Ep.35 白狐
とりあえず毎週水曜日に投稿を再開することにしました。
久々ですが、今回から第四章です。
2027 7/13 14:04
Under Brain運営本部 5階
本社オフィス 社長室
ある一人のスーツの男が、重厚な革の回転椅子に腰掛けていた。
几帳面に整えられた黒髪は見る者に清潔感と理知的な印象を与え、わずかに湛えられた微笑からは、大人の余裕をも感じることができる。彼の目の前は一面ガラス張りとなっているが、その先に広がるのは街の景色などではなかった。
目の前のガラス……いや、画面に映るのは、《世界》の風景だった。
あるときは夜のビル街、またあるときは海辺の白い町、あるいはどこかの工場地帯。【Under Brain】というVRゲームが誇る、緻密に作り上げられたもう1つの《世界》の断片が、コレクションのように次々に並べられる。
スーツの男はそれを独り、誰と共有するでもなく眺めていた。
男が満足げに皺の入った頬を綻ばせていると、彼が背中を向けていた部屋のドアが3回ノックされた。彼が「入りたまえ」とだけ言うと、スライド式のドアが開き、靴音が近づいてくる。
「失礼します、馬郷社長」
「ああ、急に呼び出して悪かったね。速水君」
男の前に現れたのは、四角いフレームの眼鏡をかけた男性だった。
速水と呼ばれた生真面目そうな彼は、目の前の椅子に腰掛けた男――馬郷に向かって腰を折った。社長室の椅子に腰を下ろしている彼こそは、【Under Brain】を管理運営する企業――「NERVE」の代表取締役社長にあたる人物である。
馬郷は椅子を回転させて姿勢を正すと、速水に言った。
「例の……“ヒルメ”の捜索の件は順調かい?」
デスクに置いてあったコーヒーカップを手に取り、馬郷は一口啜った。速水は表情を変えず、コーヒーを飲む馬郷に頷いて話し始める。
「はい。彼女……いえ、“彼ら”の直近の足取りやログインの時間帯等は把握いたしておりますので、早ければ明日にも接触を図れればと」
「そうだね。早いほうがいい。悪い者たちの手にかかる前に」
ふと両目を閉じ、馬郷は深く頷いた。
デスクの上で軽く両手を組むと、姿勢良く畏まった速水に向かって、
「ときに速水君、対Dプレイヤーの新設部隊の件、君には話していたね」
「はい。存じ上げております」
「あの部隊の指揮官として、私はキバクラ君を起用したいと思っているんだ。君の口から、彼に伝えておいてほしい。私が言っても嫌がるだけだろうからね」
「キバクラさんをですか? ……承知しました」
「ああ、任せたよ」
それ以上お互いに何も追及することなく、お辞儀をした速水は静かに靴音を鳴らして部屋を去った。ドアが閉まるとしばしの静寂が訪れ、ひとり残った馬郷は再び椅子を180度回転させる。
デスク横に配置された装置を彼が操作すると、大画面のスクリーンが切り替わった。どこかの夜景の代わりに映し出されたのは、とある一連の映像だった。
映像の中に現れたのは、狐面の少年と白髪の巫女服の少女。
霊魂や龍を駆使して戦う二人は、立ちふさがる難敵を次々と打ち倒していく。それはいうなれば、カナタたち【Executor】の辿った軌跡のダイジェストであった。
「ヒルメ……いや、『神様』はこの少年を選んだのか」
朔夜の隣で相棒として戦うカナタの姿に、馬郷は淡く微笑んだ。
椅子の背もたれに背中を預け、悠然と足を組む。
「これは……面白いことになりそうだ」
◇◇◇
「クソッ、なんだってんだよ! チクショウ!!」
「化け物じゃねぇかよあの女!!」
海辺のコンテナの並べられた区画を、二人の男が走っていた。
一面に並んだコンテナで形作られた道を通り抜けながら、身体中に刀傷を負った彼らは息も絶え絶えという様子で逃げ回る。その後ろから、軽やかな足音が二人に迫っていた。
「《ディスオーダー》使いでも【Executor】でもねぇっつうのに、なんでここまで疾速ぇし強ぇんだよ!?」
「んなこと知るかよ! 口動かしてねぇで早く逃げ——」
一歩後ろを走っていた青い目の男が、そこで倒れた。
否、正確には、両脚を斬られて動けなくなっていたのだ。
「お、おい!? お前——」
背後から繰り出された、大鎌によって。
「無駄な抵抗はよしなさい。逃げ回っても意味ないわよ」
諭すような声が、男たちを呼び止めた。
果たしてそこで鎌を携えていたのは、まだ年半ばの少女だった。ピンク色の髪のツーサイドアップに黒いゴシック調のドレスと愛らしさも感じる容姿だが、肝心のその顔は仮面で隠されている。
白い狐の仮面によって。
「クソ、動けねぇ……助けて、くれ——」
両脚を失った青い目の男は、地面に這いつくばって仲間に助けを求める。しかし次の瞬間、彼の身体は大鎌によって容赦なく切り裂かれ、文字通り真っ二つとなってしまった。
「……っ、ケヴィン!!」
タッグを組んでいた男は、斬り捨てられた仲間の名を叫ぶ。
残った《アルケー》粒子を撒き散らして爆散した仲間の亡骸を見て彼は激昂し、目の前に立ちはだかる少女にライフルの銃口を向けた。
「クソがぁあああああああああああああ!!」
照準も合わせず引き金を引き、前方にライフルを乱射する。
ところがその弾は一発たりとも少女に中たることはなく、代わりに男の視界が正面から二分された。最後に間の抜けた声を漏らしながら、全身を綺麗に両断された男はその場で爆散する。
目にも留まらぬ早業で二人を片付けた少女は、大鎌を地につけて息をついた。夜の月明かりに照らされた彼女の立ち姿は、優艷な若い姫君のようでもあり、同時に冷徹な死神のようでもあった。
「な、なんなんだ……っ」
決闘に敗れ《行動体》に戻された男は、後退りしながら少女に問うた。
「何者なんだよ、あんたは……!!」
怯んだ目で自分を見上げる男に、少女は一瞥をくれる。
それから仮面をつけたまま、平然と彼女は言った。
「あたしは、【白狐】のカサネ……」
「——第二の【Executor】よ」




