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姉上、ご褒美をください  作者: 初春餅


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18/20

番外編・ジュールズ最後の女装

ジュールズ15歳、姉上18歳頃

ジュールズの出立がそろそろカウントダウンに入った頃です

これが本当に最後かどうかは神のみぞ知るですが、

ジュールズ的には「イヤもうマジ最後だからな」と思っている

 何事にも終わりはある。


 例えば成長期男子の女装など。


 ――母上様、私もそれなりに育ちましたし……その、もう、こういうことは無理があると……。


 あと半年で十四になるという頃、ジュールズは遂にそう切り出した。


 亜麻色の髪は美しく編み込まれ、頭頂部には銀細工の小さなティアラ。ほっそりとしたたおやかな体を包むのは、薔薇の花びらのような淡いピンクのドレス。顔立ちも雰囲気も相変わらず可憐なジューリアは、本人の弁とは裏腹に、どこから見ても無理なところのない完璧なお姫様だった。


 ――何を言うのです。お前はその辺の女子より余程……。

 ――待てイルゼッ。それ以上は言ってやるな。


 ずっと気にしていたようではあるが、それまで口を挟まなかった父が遂に介入した。


 ――ですが、お館様。


 母は優雅に眉を寄せ、不服を表明するが、父は「いいか、イルゼ」と母の肩に手を置いた。


 母を懇々と諭して曰く。


 年頃の男子にいつまでもこんな恰好をさせてはいけない。本人が嫌がるようなら無理強いしてはいけない。


 ――今回で最後にしなさい。


 母は渋々ながらも承諾し、ジュールズは心底ほっとしたような、実に庇護欲をそそる愛らしい笑みを浮かべた。


 ジューリアが最後に出向いたのは、とある騎士家で催された茶会だった。


 よくある社交の一環だ。領内のご婦人方との、形式ばらないお茶とお喋りの時間。


 母から遠縁の娘と紹介されたジューリアは、貴婦人らとともに参加していた子女たちと当たり障りない会話を交わし、いつものように如才なく振る舞った。


 本人の認識では、特に変わったこともなかったらしい。


 だがこの日、美しいジューリアの虜となってしまった若き紳士が約一名いた。






 ――その人はまるで、淡い光の中に佇んでいるようでした。


 亜麻色、というのでしょうか――サラサラつやつやの髪は、とても綺麗な色をしていました。


 頭のてっぺんには小さな冠が輝いていて、肌はお人形さんのように真っ白で、お召しになっていた淡いピンクのドレスはまるで、彼女を包む薔薇の花びらのようでした。


 人生で初めて見る、本物のお姫様でした。


 一目でいい、遠くからでいい、もう一度あの人のお姿を、この目に映すことが出来たなら。


 僕はもう、思い残すことはありません……。






「――という訳なんだ、ジュールズ」

「…………」


 恋する紳士の名はバスティアン。ジューリアが最後に訪問した騎士家の嫡男である。


 バスティアンはとても病弱な子だった。


 毎年、今年の冬は越せないだろうと言われながら、綱渡りのように細い命をつないでいる。性質は穏やかで、ライスターには珍しい学問好き。先日、十三歳の誕生日を迎えたばかりだった。


 彼がいよいよ寝台から起き上がれなくなり、医者が無言で家族に首を振った後、家族は彼に尋ねた。


 欲しいものはあるか、何かしてほしいことはあるか、と。


 彼は青白い頬をほんのりと染めて答えた。


 あの時出会ったお姫様に、もう一度お会いしたい、と。


 ジューリアが最後に赴いた茶会には、その日珍しく体調がよかったバスティアンも出席していた。


 奥方様の遠縁のお嬢様で、お名前は確かジューリア様――と、バスティアンはその日一度会っただけのジューリアのことを、とてもよく憶えていた。


 年端も行かない少年の、死の間際の願いである。


 出来ることなら叶えてやりたいのだが。


「む、無理にとは言わない……。男の沽券、とやらもあるだろうし……」


 問題はその茶会が二年前のことであり、ジュールズは今、十五歳になっているということだった。


「その場合は……あの子はものすごく遠いところに嫁いじゃって、来てもらうのが難しいとか、何とか……言うし……」


 遠方に嫁いでしまえば、里帰りなど一度もせぬまま、その地で生を終えることもざらである。政略で嫁ぐ娘の一生なんてそんなものだ。バスティアンはがっかりするだろうが、それならばと納得もするはずだった。


 ジュールズが苦悶の表情を浮かべる。


 そうだろうな……。二年前のあの時ですら、普通に嫌がっていたのだ。十五になった今ならなおさらだろう。


 ジュールズがもそもそと言った。


「無理だと思います……。今の私が女装など、気持ち悪い感じにしか……」

「えっ。そんなことないよ。いけるいける」


 そこは全然問題じゃないだろう。私がしっかりと彼の目を見て請け合うと、彼は傷ついたような顔をした。


「ジューリアや、そんなことを気にしていたのですか」

「母上!」


 いつの間にか扉口に立っていた母が、「早く言ってくれたらよかったのに」と言わんばかりに眉を寄せ、その一方で、湧き上がる喜びを隠し切れないといった、何とも言えない表情を浮かべている。


 母は背後の侍女に目配せし、ジュールズにすっと手を伸ばした。


「この母に任せなさい。さ、こちらへ」

「…………」


 ジュールズは抵抗もせず、大人しく連行されていった。


「訪問は午後になると伝えなさい」


 廊下から母の華やいだ声が響く。


 今から仕上げる気だ。じゃあお茶でも飲んで待つとしよう。


 私が「はぁい」と答えると、「呑気な返事ですね。お前も早く支度するように」と間髪入れず指示が飛んでくる。


「え?」


 意味が分からず、私は慌てて母の後を追った。


「母上、支度って……」

「お前はまさか、その恰好で行くつもりですか」

「え、ええ。私はジューリアの付き添いなので……」


 母は優雅に眉をひそめた。


「ジューリアの方が背が高い。男装のお前の方が小さければ目立つ」

「あ」


 言われてみれば。


 戦闘に特化した父や私と違い、母はこういうことによく気が回った。


「淑女の恰好をして、踵の高い靴を履きなさい。ジューリアには低い靴を履かせる。それで誤魔化し切れるとは思わぬが、何もせぬよりましでしょう」


 うへぇと思ったが、母上のおっしゃる通りである。私が渋々頷くと、ジュールズが顔を輝かせた。


 彼の気持ちが手に取るように分かる。


 女装に引きずり込む仲間が出来て、嬉しかったのだろう。






「……この度はご足労を」


 主賓のジューリアと付き添いの私が到着すると、いかにもライスター男らしい、無骨な当主が深々と頭を下げた。


「いいんだ。さあ早く、バスティアンに会わせてやろう」

姫様ひいさまはどんな恰好をされていても姫様ですね」


 当主はそう言って目を細め、自ら先に立って私たちをバスティアンの部屋へ案内する。


 私とジューリアはまるで仲の良い姉妹のように、腕を絡めて彼の後ろを歩いた。


 踵の高い靴を履いている私を気遣ってか、ジューリアがそうするよう視線で促してくれたのだ。感謝の気持ちを込めてジューリアと目を合わせると、彼女はふっと甘やかに微笑んでくれた。


「バスティアン、姫様とお嬢様が」


 先に入室した当主が声をかけると、寝台に横たわる小さな体がよろよろと起き上がろうとする。


「いいんだ、バスティアン。そのままで」


 私は急いで彼を制した。彼は今、起き上がるのも一苦労だと聞いている。無理をさせる為に会いにきたのではない。


 寝台の前には腰掛が二つ用意されており、枕元に近い方にはジューリアが、その隣に私が座った。


 当主とその妻も部屋の隅の長椅子に控える。


「来たよ、バスティアン」

「ああ……」


 十三歳だというバスティアンは実年齢より幼く見えた。


 ほっそりとした顔は目だけが大きく、透き通るように肌が白い。ジューリアを見上げる彼の目には涙が盛り上がっていた。


「ジューリア、様……」


 ジューリアがバスティアンに優しく微笑みかける。


 今日のジューリアはバスティアンの好みを反映し、頭頂部には小さなティアラ、まとっているのは薔薇の花びらを重ねたような、淡いピンクのドレスである。首にはドレスと共布のたっぷりとしたリボンを巻き、喉仏を隠していた。


「声楽のレッスンで張り切り過ぎて、喉を傷めてしまったようでね……。今日は喋れないんだ。ごめんね」


 私の説明に合わせ、ジューリアが喉をそっと押さえて悲しげに微笑んだ。


 貴族の娘にとって、声楽はあくまで嗜みのひとつである。そこまで身を入れてレッスンする令嬢もなかなかいないが、今日はこれで押し通すしかない。ずっと憧れていたジューリアの声が、普通に思春期のお兄さんの声だったらバスティアンも興醒めだろう。


「何とおいたわしい」


 顔を曇らせるバスティアンの手を取り、ジューリアは彼の気遣いに感謝を示した。


「今日の体調は?」

「はい。それはもう。良いです」

「それは良かった」

「ジューリア様」

「なあに」

「おきれいです」

「ふふ。ありがとう」


 ジューリアは困ったように笑い、バスティアンは目に見えて胸をキュンとさせていた。声を当てているのは私だが、ジューリアとは息がぴったりでとても自然な感じだった。


「バスティアン、ジューリアと何かしたいことはある?」

「あ……あ……もしよろしければ」


 彼が頬を染めて言うには、一緒にお茶がしたいとのこと。ジューリアはカップの中の紅茶をスプーンですくい、ふ、ふ、と冷まして口に運んでやった。


「何と美味なのでしょう……」


 ジューリアが口元を優しく拭いてやる。その姿は慈愛に満ちており、彼女の中身が、少し前までどうにも手が付けられなかったあの問題児(ジュールズ)だとはとても思えなかった。いや、恐らくだが、やんちゃだったあの頃も、やろうと思えば外面だけは紳士にも淑女にもなれたのではないか。面倒だからしなかっただけで。


「学問が好きなんだって? 差し入れてほしい本なんかはある?」

「あ……では、よろしければ、人体の構造とか、薬学に関する本を……」

「へえ、医術に興味があるんだ。すごいね。分かった。いくつか見繕って届けさせよう」


 私が喋り、ジューリアがおっとりと請け合うように頷く。バスティアンは嬉しそうに微笑んだ。


 私たちはしばらく他愛のないお喋りに花を咲かせた。


 彼に疲れが見え始め、そろそろお暇する頃合いだろうと思った時、バスティアンが儚げに微笑んだ。


「来てくださって、ありがとうございました。僕はもうこれで……思い残すことは……」

「バスティアン、何を言う。ジューリアは君に元気になってもらいたくて、会いにきたんだぞ」


 ジューリアがこくこくと頷く。


「ジューリア様……最後にひとつ、お願いをきいてくださいませんか」

「何でも言って」


 ジューリアはほんの一瞬、常人には分からない程度の躊躇を見せたが、すぐにこくこくと頷く。


「どうか……今日の記念に……お首のリボンをいただけませんか……」

「……!」


 そ、そ、それは……。


 私とジューリアが固まった。


「やっぱり……駄目ですか……」

「い、いや、全然、そんなことは……」


 駄目じゃないが、今外すのは具合が悪い。そのリボンは人に見せてはならないものを覆っている。どうする。今は無理だが後で届けさせると言おうか。


 私が逡巡している間にジューリアは莞爾と微笑んで、首のリボンに手をかけた。


 する、と外したリボンであれよという間にバスティアンを目隠しし、彼の唇に唇を重ねる。


 ジューリアの下でバスティアンが微かに身じろぎし、その後、動きを止めた。


 長椅子付近で当主夫妻が息をのむ気配がする。


 天に召されゆく青白き子羊と、彼に祝福の口づけを与える聖女ジューリア。


 それはあまりに神々しく、感動的な光景だった。


 やがてジューリアは何事もなく身を起こし、流れるように取り出した手巾で喉を覆った。何の意味もない行動だったが、まるで傷めた喉を庇っているかのような、自然な動きに見える。


 バスティアンは恍惚として横たわり、ジューリアは穏やかな表情のまま、しずしずと部屋を出ていく。当主夫妻が私たちに深々と頭を下げる。


「…………」


 帰りの馬車の中、ジューリアはしばらく無言だった。


 私は私の首のリボンを解き、彼の首に巻いてやった。意図せず素肌を晒した貴婦人に、そっと外套を掛ける騎士の気分である。


 彼は大人しくリボンを巻かれ、私の手が彼の首から離れると、私をじっと見据えて言った。


「――姉上、ご褒美をください」


 それは、可憐な姫君の喉から出たとはとても思えぬ低い男の声だった。


「う、うん……」


 まあ、頑張ったものね……。


 ご褒美なんてとっくの昔に終了を言い渡していたが、この時ばかりは私も彼の言いなりに顔を寄せ、唇の横に口づけた。






 聖ジューリアの口づけとリボンを受けたバスティアンは、その瞬間から生きる気力を取り戻し、嘘のようにあっさりと回復した。


「……最近は庭先を散歩するくらい、元気になっているそうだよ」


 私が告げると、ジュールズはさらさらの髪を風になびかせ、「そうですか」と優しく微笑む。


 この時の私たちはまだ知らない。


 すっかり元気になったバスティアンが、やがて大陸有数の医学部を持つ大学に留学することを。


 ――こんなん唾つけときゃ治るしぃ。

 ――治りません。


 卒業後の彼が、「消毒」という画期的な概念をライスターに持ち込み、やがてライスター公衆衛生の父と呼ばれるまでになることを。


 そんな未来をまだ誰も知らない。


 バスティアンは今はまだ、つぶらな目をした病み上がりの少年である。


「聖女様、なんて呼んだら怒る?」

「怒りませんよ」


 一時期に比べ、すっかり丸くなったジュールズとは、こんな軽口を叩ける仲だ。


 彼はひょいと身を屈め、私の顔を覗き込んだ。


「――姉上にも祝福を差し上げましょうか?」

「あ、いい。私は丈夫だし」


 さりげなさを装って、笑顔で彼から距離を取る。


 今の、上手くかわせただろうか……?


 冗談だと分かっていても、いちいち心が反応してしまう。


 苦笑しているジュールズが、まるで大人の男のようだ。


 どうしてこんな気持ちになるのか、さっぱり分からなかった。

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