後日談・ジュールズ――この夜を
本編に追い生クリームする後日談
婚礼の夜のクロティルダ視点です
私は侍女たちに誘われ、一足先に宴を辞した。
これからジュールズの為に体を磨き上げられ、寝室にて彼を待つ為である。
――遂にこの日が来てしまったか……。
婚礼の宴はまだ続いている。だが、女たちは女たち同士で別室に移り、宴席に残っているのはもう男たちだけだった。男同士の気安い席で、ジュールズは今頃、皆から浴びるほど祝福の杯を受けていることだろう。
私は着替えの間に入り、侍女たちに装身具と婚礼衣装を外された。
おお。体が軽い。
続き部屋に据えられた浴槽に浸かり、私は湯の中で「うーん」と手足を伸ばした。
そっか……。私はこれからジュールズの妻になるんだな……。
――姉上。
礼拝堂での結婚式も、大広間での祝宴の間も、ジュールズがずっと隣にいて、目が合うとにっこり微笑んでくれた。
正礼装をまとった彼は惚れ惚れするほど美しく、そんな彼に何度も「姉上、お綺麗です」と言われるのにはまいってしまった。
「本当に変わってなかったな……」
会えなかった月日の長さを感じさせないほど、彼はあの日別れた時のまま、私をとても好きなままだった。
湯から上がると、侍女たちが私の頭からつま先まで、丹念に香油を塗り込む。
その間中、彼女たちもまた「お綺麗です」と盛んに気を遣ってくれた。
もしここがライスターで、相手が普段接している領の若い娘たちだったなら、私も気軽に「気を遣わなくていいよ」と言えたのだが、今の私はいずれ劣らぬダルメス美女たちへの気後れと、これから始まることへのプレッシャーで、ぎこちない笑みを浮かべることしか出来なかった。
すっかりつやつやになった後、侍女たちに着付けられ、脱ぎ着がものすごく簡単そうな薄い夜着に手を通す。
支度が終わると、別の扉から続く夫婦の寝室に連れていかれた。
「では、こちらにて陛下をお待ちください」
う……。
広すぎる寝台の存在感がすごい。
天蓋付きの寝台を覆う垂布は紐で止められ、美しい襞を形作っている。中からは上質のリネンがこぼれ、寝台の脇には優美な猫足のサイドテーブルが寄り添うように据えられていた。テーブルの上には葡萄酒と、瀟洒な杯が用意されている。
侍女たちは一礼して去っていった。
私は寝台の端に座り、ジュールズを待つだけとなってしまった。
うう……。この時間。
早く来てほしいような、来てほしくないような。
「姉上」
――早くないか?
ジュールズは思ったより早く来た。彼も湯浴みをしてきたようで、亜麻色の髪がまだ少し濡れている。頬が微かに上気していて、彼が私を一人にしないよう、急いでくれたのが分かった。
「お待たせしたでしょうか」
「え、ううん。私も今来たばかり」
そう答える私の声は、明らかに上擦っていた。
まずい。
しかも何だ、この答え方は。社交マナー教本の見本回答か。
緊張で歯がカチカチと鳴る。
だ、だ、大丈夫、ジュールズにすべて委ねていれば、彼は悪いようにはしないと母上が言っていた……!
父は全然だが、母には私とジュールズの間に何もないことなどとっくに見抜かれている。
あそこまで迷いのない目でやられると、かえって清々しいのぅと母は感心していた。
勘のいいジュールズが訝しげな顔をする。私の様子がおかしいことに気づいている。
「姉上、お顔の色が……」
ジュールズが心配そうに近づいてくる。私がこんな体たらくである一方、彼の様子は普段とまったく変わらないように見えた。足取りも普通で、婚礼の夜の浮かれた花婿という雰囲気は微塵もない。
「お前、宴なのに飲んでないの……?」
「そこは調節しました。飲み過ぎると初夜の夫の務めを果たせなくなると聞いたものですから」
「ふぅん……」
冷静だな……。私なんて緊張のあまり胃が裏返りそうなのに……。
今どきの子であるジュールズが、年長者からの祝福の杯を「あ、この後、初夜なので」と普通に断っている様子が目に浮かんだ。
「姉上は少し召し上がった方がいいようです」
ジュールズはそう言って、サイドテーブルの葡萄酒を開け、杯に注いだ。
「姉上の目の色と同じ色です……」
独り言のように呟いて、杯の中身を一口含む。テイスティングかな……? と思っていると、流れるように無駄のない動きで唇を塞がれた。
――あ。
油断していた私は、口内に流し込まれたそれをこくんと飲み込んでしまった。
不覚――。
ほんの一口の葡萄酒が私の体に流れ込み、私の肌をみるみる赤く染めてゆく。
「ジュールズ、駄目……」
私はうろたえ、弱々しく首を振った。
ジュールズは喉をこくりと上下させると、抑揚のない声で「はい……」と言い、肩が触れるほどそばに座った。
私の隣で、彼が今度は味わうように、杯の中身を一口飲んだ――のかと思いきや、再び私に口移しで飲ませた。
何だ、この動きは……!
「ジュールズ、本当に、駄目なんだってば……」
致命的な二口目を食らい、私はくたくたと寝台の上にくずおれた。
「姉上⁉」
ジュールズが私の顔の横に手をつき、私の顔を覗き込んでいる。まるで組み敷かれているような体勢である。
彼の下で、私はぼそぼそと秘密を打ち明けた。
「いままで黙っていたけど……っていうか、ずっと飲めるふりをしていたけど……じつは私、ものすごくお酒によわくて……」
ちゃんと喋れているだろうか。既に呂律が回っている気がしなかった。
父は底なしに強い。母は軽く嗜む程度。二人の間に生まれた私は、よりにもよってここだけは父に似ず母に似て、ほんの数口で真っ赤になるほど弱かった。「こんなん水じゃあ」が合言葉のライスターにおいては致命的な弱点である。
私が次期辺境伯ではなく、ただの令嬢だったのなら何の問題もなかったのだが、いずれ全ライスターの頂点に立つ身(※当初はその予定だった)、この事実は何としても隠し通さねばならなかった。
――という、訥々とした私の事情説明を聞きながら、ジュールズは私の上で固まっていた。
そうだろうとも……。十八を過ぎる頃には既に酒豪で通っていた私が、まさか全然飲めないだなんて思うまい。私の杯の中身が全部葡萄ジュースだと知っていたのは、ごく一部の者だけである。
酒豪設定は「どうせ隠すなら徹底的に」という母の案だったのだが、私は正直「そこまでしなくても」と思っていた。恐らくだが、父もそう思っていただろう。当時の我々が母に意見することなどなかったが。
「あ、どうしよう……いま敵襲があれば、私は……」
「敵襲などありません。あったとしても姉上には指一本触れさせません」
「ふふ」
ジュールズが面食らったように目を瞬いた。
あああ。まずい。ジュールズは真面目に私の相手をしてくれているのに。
何かもう体と心の弛緩が止まらなかった。
「はぁ……ふわふわして気持ちいい……」
私が先程いただいたのは、ダルメス王室御用達の、さぞかし良い葡萄酒なのだろう。鼻に抜ける香りはふくよかで、酔い心地も極上である。
ジュールズは私の手を取り、指先に口づけた。
「気持ちいいだけですか……? 気分が悪くなったりはしていませんか」
「うん。気持ちいいだけ……」
ジュールズはほっとしたように笑った。
私を見つめる淡い褐色の瞳が、熱を帯びていてやけに綺麗で、ああ、この男は本当に私を好きなんだなと唐突に思った。
彼が私の額に手を伸ばし、よしよしと愛おしげに撫でる。
「姉上、どうして泣いているのです」
「え……? 幸せで……」
ダルメスに向かうジュールズを、私がどんな思いで見送ったのか、彼は知る由もないだろう。
一年間離れていたから、本当は怖かった。
でも、久々に会ったジュールズが、昔とちっとも変わらなくて、こっちが気後れするほど言葉や態度で、好きだと伝えてくれたから……。
よいしょ……と、私は彼の首の後ろに手を回した。
ジュールズが綺麗な人形みたいに固まる。
私は泣きながらふにゃっと笑った。
「ジュールズ……私、いい妻になるよ……」
「――――ぅあねう○△※□*◇#$%&……!!!!!!!!」
彼が意味をなさない言葉を発しながら、私に覆いかぶさってくる。
顔中に彼の唇が降り注ぎ、合間で彼は何度も姉上、姉上とうわ言のように呟いた。
「姉上、愛しています。大好きです」
「ん……」
指と指を絡ませて手をつなぐ。
長い長いキス。
「姉上……」
ぽつりと呟いた唇が肌に触れ、愛おしさが胸に溢れた。
「怖いですか」
「ううん……。怖くない……」
ジュールズが明らかに安堵の表情を浮かべる。もしかしたら彼も緊張していたのかもしれない。
彼が私の頬に口づけて囁いた。
「姉上、大丈夫です。万事私にお任せください」
嫌がることは絶対にしないというジュールズの意思を感じ、私は素直に「うん」と頷いた。
その後のジュールズは無口だった。
言葉はなくとも触れ方が愛を、眼差しが気遣いを伝え、私の眦に溜まった涙を彼の唇が吸い取った。
彼に導かれ、体温が混じり合う。
優しく体に刻みつけられたこの夜を、何と呼べばいいだろう。
生クリームたっぷりの甘いお菓子を食べるように、ジュールズはぺろりと私を食べた。
今回は番外編ではなく後日談
姉上がジュールズを愛していることも、今とても幸せだということも、確かにジュールズに伝わった夜でした
ジュールズsideの心情は皆様のご想像に委ねます




