしさが勝るというものである。



「いやー、でも実際カッコよかったよ?」



 前の席の宇佐美が、振り返って口を挟む。



「私はアンブレのバトルとかよく分かんなかったけど、二人のあの連携プレーだったり合体技だったりは見てて燃えたかなー」

 

「そ、そうか……?」

 

「マジでそれな〜。ってか、あのバディの女の子どこで見つけてきたんだよ? 何者?」

 

「ああ、あいつはまあ……その辺で拾ったっつーか……」



 朔夜のことを訊かれても、良悟たちには曖昧に濁すしかない。


 一応、朔夜のことは形式上プレイヤーで通してある。

 だから良悟たちからすれば、知らぬ間に俺が女の子のプレイヤーとタッグを組んでいたということになるが、まさかその本人が今も俺のスマホの中にいるとは思わないだろう。


 さすがに教室であいつを出すわけにもいかないから、仕方ないが。



「にしてもすげーよなぁ。世界トップクラスの《ディスオーダー》使いと、マジで渡り合って勝っちまったんだからさ」



 良悟は隣の空席に腰掛けた。

 


「やっぱり、すごいことなの?」

 

「そりゃすげーよ。スポーツカー相手に乗用車でレースして勝ったみたいなもんだからな」

 

「いや、バディの力も大きいし流石にそこまでは――」



 良悟の誇張しまくりの例えにツッコもうとしたそのとき、ちょうどドアが開いて担任の蛎灰谷(かきばや)が入ってきた。良悟は席を立ってものすごいスピードで自席へ戻っていく。


 8時45分、朝ホームルームの始まりだ。



「よーしお前ら座れー。チャイム鳴ってんぞー」



 ジャージ姿の蛎灰谷(かきばや)は、教壇に立って俺たちに呼びかけた。

 いつも通り気の抜けた雰囲気の彼だが、今日はほんの少しだけ気合いが入っているようにも見える。朝の号令の後で、彼は名簿を置いてこう切り出した。


 

「落ち着いて聞いてくれ。今日はお前らに、転校生を紹介する」



 多分、その場にいた誰もが耳を疑った。

 

 前列に座る男子が「マジ?」と聞き返して蛎灰谷(かきばや)が「マジ」と頷くと、教室――主にうるさい男子たちがざわつき始める。俺たちはまだ高校生、当然と言えば当然の反応だ。



「えー、転校生だって。憂雨知ってた?」


「知らね……」



 思い返してみれば、今朝は一部の男子が妙に浮き足立っていたような気もするが、確信はない。俺はどちらかと言えばそういう類の噂には疎い方なのだ。



(転校生ねぇ……)



 俺の隣の席が空席なのは、その伏線だったりするのだろうか。


 ウェーブする男子たちを蛎灰谷(かきばや)が適当になだめる。

 なんとか教室の空気を取り繕いながら、彼はドアの外にいるらしい生徒に入室の合図を出した。それから間髪入れずに、横開きのドアが開かれる。


 教室中の視線を集めながら、その生徒は入ってきた。



九重(ここのえ)小恋音(ここね)です。よろしく」



 蛎灰谷(かきばや)が黒板に書いた名前を背に、彼女は淡々と言い放った。

 

 茶色い髪をツインテールにした、今風の雰囲気のする女子だ。

 緊張気味なのか表情が固く、妙にツンとしたツリ目と眉はどこか攻撃的にも見えてしまう。名前の愛らしさとのギャップをそこはかとなく感じたが、容姿は間違いなく美少女と言って差し支えない。



「お前ら仲良くしろよー」



 事務的に蛎灰谷(かきばや)が言う。

 転校生の九重は小さくお辞儀をすると、彼の指定した席に鞄を持って歩き出した。彼女の席は案の定、俺の隣だった。こんなことがまさか現実で起きるとは。


 周りの男子の妬むような視線が痛かった。

 


「よ、よろしくな」



 無視されることも承知で、とりあえず形だけ挨拶してみる。

 すると彼女は不思議そうに俺に振り返り、無言でこちらを見つめてきた。何かを確かめようとしているのか何なのか、睨むような視線が数秒向けられる。


 正直、困った。


「え……なんか顔についてる?」


「……別に。なんでもない」



 九重はそれから何事もなかったように、自席についた。



(なんだったんだよ……)


 

 俺はその日はもやもやとした気持ちを抱えたまま、朝のホームルームを終えて一日を過ごすことになった。九重との会話は、それきりなかった。




       ◇◇◇




 2027 7/14 18:03

 カルキノス連邦領第13廃棄地区 旧一番通り

 Cafe&Diner『ENZIAN(エンツィアン)




(結局なんだったんだ、あの転校生……)


 地下の店へと続く階段を降りながら、俺はそんなことを考えていた。

 

 九重のあの意味深な視線の裏には、きっと何か事情があるはず――そう思えてならなかった。今日一日、授業中も度々こちらを見つめていたような気もするが、すべては俺の「気のせい」で片付けられてしまうことでもある。



(……考えすぎも良くないか)



 あちらから踏み込んでこなかった以上、俺が気にするほどのことじゃない。

 凝り固まった思考を解くように頭を振り、店のドアに手をかけた。

 

 

「おう、おかえり。あんたたち」


 

 店のドアを開けると、バーカウンターのジャンヌさんがこちらに気づいた。俺が挨拶を返すと、おぶっていた朔夜も俺の背中越しに元気よく声を出す。



「ただいまなのだー!!」


「おかえりなさいませ、お二方」


「おかえり! 世界ランク11位のお二人さん!」



 コレットに続いて、モニカも快く俺たちを出迎える。

 

 あの激闘から丸三日、Zainを倒して世界ランク11位となった俺と朔夜は、今日も新たな討伐依頼へ赴いていた。今はその帰りだ。


 Zainは決闘の最後にあんな演説を残したが、いくら世界7位といえど、いちDプレイヤーの発言に皆が一斉に従うようなことはない。未だこの世界には、数多くのDプレイヤーたちが跋扈している。


 あれからどれだけDプレイヤーの全体数に影響が出ているかはわからないが、居残った奴らを狩るのは、依然として俺たちの仕事だ。俺たちのやることは、これからも変わらない。


 ただひとつ、あれから変わったことといえば――


 

「――おかえりなさいっす! 先輩方!」


 

 燕尾服姿のユーガが、接客を終えて近づいてきた。

 あれから決闘を挟んで有耶無耶になりかけていたユーガの所在だったが、彼が自分から《ENZIAN》の従業員になると決めたことで落ち着いたようだ。モニカがなぜか大喜びしていたのを思い出す。



「よう、ユーガ。その制服、なかなか似合ってるな」

 

「マジっすか!? へへっ、そう言ってくれると嬉しいっす! おれももう《ENZIAN》の一員兼、姐さんの三番弟子なんで!!」



 燕尾服の後ろで狼の尻尾を揺らしながら、ユーガは誇らしげに言う。

 ユーガの性格ならきっと、ここでの仕事も難なくこなしてくれるだろう。何より、頼れる姐さんのもとで修行するというのならば、俺も心配することは何もない。



「金目鯛の煮付けがたべたいのだ!!」

 

「あいよ!」



 いつも通り、カウンター席に陣取った朔夜がメニューにない料理を注文する。俺ももはや何もツッコまなくなったが、どこかこの光景に安心感を覚える自分がいた。


 俺と朔夜がどこまで躍進しようとも、この日常だけは変わらない。変わってほしくない。彼女との出会いで「変えられて」しまった俺は、いつの間にかそんなことを願うようになっていた。


 この日々が、続けばいい。

 

 しかし、そんなちっぽけな俺の願いはきっと叶わない。




「——やあ。お邪魔するよ」


 

 

 店のドアが、いつの間にか開いていた。

 

 気になって振り返ると、そこに立っていたのは、黒いベレー帽を被った銀髪の少女だった。宝石のような蒼色の瞳や髪を飾るリボン等、どことなく朔夜に近い雰囲気を感じる容姿をしている。



「いらっしゃいませ! お客様は一名様で——」

 

「ああ、ボクはお客として来たわけじゃないんだ。ごめんよ」

 


 ユーガの接客を断って、少女は黒いドレス状の服を翻した。

 そして彼女は、俺と朔夜のほうを見て、



「そこの二人に、少し用があってね」



 含みのある笑みで、そう言い放った。

 言い知れぬ不安が腹の底で湧き上がってくる。



「お、おいお主、誰だ此奴(こやつ)は……」


「いや、俺も知らねえ……」



 背中越しの朔夜の問いにも、俺は答えられなかった。

 

 まったくもって面識がないのだ。Zainのときみたく《ディスオーダー》を使うトップランカーが宣戦布告しに来るならまだしも、俺はこんな少女のプレイヤーの噂は聞いていない。


 俺たちが戸惑っている間に、少女はこちらに歩み寄っていた。

 彼女は胸に手を当て、真摯で理知的な口調で言う。


「やあ、はじめましてだね。ボクの名前は“ミデン”」



 

「——朔夜の、『姉』だよ」

 




 

次回の投稿は6/26です。

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