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姉上、ご褒美をください  作者: 初春餅


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16/20

番外編・ジュールズ妄想劇場

ジュールズ13歳、姉上16歳あたり。


じ「魔獣狩りの同行を許可するッ」

ジ「はいッ」


ってなってからのお話です。

 私にとって二度目の魔獣狩りだった。

 

 ライスター家の人々――この場合、父上と姉上だが――は、ピクニックに行くような気軽さで、少なくとも月に一度は魔獣狩りに赴く。


 万一領民が襲われた時の被害が甚大なのと、そこそこ強い程度では魔獣に太刀打ちできない為、「我らが行かずして誰が行く」ということらしい。


 だが、ライスターにはそこそこ強いどころではない猛者がごろごろしており、分家の変態息子ですら単独で魔獣を倒すことが出来る。


 要はこのお二人らしい熱き使命感なのだと思われた。


 ――今日は見学だけね。実戦はそのうち。


 剣の師であるガルバレク先生の許可が下り、初めて魔獣狩りに同行した時。


 何かあれば私を抱えて跳ぶ気満々の姉上に守られ、私は父上の戦斧が鮮やかに舞うのをひたすら眺めているだけだった。


 だが、二回目となるこの日は違った。


「ジュールズ、やってみるか」

「はい」


 試みに、ということではあろうが実戦、しかも先陣の任が与えられたのである。


「父上――」

「何だ。いつまでも実戦を経験させぬつもりか」


 姉上は時期尚早と思われたようだったが、父上は意に介さない。私はドゥミリューヌを呼び出し、いつものように肩に担いだ。


「姉上、ご心配なさらず」


 長くて扱いにくそうな見た目だが、これに慣れてしまった今では、普通の剣の方が持ちにくいし間合いが取れない。ずっと一緒にいることもあってか、しっくりと手に馴染むドゥミリューヌは私の意のままに動き、この頃の私は同年代や少し上の世代には既に敵がいない状態だった。


「必ず仕留めてみせます」


 この機会を逃す気はなかった。私は未だ姉上より弱いが、もう分家の変態息子よりは強い。そして変態息子は既に数頭屠っている。これ以上遅れを取る訳にはいかなかった。


 私はそっと目を伏せ、姉上に告げた。


「私の最初の魔獣は姉上に捧げます」

「うん? ありがとう……?」


 勿論、一頭だけなんてけちなことを言うつもりはありません。私は愛するあなたの為、これから何百何千何万頭でも魔獣を狩ってみせましょう。


 だからどうか、私を選んでください姉上。


「ジュールズ、大事なのは」

「分かっています。身を守ること」


 最優先事項は生きて帰ること。だから無理はしない。そして油断もしない。


「家に帰るまでが魔獣狩りです」


 姉上に何度も言われた言葉を復唱し、私は意気揚々と森に分け入った。


 狩りといっても毎回必ず魔獣がいるとは限らない。いなければいないで大変結構、いたらいたで漏らさず全頭倒すというだけである。だがこの日、私は森へ入って早々彼らの気配を嗅ぎ取った。


「います」


 低く囁くとお二人も頷いた。私が彼らの気配を読み違えるはずがない。あの独特の臭気は、理屈を超えた本能の部分ではっきりと記憶している。


 私が立ち止まり、お二人もすっと後ろへ下がる。父上は右へ、姉上は左へ。私はドゥミリューヌを鞘から抜き放ち、襲撃に備えて身構えた。


 直後、地から湧き出たように魔獣が右斜め前方から襲いかかってきた。


 腹が空いて待ちきれぬらしく、既に口を大きく広げている。


 ――この不届き者ッ!


 魔獣の貪欲な視線は私を通り越し、明らかに姉上を狙っていた。


 姉上の前に回り込み、騎槍ランスのようにドゥミリューヌを構えて獣に躍りかかる。喉奥から獣の背を突き破り、ぐっと上に引き上げる。


 見間違いようもなく串刺しにしたというのに、獣の勢いはまったく衰えなかった。


 ドゥミリューヌを半ば呑み込んだまま、獣は凶暴な爪を狂ったように振り上げる。だが遅い。私が心臓ごとその巨体を押し切る方が先だった。


 粘り気のある血液とともに、獣の体がドゥミリューヌからぽたりと落ちた。


 獣はどう考えても死んでいたから、私は骸を捨て置き姉上の許に駆け戻った。


「姉上」

「ありがとう、ジュールズ。私を庇ってくれたんだね」

「当然のことをしたまでです」


 姉上が差し出した手を取り、甲に口づける。


「ジュールズ……」


 姉上が頬を赤らめ、困ったように眉を寄せた。


 綺麗な葡萄酒の色の瞳が潤み、熱っぽく私を見つめている。


 それはもう、小さな弟を見る眼差しではなかった。


「姉上……。やっと私のことを男として意識してくださったのですね」

「ジュールズ、こんなに逞しく育っていたのに、どうして今まで気づかなかったんだろう。うっかりさんな私を許して」

「うっかりさんなあなたも好きです」


 姉上は優しく微笑んでくださった。


「ジュールズ……。口づけて」

「も、勿論です」


 しなだれかかってくる姉上を支え、唇を近づけようとして――私は肩を襲った激痛に目を見開いた。






「――気がついた?」


 すぐそばで姉上の声がした。


「痛みは?」


 私がいるのは森の中ではなく、自室の寝台の上だった。背にクッションをあてがわれ、左半身を上にして横たわっている。


 左肩が焼けるように熱く、引きつれているような感じだった。


「母上が癒してくださったから、傷は塞がっている」


 傷? ああそうだ。あの時……。


 記憶が徐々に蘇ってくる。


「何が起きたか憶えている?」


 私は視線を落とし、小さく頷いた。


 最初の魔獣を倒した後のことだ。姉上の許へ駆け戻り、「倒しました」と報告しようとした時、姉上は私の手を取って強く引き寄せた。


 もう片方の手は既に鉄扇を放っている。


 葡萄酒の色の美しい瞳はこの時、実に冷静に、私の背後にいるもう一頭を捉えていた。


 頭を狙って振り下ろされたであろう爪は私の肩に食い込み、途中でぴたりと動きを止めた。


 そこで私は意識を失ったのだ。


「姉上が魔獣を……?」

「ううん。私は前足を切り落としただけ。真っ二つにしたのは父上だ」


 切り落としただけとは? 事もなげに言うが、あの距離であの速さで、私を引き寄せて庇いながらあの体勢で?


「お水飲む?」


 そう言われて初めて私は喉の渇きを自覚した。


 私が頷くと、姉上が水差しからゴブレットに水を注ぐ。こういう仕草は意外と淑女らしくて母上の血を感じさせる。姉上はゴブレットを私に手渡そうとして「あ」と動きを止めた。


「これじゃ飲めないよね」


 照れたようにゴブレットを戻し、私に向き直る。


 何だろう。口移しで飲ませる許可を求められるのだろうか……。


 ドキドキしながら待っていると、姉上は私の上体を起こし、背にクッションをあてがってから、「はい」とゴブレットを手渡してくださった。


 私は大人しく水を飲んだ。


 飲み終えた私の手から姉上がゴブレットを引き取り、元の場所に置く。


「ジュールズ、大事なのは」

「申し開きのしようもありません」


 お説教が始まる気配がして、私は急いで頭を垂れた。


 このゲリュオネス・ユーグ・ジュールズ、一生の不覚であった。


 姉上を狙った不届き者を苦もなく一刀両断し、あの時の私は完全に気を抜いていた。


 何だ、この程度か。魔獣恐るるに足らず、と。


「いつも言っているけど、家に帰るまでが魔獣狩りです」

「はい」


 やはり言われてしまった。


 魔獣狩りに行き始めた初心者が、しばらくの間引率者から口を酸っぱくして言われ続けるこの言葉の意味は深い。


 魔獣狩りは遊びでも模擬戦でもないのである。


 単純に力量のみの問題ではなく、生きて帰るという強い覚悟と慎重さ、その二つが何より大切で、私はその二つをどちらも欠いていた。


「猛省しております」

「……分かっているならいい」


 いいと言いつつお話が終わる気配はなく、姉上は淡々と続けた。


「最初の魔獣が私を狙ったからでしょう」

「うっ」


 その通りだった。


 頭に血が上り、我を忘れて剣を振るった。倒した後は仇を討ったような高揚感に酔いしれ、警戒を怠った。


 魔獣は実に狡猾で、冷静さを欠いた人間は格好の獲物である。迂闊に飛びついた同胞を捨て駒とし、私の背後を狙った二頭目の動きこそが、本来の彼らの振る舞いだった。


「はっきり言うけど、私より弱いお前が、私を守ろうだなんて思い上がりだ」

「……はい」


 ぐうの音も出ない。


 泣きそうだ。


 だが、恥じ入ってうなだれる私の頭に、ぽんとたおやかな手が乗った。


「だから、私を守りたければ強くなれ」


 え……?


 私は思わず顔を上げた。


 姉上はいつもの優しい笑みを浮かべていた。


「強くなったお前は最後までずっと冷静でいられるだろうし、背後の魔獣にも自分で気づく。だから、もっと強くなれ。そうしたら私もお前に守られてやる」

「――はいッ!」


 師に稽古をつけてもらっている時のような、気合の入った返事が可笑しかったのだろう。姉上はくすくす笑い出した。


「まあ、初めて魔獣を倒した後って浮かれちゃうよね……。私もそうだった。でも、次からは気をつけること」

「はい」


 姉上の指が滑り落ち、私の頬に触れた。


「ジュールズ、私を庇ってくれて、ありがとう」


 私は条件反射で口走っていた。


「姉上、ご褒美をくださ……」

「駄目。皆に心配をかけた悪い子にはあげない」


 姉上がツンと横を向いた。何て可愛い仕草だろうか。だが言っていることは残酷極まりない。


「そんな、あぅ、姉上、約束します。もうしませ……」

「でも、大好きだからあげちゃう!」


 次の瞬間、柔らかな唇が私の唇の横に押し当てられた。


 ああッ。姉上、そんな高度な――。


 駄目と見せかけてからの不意打ちに、私はひとたまりもなかった。


 全身から力が抜け、意思に反して瞼が落ちる。


「……あれ、ジュールズ、寝ちゃったか」


 姉上が私の体をそっと横向きに寝かせ、背にクッションを当ててくださっている。すっかり茹だってしまっている私は、指一本動かす気力もなかった。


 姉上、どうしたことでしょう。現実が妄想を軽く超えてくるとは――。


「顔が赤い……。熱でも出たのかな」


 ご自分のせいだとは露ほども思っていない姉上の呟きを聞きながら、私はとろけるように意識を手放した。

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