後日談・姉上。時にはご褒美ではなく、罰も必要でしょうか?
ジュールズ視点
R15です。閲覧ご注意ください。
――汝、ゲリュオネス・ユーグ・ジュールズ・クラメール、その健やかなる時も、病める時も……貞淑なるクロティルダ・ライスターを愛し、敬い……。
結婚式当日、皆から散々釘を刺されていた私は、神の前で食い気味に「誓いますッ」などと言うことはせず、姉上にかっこいいと思っていただけるよう、最後までちゃんと聞いてから厳かに「誓います」と言った。
成長したのだ。
そして、その後に訪れた、めくるめく初夜――。
姉上は行為を怖がっているようだったから、私が迂闊に触れようものなら、本能で体が勝手に攻撃してくるかもしれない。だが、姉上には申し訳ないが、私の方でも初夜に営まないという選択肢はなかった。戦闘になったらなったで防戦し、姉上を宥めながらじわじわ体力を削って持久戦に持ち込むしかないと覚悟していたのだが、葡萄酒が入ったことでいい感じに姉上の肩の力が抜けた。
――長い夜になりそうだと思っていたが、別の意味で長い夜になった……。
私は完全に夢見心地だった。
だってそうだろう。ライスターにいた頃と同じようにひとつ城に住み、しかも今は姉上と寝室が同じなのだ。毎晩一緒……。浮かれるなという方が無理だった。
――ようやく、ようやく私の人生の夜が明けた……。
守護者などという貧乏くじを引いて苦節七年。ようやく手に入れた幸福に酔ってしまったのか、私の頭は少々馬鹿になっていた。
――いや? ちょっと待て。
これは由々しき事態ではないかと気づいたのは初夜から既に三日後、公務の間に長椅子に寝そべり、姉上に膝枕をしていただいていた時のことだった。
私はのそりと身を起こし、姉上にだけ聞こえるよう、姉上の体に手を回して耳元で囁いた。
「姉上……。姉上が実は下戸だというお話ですが」
「う、うん、ねえ……ちょっと近……?」
「どうしてそんな大事なことを、事前に教えてくれなかったのです」
頬を赤く染め、くたりとシーツに沈んだ姉上は、普通のご令嬢と何ら変わらぬ戦闘力のなさだった。あの時は呑気に「可愛い」とか「これはこれで新鮮だな」などと思っていたが、よくよく考えれば、姉上はほんの二口程度の葡萄酒でああなってしまうのだ。もしも私の不在時に、よからぬ目的を持って姉上に酒を飲ませる輩がいたら……。
「ごめん、そんな設定、私も忘れてて……」
――忘れていた⁉ こんな重大なことを⁉
私は驚き、姉上を更にきつく抱きしめた。
「あ、姉上、そんな悠長な。もし悪い男が姉上に酒を飲ませようとしたらどうするのです」
「え? それは……飲まなければいいだけでしょう……?」
「ですが、無理やり口をこじ開けられて……」
「そんなことしてくる男は鉄扇の餌食だよ」
「で、でも、もし葡萄ジュースを装って飲まされたら」
「そんなの、飲む前に気づく」
大丈夫大丈夫、と姉上は自信たっぷりだった。だが、私はまったく安心できなかった。姉上にこっそり葡萄酒を飲ませる手口など、秒で数通り思いついてしまったからだ。私は暗澹たる気持ちで尋ねた。
「姉上……。姉上がうっかり葡萄酒を飲んだと仮定します。その時、たまたまその場に私がおらず、私以外の男と二人きりだったらどうするのです?」
「そんな状況ある……?」
「絶対にないとは言い切れませんッ」
ライスター人の悪いところだった。圧倒的な武力と豪胆さで、大抵のことは起こってからでも十分対処できてしまう為、事前に対策を立てて気をつけておこうという発想がない。
姉上に回した手に力がこもった。
「あ、姉上、他にも忘れている設定はありませんか」
「う……うーん? どうだったかな……? ない、と思うけど……」
姉上の口調があやふやで、私はますます不安になった。これ以降、姉上の身の安全と貞操に関し、私はどんどん過敏になっていくのだが、これははっきり言ってほとんど姉上のせいである。
「――あ」
「何です? 何でも言ってください」
「い、いや、そういうんじゃないんだけど、そういえば、あの時飲んだ葡萄酒、美味しかったな、って……」
姉上はうっとりと微笑んだ。深い赤紫の目がとろんとして、極上の葡萄酒をまさに今、舌に乗せているかのように。
「さすがダルメス、って思ったんだよね……」
「……」
くッ……この顔可愛い。だが何という危機感のなさだろう。よからぬ者に決して知られてはならない秘密を抱えていることに、姉上はあまりにも無自覚だった。
「姉上…………私は、姉上に甘い。自分でも、その自覚はあります……」
「あ、うん。そうだね。ジュールズはいつも優し……」
「ですが、それは間違っていたかもしれません」
私の口から、自分でも驚くほど低い声が出た。
「姉上。時にはご褒美ではなく、罰も必要でしょうか……?」
――何だ、あの捨て台詞。大体、ご褒美をもらっているのは常に私の方ではないか……。
あの後、ぷいと公務に戻った私は、すべてを終えてからも気まずくて姉上のところへ行くに行けず、自室で悶々としていた。
そういえば、姉上への罰って何だろうな……。
しばらく会わない、しばらく縦抱っこしない、しばらく寝室をともにしない――罰としてぱっと思いつくのはこんなところだが、これはすべて、姉上ではなく私への罰である。そもそも姉上に罰なんておこがましい話だった。世俗の身分は私が上かもしれないが、姉上は地上の序列など超越した至高の存在である。ああ、でも、思い知らせてやりたい。いや、そんなことできない。この世で最も愛しい人、姉上。私のクロティルダ。
「はぁ……姉上が好き過ぎて、如何ともしがたい……」
「結構なことですね。陛下のお悩みはいつも平和で僕も安心です」
私の書き物机の文具を整えていたオレールが軽い返事をよこした。オレールには分からないのか……海より深い私の苦悩が。
待てよ――。姉上との触れ合いを止めるのが私への罰になるとすれば、その逆、私の気が済むまで触れ合うことが、姉上への罰になるのではないか。
縦抱っこも……嫌がっていたし。
「――陛下⁉ どうされました? 妃殿下をお呼びしましょうか?」
「いや、いい……」
私はその事実に打ちのめされ、床にうずくまった。
その夜、私が別室で眠るとでも思っていたのか、姉上は油断してさっさと床に就いていた。
「あ……ジュールズ……」
「私がいないと姉上は早寝ですね」
早寝早起きが推奨されるライスターっ子のお手本のような方である。姉上は私を迎え入れようと、掛け布を取って身を起こした。
「あ、あの、ジュールズ、さっきは……」
夜着に身を包んだ姉上が気まずそうに切り出す。目を上げた姉上は私が手にしている葡萄酒に気づき、その美しい目を見開いた。
「……ダルメスの葡萄酒がお気に召したようでしたので」
姉上に飲ませる為に持ってきたのだと暗に告げ、私は寝台に腰を下ろした。勘のいい姉上がさりげなく後ずさる。私は葡萄酒の栓を開け、杯に少し注いだ。馥郁たる香りが薄暗い室内にふわりと広がる。味もきっと姉上のお気に召すだろう。私は葡萄酒を口に含み、常人にはあり得ぬ速さで姉上を絡め取った。
「ジュールズ……んっ」
――姉上。前回は完全に不意打ちだったから、飲んでしまったのだと思いましたか……?
たとえ姉上が万全の態勢であろうと、私は容易く姉上の唇を塞ぎ、葡萄酒を飲ませてしまうことができた。血の滲むような努力の果てに、この世の誰より強くなったからだ。
私は姉上の体の自由を奪ったまま、二口目をあおって姉上に流し込んだ。
姉上がくたりと寝台に沈む。飲み切れなかった葡萄酒が一筋、姉上の白い喉を伝った。私は舌を這わせ、それを舐め取る。姉上は力の入らない体で、身をよじって私の舌から逃れようとした。無駄なことだ。
私は身を起こし、姉上を見下ろした。
綺麗な葡萄酒の色の瞳が潤んでゆらゆらと揺れ、「何故」と問うていた。
何故も何も……。
私は浅く笑った。
耐え難い――姉上が私以外の男の前で、こんな無防備な姿を晒すなど。
「待っ……」
「待たない。言ったでしょう、罰が必要だと」
だから今日は私の好きにする。これは罰なのだから、どれほど抵抗されても途中で止める気はない。
「ジュー……」
私は強引に姉上の唇を奪った。唇の横がご褒美ならば、唇そのものへの口づけは何だろう。姉上は驚いていたが、抵抗しなかった。できないだけだ。それをいいことに、私は互いの口内に残る葡萄酒の残り香を荒々しく混ぜ合わせる。夜着の上から姉上の体に手を這わせ、動けない姉上の柔らかい曲線をなぞる。
みじめだ。
思い合う二人なら、これは罰でも何でもなく、愛を確かめ合う行為なのに。
私ばっかり姉上が好きで――。
「ジュールズ……泣かないで……」
姉上がままならぬ腕を懸命に持ち上げ、私の頬を挟んだ。目が潤んでいることを、私はそこでようやく自覚する。
随分と締まらないことだ。押し倒している相手に気遣われるなんて。
いつまで経っても私は姉上の「弟」でしかない……。
「姉上は、私のことをどう思っているのです……?」
私は捨て鉢になって尋ねた。この際はっきりさせてしまえ。いつまでも私を「弟」と思っているなら、そうではないと今日は体に教えてやる。
「え……? どうも何も……お前は誰より大切な、私の最愛の……」
「――姉上の最愛の?」
ごくりと喉が鳴る。
私は息を詰めて、姉上の麗しい唇が動くのを凝視した。
「夫……?」
「うあねうえぇぇぇぇーーーーーー!!!!!!」
「夫」に反応し、私は凄まじい速さで姉上の背とシーツの間に手を差し入れた。私にぐっと抱き上げられた姉上の体が、私の腕の分だけシーツから浮く。
「ほ、ほ、本当ですか……ッ」
「? 何故そんな反応なの……?」
姉上は不思議そうに目を瞬かせた。この仕草はちょっと子供っぽくて可愛い。酔っ払いというより、幼女のようなあどけなさで姉上が尋ねた。
「ジュールズは、私のこと好き……?」
「好きです愛しています言葉では言い尽くせないくらい大好きですッ!」
「ふふ、そうだよね……ありがと……」
たおやかな手が私の首の後ろに回される。
姉上は私の目をまっすぐに見上げて言った。
「お前がダルメスに帰った後、ほんとうは不安だった……お前のそばにはもう、別のひとがいるんじゃないかって」
「あり得ません何ですかそれはッ私が愛しているのは姉上ただお一人ですッ」
姉上がふにゃっと笑った。
「うん……わかってる。だから、ジュールズも信じてよ……。私が愛しているのは、ジュールズただひと……」
「うあねうえぇぇぇぇーーーーーー!!!!!!」
私は姉上の首筋に顔を埋めた。
姉上がくすくす笑って私の髪を優しく撫でる。
「ねえ、さっきの罰、本当に効いた……お前のつらそうな顔を見せられるのは、ひどい罰だよ……」
「そう、ですか」
情けない涙声を聞かせたくなくて、ちょっと素っ気ない返事になってしまったが、姉上は分かっているというように、私の頭をぽんぽんと撫でてくださった。
「うん……だから、気をつけておく……お前を不安にさせないように」
「はい……」
姉上の言葉に具体性はないが、姉上らしい誠意は感じた。今後は多分、姉上なりに気をつけてくれるのだろう。もうそれでいいと思った。足りない部分は私が補えばいいだけのことだ。私は姉上の「夫」なのだから。
「あ、姉上……さっき、一番大事な部分を遮ってしまいました……」
姉上が愛しているのは、私ただ一人だとせっかく言おうとしてくださっていたのに。
姉上は男らしくふっと笑った。
「何度でも言ってあげるよ……。私がこの世で愛しているのは、ジュールズただひ……」
「うあねうえぇぇぇぇーーーーーー!!!!!!」
言わせたいのは山々だったが、聞いたが最後、嬉しくて狂い死ぬ。私の振る舞いが可笑しかったのか、姉上は「もう」と私の腕から逃れ、お腹を抱えてくっくっと笑い出した。
「姉上……」
「んー……?」
さっきの今で何だが、お腹に回された手が、脱がせるのに邪魔だと思った。
罰は知らない間に終わっている。
ならば、これからは互いの愛を確かめ合う時間。
私は姉上に再び覆いかぶさった。
「姉上、姉上」
「ふっ……くすぐったい……」
私のように綺麗な顔をしていると、何故かその手の欲とは無縁だと思われがちなのだが、男なんて所詮はみんな同じでみんな獣である。私は性急に姉上を求め、いい感じに肩の力が抜けている姉上は、初夜よりも少しだけ大胆に身を委ねてくださった。
「ジュールズ……好きだよ……」
「くっ……あなたは、声まで甘い……」
葡萄酒の色の瞳と、蕩けるような声に酔いしれる。
姉上はさながらリキュールを垂らした生クリームで、私は夢中になって甘い体を貪った。




