番外編&後日談・姉上、縦抱っこしたいです
去年の11(いい)22(夫婦)の日に上げようと思っていた短編
姉上が女装します(女装……?)
母上のお供、城での公式行事、晩餐会などなど。
普段は気楽な男装で通している私だが、さすがに月に数度は淑女の恰好をする。
その日も某騎士家でのご婦人方の茶会に招かれ、似合いもしない女装姿で母と出席した。
「クロティルダ、お前ももう年頃なのだから、普段からそのような恰好を……」
「ですが、この恰好ではいざという時……」
帰りの馬車の中、向かい合って仲良く揺られながら、私に女装をさせたい母と、絶対に女装したくない私の会話はいつものように平行線を辿っていた。
「どうしてそうも嫌がるのか……。我が子ながら、お前は本当に美しい。なのにこれでは宝の持ち腐れではないか……!」
涙交じりのお小言をふんふんと聞き流しながら、私は馬車が停まる頃合いを慎重に見計らっていた。先程城の門を潜ったからそろそろだ。
「クロティルダ、聞いているのですかッ!」
――今だ!
馬車が停車するや否や扉を開け、外に躍り出る。
「鍛錬がありますのでこれで!」
「クロティルダ!」
私は母を置いて全力疾走した。淑女である母が走って追いかけてくることはない。この話はこれで打ち止めだ。
脱兎のごとく城に駆け込むと、計ったようなタイミングでジュールズが現れた。
「姉上、お帰りなさい」
「ただいま」
可愛い弟のお出迎えに、我知らず頬が緩んだ。育ち盛りのジュールズは剣技も身長も伸びが目覚ましく、僅差ではあるが、先日遂に身長は追い抜かれてしまった。だが顔立ちや雰囲気は相変わらず可憐で、いつまで経っても愛らしい。
「姉上、お、お綺麗です」
「ふっ。ありがとう」
分かっている。ドレスがだよね。
彼ははにかみながら私に手を伸ばした。
「姉上、縦抱っこしたいです」
「あ、うん」
どうしたんだろう。縦抱っこなんて随分していなかったのに、珍しいこともあるものだ。
抱き上げようと屈むと、彼はふるふると首を振った。
「違います」
「わっ」
ジュールズは私の曲げた膝裏に手を入れ、目にも留まらぬ速さで抱え上げた。
「ど、どうしたの」
隙のない滑らかな動き。油断していたとはいえ、あっさり抱え上げられたことにひやりとする。そうだった。普段は全然意識していなかったが、彼は「守護者」で、しかも男なのだ。この分だと、私が彼に秒で倒される日は早々に来てしまいそうだ。
「私もそろそろ育ってきたことですし、姉上にやっていただいて嬉しかったことを、私も姉上にして差し上げたくて」
「ジュールズ……」
何て可愛いことを言うのだろう。
感激のあまり胸が一杯になった。
「いけませんか」
いけませんかも何も、もうされている。ジュールズは片腕に私を乗せ、もう片方の手で私の腰を囲い込むように抱いていた。落とさないよう添えてくれているのだろう。彼の抱き方はしっかりとしていて安定感があり、私が暴れない限り彼が私を落とすことはなさそうだったから、これは彼の優しさの表れだった。
「ううん……。大きくなったね」
私はジュールズの方に体を傾け、さらさらの髪を撫でた。
「――ええ。大きくなりました」
……今の間は何? 今一瞬、スゴい目で睨まれなかった?
ジュールズは何事もなかったように優しく微笑み、私の居室まで縦抱っこで送ってくれた。気のせいだったようだ。
「姉上、またいつでもして差し上げます」
「ありがとう。楽しみにしてる」
ジュールズは満足げに去っていった。
大人ぶりたいお年頃なのだ。
安易な返事が良くなかったのか、これ以降、私が女装した時はジュールズに縦抱っこされるという習慣が何となくできてしまった。
「クロティルダ、何故気づかない……? あれはお前に抱きつく口実だし、他の男への牽制だ」
ネイス家の用事で、ベルンハルトが久々に城にやってきていた。彼は先程、ジュールズに縦抱っこされている私を目撃したらしい。「ちょ」と物陰に私を引っ張り込み、開口一番、呆れたようにそう言った。壁にもたれて腕を組み、明らかに引いている。
「ベルンハルト、考え過ぎだよ。大体、ジュールズはまだ子供……」
「――変態息子、姉上から離れろ」
振り返ると、毛を逆立たせた猫のようなジュールズが立っていた。お前、足音も立てずいつの間に? ベルンハルトは壁にもたれたまま、不敵な笑みを浮かべた。
「よお、ジューリア、久し振りいぃ。今日は男の恰好なのか? ざあぁぁんねんだなあぁぁぁ……?」
二人の間で火花がバチバチと散る。
また始まったと私は肩をすくめた。よくもまあ飽きもせずと思うが、これはこれで彼らなりの触れ合い方なのだ。
何かと絡んでくるベルンハルトをジュールズも意外とよく相手にしているし、理由は分からないが、ジュールズと接することでベルンハルトも女性への敬意を育み始めている。普段は猫を被っているジュールズが素で接することが出来る相手は貴重だろう。
結論、本人たちが何と言おうと、二人はいい関係だった。
じゃれ合っている二人を尻目に、私は女装を解くべくさっさと居室に戻った。
「――姉上」
ゲリュオネス二世ことジュールズが当然のように私を腕に招いた時、驚いたのは私だけではなかった。
周囲が騒然とするのも構わず、ジュールズは硬直している私の体に腕を回して抱き上げる。
「ジュールズ、こ、こ、これは?」
「これは、とは?」
ジュールズは不思議そうに尋ね返してきた。いやいや、おかしいおかしい。私が女装したら縦抱っこというのが彼の中では定着しているようだが、それはあくまでライスターでの、彼がぎりぎり子供だった頃の話である。そもそもダルメスに嫁いだ後の私は常に女装していた。つまり。
「ま、まさか、毎日する気じゃ……」
「いけませんか」
「だっ、駄目に決まってるだろう!」
「何故です? 会えなかった間の分まで私はしたいです!」
ジュールズはまっすぐな目で主張してきた。
う……。そんな顔は止めて……。
潤みかけている綺麗な目が哀れを誘う。私は彼に身を屈め、ぼそぼそと小声で懇願した。
「ジュールズ。お願い……。もう大人だから、こんなの恥ずかしいよ……」
「う……っ。私たちは夫婦なのですから、何も恥ずかしくありません!」
ジュールズは茹で上がったように赤くなったが、主張は曲げなかった。
「う、う、じ、じゃあ……たまに、なら……」
「たまに、とは?」
「三か月に一回、とか……?」
「分かりました。三日に一回で我慢します」
「う、うん。じゃあそれで……」
月と日を言い間違えただろうか……? だが渋々妥協したという雰囲気のジュールズにそれ以上何も言えず、私は三日に一度、大人しく彼の腕に乗ることになった。
「姉上」
今日もいい笑顔でジュールズが私を見上げる。
「今日は庭を散策しませんか。薔薇が見頃です」
「へえ、いいね」
そのうち飽きると思っていたが、一年が過ぎる頃になっても三日に一回のペースは落ちなかった。ジュールズが不在で出来なかった時はその分が追加されるので連日となる。五日不在だと繰り上げでプラス二回だ。おかしい、と強く思うが、そう思っているのはどうやら私だけのようだった。
「妃殿下、陛下があそこに」
「ああ、今日はお乗りになる日でございましたね」
私と違って宮廷人たちはすっかりこの状況を受け入れていた。ダルメスは元々、男女が人前でイチャイチャすることに寛容なお国柄である。
「愛されておりますねえ、妃殿下……」
「……」
それは分かる。
しかも困ったことに、彼に縦抱っこされるのが私も嫌ではないのだ。好きな人の安定感のある腕に乗せられ、優しく見つめられるのは。
ジュールズはこの一年で更に背が伸び、髪も伸ばし始めてぐっと大人っぽくなっていた。背の中程まであるさらさらの髪をうなじでひとつにまとめ、今の彼は愛らしいというよりしっとりとした美人である。
臣下を引き連れ、ジュールズが向こうから歩いてくる。前回の縦抱っこから早や三日。この後、「姉上」と声をかけられ、腕に乗せられるのだろう。
だが、と私の中にむくむくと反抗心が湧いた。
いつもいつも彼のペースではつまらない――。
「姉上」
「ジュールズ」
彼がいい笑顔を見せ、私も彼に微笑みかける。
私は彼のそばまでゆったりと歩き、途中から助走をつけて跳んだ。
彼なら絶対に受け止めてくれるという確信があったから。
「姉上!」
彼が毛先を尻尾のように揺らして私を抱きとめる。いつものように安定感のある彼の腕の上に落ち着き、私はにんまりと笑ってみせる。
「――姉上……」
え、怒ってる?
ジュールズは急に表情を消し、ものも言わずに手近な部屋へと私を連れ込んだ。
私を長椅子に降ろし、片膝を乗り上げる。彼は険しい表情のまま、背もたれに両手をついて私を囲い込んだ。
「姉上……。人前でそんなことをして、おみ足が見えてしまったらどうするのです」
「え。跳び降りるならともかく、跳び上がる時にそんなこと……」
「姉上が跳び上がった瞬間、下から突風でも吹いてスカートも下着も全部めくれてしまったらどうするのです?」
「とっ……ぷう……?」
何を想定しているのか。そんなことを言い出したら、おちおち外も歩けないじゃないか。私たちは互いの真意を探るように見つめ合う。ジュールズは苦悶に満ちた表情を浮かべ、ふう……とため息を吐いた。
「万が一、姉上のおみ足が私以外の男の目に触れたなら、私はその者らを全員始末しなければなりません」
「え、嘘。駄目だよそんな……」
「ではどうかお気をつけください。姉上の美しいおみ足が、不埒な男の目に触れぬよう」
「わ、分かった。何か、ごめんね……」
「分かっていただけたならよいのです。あ、あの、ああいうのは寝室で二人きりの時は構いません」
ジュールズはきりっとした顔で言った。
「むしろ是非どうぞ」
「あ、うん……」
ジュールズの顔が近づいてくる。
「姉上……クロティルダ」
かすれた声で名を呼ばれた後、しっとりとした口づけが降ってくる。驚いて彼の胸を押すが、ジュールズはびくともしない。それどころか彼は私の手を取り、指を絡ませて抵抗を封じた。何度も柔らかく合わさった後、彼の唇がよそへ移る。私はようやく解放された唇で慌てて抗議した。
「ジュールズ、今は駄目だよ。皆が……」
「妻が可愛過ぎて連れ込んだのだと皆思っていますから大丈夫です」
何それ。全然大丈夫じゃない。しかもとんだ誤解じゃないか。
「実際そうですし」
そうなの? お前は女装している私が人前で跳んだことに怒ってるんじゃないの?
混乱している私の耳に、控えめながら確固たるノックの音が聞こえてきた。
「陛下、お取込み中のところ申し訳ありませんが、そろそろお時間が」
オレールの声だ。ほら見ろやっぱり駄目じゃないか。
「ジュールズ、公務」
「……」
ジュールズは私の首筋に顔を埋め、深く息を吸い込んでから渋々離れた。
「姉上、約束しましたよ」
「うん」
ジュールズが出ていき、入れ替わりに侍女たちが入ってくる。彼女たちが手慣れた様子で私の髪と衣装を整える。
もう人前では跳ばない――そういう話だと思っていたが、ジュールズの言う約束とは、今宵夫婦の寝室でジュールズに跳びつくことだったらしい。
「あ、姉上」
そんな約束をした覚えはないが、ジュールズは私が跳びつくのに丁度よい距離を保ち、してほしそうな顔でちらちらと私を見ている。ああもう――。
可愛い無言の催促に負け、私は助走に入った。
pt・ブクマ・リアクション・感想いつもありがとうございます
都合により感想欄は閉じましたが、自分が書いたものに反応をもらえるのはとても嬉しく、明日への活力となっています




