番外編・女装姿は不本意ですが
女装ネタ引っ張ります。
ジュールズ10歳11か月、姉上14歳頃のお話。
ナチュラルにクズな思考の持ち主が出てきますが、こういうのは周囲の大人の影響が大きかったりするのかなって。
彼が成長して、どんな考え方を選ぶのかは今後の彼次第です。
ライスター本家にて、美しいイルゼ伯母上のお誕生日を祝う宴が催され、ネイス家嫡男たるこの俺、ベルンハルト・ネイスも無論、両親共々招待を受けて馳せ参じた。
ネイス家はライスター家の分家であり、本家の娘クロティルダは俺と同い年である。
本家が突然迎えた養子のことは、少し離れた領地に住む俺たちも聞き及んでおり、俺は彼に会うのを内心楽しみにしていた。
俺より三つ年下で、名もない下級騎士の子だという。はっきりとは言われていないが、剣の才を買われてのことだとか。
面白いと思った。
俺たちの年代の中で、ライスター一強いのは俺であり(クロティルダ除く)、今の今まで、俺のライバルと呼べる者は領内に一人もいなかった。
クロティルダとは幼馴染で気心が知れているし、自分で言うのも何だが俺は顔もいい。
入り婿になるのは当然俺だと思っていたから、どんな奴かこの目で確認出来る今日という日を、俺は随分前から心待ちにしていた。
本家に到着し、両親とともに挨拶を済ませた俺は、どこの馬の骨とも知れぬジュールズとやらを早速探しにいく。
「ごめんね、ジューリア。今日はお誕生日だからどうしてもって、母上が無理を言って……」
「お気になさらず。母上様の為なら、私はいつだって馳せ参じます」
「ふふ、ジューリアったら」
半開きの扉の中から、落ち着きのあるクロティルダの声と、愛らしい小鳥のような声がする。
何気なく中を覗くと、女装姿のクロティルダが華奢な少女を抱き寄せ、「んー」と口づけているところだった。
唇にではない。
敢えて唇の真横という、頗る上級者的な位置だった。
俺は思わず口元を覆い、驚きのあまり漏れそうになった声を押し殺した。
クロティルダはいつからこんな手練れになったのだろう。鍛錬ばかりしていると思って油断していたら――。
少女が先に俺の存在に気づき、目を見開く。
その瞬間、俺の呼吸が止まった。
脳天を突き破られるかと思うほど、超弩級の美少女だった。
珍しい淡褐色の瞳。天使のように愛らしい顔立ち。艶やかな亜麻色の髪は、可愛いリボンをこの手で解き、指を差し入れて永遠に梳いていたいと願わずにはいられないほどさらっさらである。
まだ十歳くらいだろうか。だが、女性としての美が既に完成されている――。
「――あれ、ベルンハルト。久しぶり」
「……やあ、クロティルダ。息災だったか」
今の情事は見間違いだったかと思うほど、こちらを向いたクロティルダの態度はあっさりしていた。
「そちらは」
少女を紹介してもらいたくて水を向ける。だが、クロティルダは俺の視線から隠すように、さりげなく少女を体の後ろに庇った。
「遠縁の子だ。母上が気に入っていて、今日は是非にと来てもらった。すぐに帰るから気にしないで」
紹介する気はないという意味で、クロティルダらしからぬ物言いだった。俺もすぐにピンとくる。これは何か訳ありなのだろう。例えば母親の身分が物凄く低いとか、或いは本当にまったくの平民だとかで、本来ならばこの場にいるはずのない娘なのだ。
何ともはや、惜しいことだと思った。これほどの美貌、生まれさえ良ければゆくゆくは隣の超大国、ダルメスに渡って王の愛妾にでもなり、大陸中の女が羨むような暮らしをすることも夢ではなかっただろうに――。
いや、この俺が囲って、何不自由ない暮らしをさせてやればいい。そうだ。それで万事解決だ。表向きの仕事は本妻であるクロティルダがすべて卒なくこなすから、彼女はただ、何もせず俺に愛でられていればいい。今はまだ幼いが、どう考えても最高の美人に育つことが確定しているこの子を誰にも渡したくなかった。生まれが卑しいというだけで、訳の分からんおっさんに軽々しく嫁がされていい娘ではない。俺が守ってやらなければ。
「ベルンハルト? 悪いけど――」
クロティルダがにっこりと微笑む。目は笑っておらず、そこをどけと言っていた。
「ああ、失礼」
俺は彼女たちの通り道を塞いでいたことに気づき、慌てて脇に避けた。
女の恰好をしていても、クロティルダは相変わらずの迫力である。
「お前も早くおいでよ?」
そう言い捨てて、颯爽と通り過ぎる彼女の横顔はいつもながら端正で、辺りを払う威厳があった。
そう。クロティルダは美しい。
だが、それは思わずひれ伏したくなる類の美しさで、男の庇護欲を掻き立て、気持ちよくさせてくれる、甘く柔らかな美ではない。
それでも、男ならば皆、一度くらいはクロティルダを我が物にしたいと夢見たことがあるはずだった。
だって、顔も体も綺麗だし、性格いいし。
ただし、クロティルダ本人は、小さな頃から会う人会う人に悪気なく「お父さんそっくりですね」と言われ続けたせいでコンプレックスをこじらせ、己の美しさに無自覚だった。
それでいいのである。
女が己の美しさを自覚したら碌なことにはならない――と、父も叔父たちも従兄たちも常々言っていた。
俺は彼女たちを追って、ふらふらと広間に戻った。
成程、あの少女――ジューリアと言ったか――はクロティルダの言う通り、イルゼ伯母上のお気に入りらしく、伯母上が片時も離さない。
皆が楽しく歓談する中、ジューリアだけを見つめていた俺は、彼女の異変に気づいた。
もぞもぞと胸元を引っ張り、心なしか顔色が悪い。
ああ、そうか。彼女のような身分の者は、貴族の娘の衣装を着慣れていないから、締めつけられて苦しいのだろう。
可哀相に。この俺が何とかしてやれたら――。
ジューリアが伯母上に何事か囁き、さりげなくその場を離れる。
俺は吸い寄せられるように彼女の後を追った。
ジューリアは先程クロティルダと戯れていた部屋に戻り、華奢な手を背中に伸ばした。
「――俺が」
その手をそっと上から覆い、俺は後ろから囁いた。
ジューリアがヒッと悲鳴を上げる。
「大丈夫。苦しいんだろう? 俺が手伝ってやる」
「いや。離れて」
ジューリアは本気で怯えている。俺は彼女をこちらに向かせ、女受けする得意の笑顔を作った。
「俺の名はベルンハルト・ネイス。クロティルダの親戚で、怪しい者ではない。さっきも会っただろう?」
それが何? と言いたげな、鋭い視線が飛んできた。おっと、これは。飼い慣らされていない野生の猫だ。ちょっとそそられる。
「君と仲良くなりたいと思っている。どうか手伝わせてくれ」
「触らないで。紳士として恥ずかしくないのですか」
虫けらを見るような目で見られる。今まで女の子にこんな態度を取られたことはなかったが、不思議と腹は立たなかった。こんな気持ちは初めてだ。
「参ったな。君のような年の子に変なことはしない」
まあ正直、微塵も興味がないと言ったら嘘になるが、今の彼女をどうこうする気はさすがになかった。
ただそばにいたい。あわよくば、この美貌の少女に慕われ、甘やかに笑いかけられたい。
誓って言うが、その程度の清らかさだった。
「は、離れて。離れてと言っている!」
俺が伸ばす手をジューリアが必死になって避ける。
おや、と思った。
彼女のこの怯えようは何なのか。まるで男という生き物を熟知しているかのようだ。君はもしかして知っているのか? 欲に負ければどうとでも転ぶ、男という生き物の本性を。
まさか、この娘は既に男を……と俺が思いかけた時、背後から低い声がした。
「――ベルンハルト」
俺はゆっくりと振り返る。
そこにいたのは、怒りに燃える目で俺を見据えるライスターの戦女神だった。
「姉上!」
ジューリアが俺の横をすり抜け、クロティルダに抱きつく。
クロティルダはジューリアを抱き寄せ、もう片方の手で扇を構えた。
「お前、よくも……」
「待て! 誤解だ! こんな子供に何かするほど俺は――」
「黙れッ!」
クロティルダがジューリアを後ろに押しやり、今にも跳び上がろうとする。
「待てッ! 駄目だ、今のお前はスカートを……!」
淑女は夫以外の男に決して足を見せない。こんなところで跳び上がったが最後、貴族女性としてのクロティルダは終わってしまう。俺は必死だった。
「姉上、お止めください!」
ちょっとあり得ないほどの素早さで、ジューリアがクロティルダの背後から抱きつき、クロティルダの体の自由を奪う。
「離せ」
「嫌です。姉上が来てくださったから、私はもうそれでいいのです!」
涙ぐみながら必死で言い募るジューリアに、クロティルダは毒気を抜かれたようだった。
「姉上、怖かった……」
ジューリアがくたりと体を預け、クロティルダが彼女を抱きしめる。
「そうだね。ごめんね、ジュー……」
クロティルダがジューリアの頭に頬をすり寄せ、きつく目を閉じた。
わあ。この二人、すごく絵になる……。
いつまでも見ていたかったが、ジューリアが目で「さっさと行け」と俺を促す。
俺も目顔で「すまない。助かった」と礼を述べ、そそくさとその場を立ち去った。
――大した子だ……。
美しいだけでなく機転も利き、どうしたことかクロティルダや伯母上の心をすっかりつかんでいる。
あの子がいつか、大ダルメスの宮廷でのし上がり、並みいる美女を押しのけてその頂点に立ったとしても、俺は決して驚かないと思った。それほどの器だ。
俺は身震いし、助かった命をしみじみと噛みしめた。
気が緩んだ拍子に、ふと当初の目的を思い出す。
俺は確か、養子を探していたのだった。
突然ライスター本家に引き取られたという、亜麻色の髪をした綺麗な十歳の――――ん?
幸せだ……。
姉上がずっと私を抱きしめてくださっている。
「本っ当にごめん……。怖かったね……」
「大丈夫です。姉上がすぐに来てくださったので」
私はうっとりと夢見心地で答えた。
「怖くてまだ呆けているのか、可哀相に……」と姉上が呟き、すっと目に殺意を宿す。
「ベルンハルトに何をされた?」
「あ、ええと……」
息苦しさに気を取られ、あいつの接近に気づかなかったことが口惜しい。彼の名が出た瞬間、一気に蘇った忌まわしい記憶にわなわなと震えていると、姉上が私から目を逸らした。
「――言わなくていい」
まずい。何かされたと思われては心外だ。私は慌てて経緯を説明した。
「胸の締めつけが苦しくて、少し緩めようとしていたら、彼が突然入ってきたのです。それで、驚いてしまって」
「そう……。それで?」
姉上の表情がひんやりと冷たい。あいつを庇うのも癪だったが、私の身が清いことははっきり伝えておきたかったし、怒りに我を忘れた姉上が女装姿のまま彼を叩きのめしにいき、あらぬものがめくれ上がってしまう事態は絶対に避けたかった。仕方あるまい。
「服を緩めるのを手伝ってくれようとしたのだそうです。私のような子供に何かをする気はない、と。今思えば善意の申し出だったのでしょうが、知らない人に突然そんなことを言われて、怖くなってしまって……」
「それは当然だ。何て配慮のない振る舞いだろう。彼にはきつく言っておく」
「はい」
一応、実害がなかったことで、姉上の怒りも少しは収まったらしい。鉄扇でズタズタではなく、口頭注意で済みそうだった。ベルンハルトは私に感謝するべきだ。
姉上はまるで、怖い目に遭ったのは姉上ご自身であるかのように、私を抱きしめて離さなかった。この恰好をしていると、姉上は実に無警戒に、私に体をくっつけてくださる。
「ジュールズにもうこんな恰好をさせないよう、母上に言う」
「いいえ、構いません」
私は慌てて言った。
「女装姿は不本意ですが、母上様が喜んでくださるなら――」
というより、あなたがこんな風に、私をぎゅっと抱きしめて離さないでいてくださるなら。
「時々でしたら、私は別に」
「優しいね、ジュールズ」
姉上が私の頬に頬を押し当て、頬ずりしてくださった。女装していない時はきっと、こんなことをしていただけない。
姉上が私の耳元で囁いた。
「ねえジュールズ、大好きだよ」
ああ……。
嬉しさのあまり、私はぐにゃぐにゃに溶けそうになった。
私も愛しています、姉上――。
ビジュアルがゆりゆり。




