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ジュールズ――どうしようもない愚弟5

 愚弟の引き取りに出向いたのは私であった。


 父の名代として行った為、いつもの軽装ではなく淑女の恰好である。


 見慣れぬなりをしているせいで、皆は私と認識できなかったらしく、向けられる視線の質が普段とは明らかに違った。


「おい……アレ、誰? なあ、誰?」

「あんなコ、うちの領にいたか?」


 誰も何も、私である。


 彼らの視線がやたらと粘っこく、鬱陶しかったので、私は扇を取り出して視線除けにした。


 ヒッ、という小さな悲鳴が上がる。


 扇で私が誰か分かった者がいたようだった。


 学長室に入るなり、私は深々と頭を下げた。


「この度は宅の愚弟がとんだことを」

姫様ひいさま、お止めくだされ」


 学長が泣かんばかりに嫌がるので、私は下げた頭を早々に上げた。


「それで、何があったの」

「それが……姫様を前に、少々申し上げにくいのですが」


 騒動の原因は何と私だという。


「やーいやーい。お前の姉さん、男女オトコオンナ~」とからかわれたジュールズが、ドゥミリューヌを顕現させ、「男女で何が悪いかァー!」と切り込んでいったらしい。


 あまりの下らなさに眩暈がした。


 お前たちは十五にもなって、一体何をやっているのか。


 ジュールズが怪我をさせた相手は六名。いずれも軽傷とのことだった。


「先に淑女を侮辱したのは彼らの方ですし、ジュールズ君も彼なりに手加減したようですから……」

「でも、武器を持たない相手に剣を振るったのでしょう?」

「ま、まあ、そうですが、彼らも同じく剣の心得のある子たちですし、六人がかりでジュールズ君を囲んで……」


 私は音を立てて扇を閉じた。


「本人にはよく言って聞かせます」

「は、はい」


 扇は淑女の持ち物であったが、私の場合は得物の鉄扇を普段使いにしている為、少しでも動作が荒くなると殺意のこもった音が出てしまう。


 私は呼吸を整えながら、学長室を後にした。


 ジュールズが入れられているという反省室に行くと、彼は尊大に広げた足の間にドゥミリューヌを顕現させ、椅子に座っていた。ドゥミリューヌに緩く腕を絡ませ、明らかにふてくされている。


 近づいてくる私の姿を認め、彼はキッと目を怒らせた。


「私は何も間違ったことをしていません。姉上への侮辱を見過ごすことなど出来ません」


 ――男女で何が悪いかァー!


 見過ごすも何も、お前もそこは否定していなかったようだが……?


「ドゥミリューヌを鞘から抜いてもいません。急所も外しました」


 当たり前だ、馬鹿者。


「万死に値する罪を犯した者たちに対し、私は寛大過ぎるくらいだったと思いますッ!」


 おや、と思った。


 普段は自分の意見を主張するよりも、適当に合わせてさっさと終わらせることを好むジュールズが、珍しく引く構えを見せなかった。


 私は無言で彼に屈み、彼の頬に手を添えた。


「……ッ、姉、上」


 打たれるとでも思っていたのか、彼はぐっと眉根を寄せ、甘えるように頬をすり寄せてきた。


 ――帰るぞ。


 私は顎で扉口を指し、先に立って反省室を出た。


 連れ立って馬車まで戻る時も、ジュールズは私の騎士よろしく、皆の目から私を隠すように立ち、周囲を睨み回すことに余念がなかった。


 騎士というより、せいぜい可愛げのない男女が連れている、獰猛で見境のない番犬といったところだった(小型の)。


 城に到着すると、私は馬車を降りたその足で鍛錬場へ向かった。何も言わずともジュールズも後ろからついてくる。午後の中途半端な時間だったせいで、鍛錬場には誰もいなかった。


 私は彼に向き直り、おもむろに扇を構えた。


「あっ、姉上! お止めください!」


 慌てるジュールズに構わず、叩きつけるように扇を打ち込む。


「あっ、姉上……ッ」


 恐らくは自覚もなく取り出した聖剣で、ジュールズは私の渾身の打ち込みを受け止めた。


 私は無言で二手、三手と繰り出す。ジュールズは私の攻撃を防ぎつつ、困惑した様子で私から目を逸らした。


「いけません、姉上、おみ足がッ……」


 帰ってきた時のままの恰好で、鍛錬場へ直行した私が着ているのは今も当然、女物のスカートだった。


 淑女は夫以外の男に決して足を見せない。


 輿入れ前の令嬢が、男の前で足を晒すなど、絶対にあってはならないことだった。


 私は扇を構え直し、ジュールズに再び打ち込んだ。


 激しい動きに裾が大きくめくれ上がる度、「姉上ッ、どうか」と悲鳴のような声が上がる。


 私は攻撃の手を緩めなかった。


 足が見えたからどうだというのか。お前はまさか、自分が一人前の男だとでも思っているのか。


 笑止。


 今、私の目の前にいるのは、男とも呼べない未熟者であった。


「あれしきのことで、領民を打つか」


 下らない。


「お前は何故、身分を隠し、ライスターに身を潜めているか忘れたか。あのようなことをして、正体が露見すれば何とする」


 扇で打ちまくる。情けなさで涙が出る。


 ジュールズはおろおろと視線をさまよわせ、直視せぬよう気を遣いながら、それでも私の打ち込みをすべて、避けもせず正確に受けていた。この力量差にも、どうしようもなく腹が立つ。


 ジュールズは決して打ち返してこず、防戦一方だった。


 ならばと叱責のつもりではなく本気で打ち込んだ。


 ジュールズが素早く剣をなぐ。


 しまっ……。


 その速さと重さに、私は対応できなかった。


 弾かれた扇は私の手元には戻らず、射られた鳥のように落下した。


 私は荒い呼吸を繰り返しながら、緩く腕を振った。


 さほど手が痺れていないのは、ジュールズが手加減したからだろう。


 完敗だ。


 私の扇は結局、一度もジュールズに届くことはなかった。


 勝ったのはジュールズなのに、次の瞬間、敗者のように跪いたのはジュールズの方だった。


「ジュ……」

「――もう二度と、姉上を失望させません」


 これがあのジュールズの声かと思うほど、低く押し殺した声だった。


 肩で荒い息をし、ジュールズを見下ろす私と、深くうなだれ、私の許しを待つジュールズ。


 ジュールズは片膝をついた姿勢のまま、微動だにしなかった。


「……ジュールズ」


 私は彼の前に両膝をついた。


 彼の頬に触れると、彼はびくりと身を震わせた。


 ――男女で何が悪いかァー!


 ああ、そうか……。


 胸の奥に、小さな温もりが湧いたことを正直に認める。


 私が「あれしき」と切り捨てたものの為に、彼は剣を取ったのだ。


「ありがとう、私の為に」

「あね、うえ」


 ジュールズははっと目を上げ、彼の頬に触れている私の手を、思わずといった様子で素早く覆った。


「でもね、どんな理由があろうと――」

「分かっています! 今の私は、もう分かっていますから、何も言わなくて大丈夫です……!」


 ジュールズのもう片方の手が私の背を引き寄せる。


 私はジュールズに抱きしめられていた。


「姉上……」


 いつまでも愛らしい見た目に反し、ジュールズの体は硬く引き締まっていた。いや、驚くようなことでもないか。彼はもう幼い子供ではないのだから。いや、待て。それならば、こんな風に抱きついてくるのは不適切ではないだろうか。


「ジュールズ――」

「分かっています。ですが、もう少しだけ」


 切なげな声で懇願され、それだけで私は動けなくなった。


 もう少しだけと言ったくせに、ジュールズは一度だけぎゅうっと私を抱きしめた後、すぐに体を離した。


「姉上、お手に口づけを」


 体を離したジュールズの顔つきは一変していた。


 私の手の甲に恭しく口づけを落とし、何事もなかったかのように立ち上がる。


 彼に手を取られたままだった私も、彼に優しく引き上げられて立ち上がった。


「……姉上」


 彼がさりげなく腕を差し出す。


 淑女がそっと手を絡めるのに、丁度よい位置と角度だった。


 それから後のジュールズの振る舞いは、完全に、淑女に対する騎士のそれだった。


 彼は私の私室まで、粛々と私をエスコートし、部屋の前に到着すると、一礼して「では」と踵を返す。


 さらさらと亜麻色の髪を揺らし、去っていく彼の後ろ姿を、私はぼんやりと見送った。


 彼の中で、一体何が起きたのか。


 ――もう二度と、姉上を失望させません。


 心が騒めいて落ち着かないのは、彼のあまりの変わりように驚いているせいだろう。


 ほんの数時間前まで、反省室でふてくされていた子供だったのに。






 この日を境に彼は激変した。


 年長者や女性には以前にも増して敬意を払い、誰に対しても等しく寛大で、軽率な振る舞いは一切しなくなった。


 少年たちが束になっても敵わないことを見せつけている以上、彼にちょっかいをかけてくる者も、恐らくはもういなかったのだろうが、もし学内で弱い者いじめやその他恥ずべき行いがあれば、彼は率先して弱きを助けた。


 剣に打ち込み、勉学に励み、宮廷人が身につけるべき振る舞いを真摯に学んだ。


 しかるべき教師たちを手配したのは母である。


 厄災を撃退した後の人生の方が長い。


 彼がダルメスに戻ってから困らぬようにという母の配慮だった。


 そう。分かっていたことだ。


 彼はいずれダルメスに戻る。


 それも、もう遠くない未来に。


 彼が守護者に選ばれ、七年の後に厄災と対峙するという運命を背負ってから、六年の歳月が経とうとしていた。


 宮廷人として、彼が学ぶべき必須項目の中にはダンスもあった。


 ――練習のお相手をしていただけないでしょうか。


 遠慮がちに依頼され、私は勿論と快諾した。


 女の恰好に着替えなくてはならないということには、快諾した後で気づいた。


 ジュールズは妻の支度を待つ夫のように、鷹揚な笑みを浮かべて私の支度を待っていてくれた。


 失礼します、と彼が私の手を取る。


 その触れ方の優しさに、慣れない私の指先は痺れた。


 並外れた運動神経の賜物か、それとも彼の体に流れる、歴史ある王家の血のせいか、ただの練習とはとても思えぬほど、彼の所作は既に完璧だった。


 私の手や背中を支えるジュールズの手はどこまでも優しく、彼の物腰はため息が出るほど優雅だった。


 どうしたらいいのだろう……こんな、壊れものみたいに扱われて。


「……姉上?」


 ジュールズがどうしたのかと目で尋ねる。


「何でもない」

「おっしゃってください」

「……大したことでは」

「駄目です、言って」

「……女性扱いされているみたいで、落ち着かない」

「女性扱いはします。姉上は女性なので」


 さらりと言われ、頬が熱くなった。でも、どうしてこんな風になるのか、自分でも分からない。


 ジュールズはさりげなく視線を外した。


 絶対に気づいたはずなのに、気づかぬふりをしてくれたのだと分かった。


 礼節を保った、品の良い距離。


 まるでどこかの舞踏会で、礼儀として一度お相手くださった、見知らぬ外国の王子のようだった。


 いや、実際、そうなのか。


 ダルメス宮廷で燦然と輝く、未来の彼を見るようで、眩しさと寂しさに痛いほど胸が締めつけられた。


 それなのに、どうしてだろう。彼の腕の中は、こんなにも心地よい。


 ジュールズはうっとりするような優しい笑みを顔に貼りつけ、弛緩しているのかと思うほど肩の力を抜いていた。


「抜く」というのは非常に難しい。彼が達人の域に達していることの証だった。


 彼はこのまま、私の背後など容易に取れるし、地に押さえつけるのも一瞬だろう。


「踊りやすい」


 ふいに彼が弟の顔にもどり、不思議そうに呟いた。


「気のせいじゃない。姉上とは、とても踊りやすいです」

「ああ、それは……。私は男性のパートも踊れるから、どうすれば男性側が動きやすいか、何となく分かるからかな……」

「何故男性のパートが踊れるのですか」

「領の娘たちが、やたら私と踊りたがるものから、それで……」


 ジュールズはぷっと噴き出した。


「ジュールズ、笑うなんて」

「すみません……。姉上らしいなと思って」


 ジュールズは私に顔を寄せ、挑発的に囁いた。


「――てっきり私と姉上の相性が良いからだと思ったのに」


 こんな距離から、随分と意味深な物言いだった。


 彼は教師たちから女性たちとの戯れ方まで教わっているのだろうか。


「ああ、それはあるだろうね。お互いに気心が知れているし」


 私は素知らぬふりで彼を袖にした。


 ダンスの練習相手なら、いくらでも。だが、彼の恋愛遊戯の練習台まで務める気はない。


 ジュールズは大人の男のように苦笑しただけだった。


 引き際は心得ているらしい。


 それから後は、鍛錬のように二人で黙々とステップを踏み、長いような短いような、ダンスの時間が終了した。


 ジュールズは当然のような顔をして、私を食堂までエスコートした。


 あまり体を動かした気はしなかったが、妙に頭を使ったせいか、驚くほど生クリームが進んだ。


 ジュールズは相変わらず甘いものはとらず、優雅にカップを口元に運んでいた。


 私は密かにため息をついた。


 王子様がいる。


 どこに出しても恥ずかしくないほど、完璧なのが。


 目が合うと、ジュールズはにこっと愛らしく微笑んだ。


 その見た目からは、既にじいですら歯が立たぬほど強いことなど想像も出来なかった。


 父上よりも、もう強いかもしれない。


 ジュールズはもはや、ライスター辺境伯の庇護を必要としていなかった。


 彼はもう、いつここを発ってもおかしくなかった。


 今日か、明日か。


 だが、いつまで経っても彼は出立する気配を微塵も見せなかった。


 相変わらず呑気にしているし、グザヴィエが彼をせっついている様子もない。


 もしかして、直前とかでも大丈夫なのか……?


 勿論そんなことはなく、その日は突然やってきた。


 とある日の午後、私は父の執務室にて、この週末の魔獣狩りについての計画を話し合っていた。


「お館様、大変です!」

「何事だ、騒々しい」

「ダッ……ダルメス神殿から来たとおっしゃる方が、お館様にお目通りをと……!」

「えええ⁉」


 まるで、彼の成長を見計らっていたかのように。


 或いは、なかなか戻らぬ彼に痺れを切らしたように。


「――お初にお目にかかります。リュカ・グランディディエと申します」


 ダルメス神殿武装神官長、御自らのお迎えであった。


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