クロティルダ――我が人生の光5
ダルメスに戻った私を待っていたのは、冷ややかな距離を保った静観と、あからさまな侮りだった。
私の王族としての血が薄かったのと、見た目弱そうだったからである。
「これが守護者と申すか! 武装神官長、我らを愚弄するのも大概にせよ!」
「厄災と対峙する以前に、鼻息だけで吹き飛びそうではないか!」
あのライスターで鍛えられたというからには、どれほど筋骨隆々とした、猛々しいのが来るかと彼らもさぞ身構えていたのであろう。
一度はびくびくと引っ込めていた頭を高くもたげ、王派の老臣たちは俄然勢いづいた。
「口惜しや。我らの王はまこと、ご立派な方であった」
「嘆かわしい。こんなひよっこを守護者と呼んで、我らの運命を委ねなくてはならぬとは」
彼らの王と王太子は既に表舞台から去っていたが、二人に長年仕えた者たちほど、私への反発は強かった。
何か言い返そうとするグランディディエの袖を引き、無用と首を振った。
こんなやつらに認めてもらわなくて構わない。彼らの一部が今何を吠えようと、厄災を倒した後は私が王である。そうなってしまえば大多数の者は恐らく、大人しく帰順してくるであろうことは目に見えていた。彼らとてダルメス貴族の名を捨ててまで私に背く気概などない。
これから行う討伐にあたっては、王派の協力もあればなおよしといったところだったが、勝手が分かっている神殿が全面的にサポートしてくれるなら、私の方はそれで問題はなかった。
「嘆かわしい、と申したか」
グランディディエは私の制止を無視し、凍てつくような薄氷の目を彼らに向けた。
「ひよっこ、確かに。お前たちの孫のようなお年の方だ。だが、それほど若く頼りないこの方が、お前たちに向かってご自身の運命をほんの一言でも嘆かれたか。お前たちのような者の為に、守護者など出来るものかと声を荒げたか」
「そっ……それは守護者たる者の務めであろう! 果たして当然――」
「では臣下たる者の務めは? ダルメス一国のみならず、全大陸の為にこれから御身を捧げられるお方を、一丸となってお支えすることではないのか!」
「くっ……」
もうお前が王でいいんじゃないか? と思った。
威厳あるし、弁は立つし、直系王族との血の近さなど、お前と私で恐らくそう変わらないだろう。
それまでの敬語をかなぐり捨てて、傲然と牙を剥くグランディディエは、ひれ伏したくなるほど格好良かった。
グランディディエは荒々しくも優雅に踵を返し、独り言を装って低く吐き捨てた。
「こちらの苦労も知らず、好き勝手ほざいてくれるものだ。理不尽に国を追われ、命を狙われたドラージュ公が、唯々諾々と帰還してくださったとでも思っているのか!」
私も彼に続きながら、聞こえよがしに話を合わせた。
「話が違うなあー、フラ・リュカ! 私は今すぐライスターに戻ってもいいのだぞ? ――我が故郷に、我が愛する領民のもとに!」
私たちの背後で息をのむ音がして、あれほど騒がしかった老人たちが、土に還ったのかと思うほど大人しくなった。
グザヴィエに約したことを違える気はなかったし、「ライスター辺境伯にダルメスの爵位を賜ってはいかがでしょう。縁続きとなる訳でございますし」とグランディディエから気前よく進言されている私が、ダルメスを見捨てて出ていくことなど万に一つもなかったのだが、これはまあ、ちょっとした意趣返しというやつだった。
ふと見上げると、グランディディエが苦笑している。
私が親しげに彼をファーストネームで呼んだことに、内心激怒しているのかもしれなかった。
全世界の花、絢爛たるダルメス王城の一角には、既に私の居室が用意されていた。
「本日より、こちらがあなたのお住まいとなります」
「王城が? 神殿ではなく?」
てっきり神殿に連れていかれるものとばかり思っていたから、私は面食らった。
――え、大丈夫? 狼の群れの中に羊を放り込むようなものじゃない?
グランディディエはふっと笑った。
「主の不在が長い城というのは、あまりよろしくありませんから」
私は仔細を知らないが、先頭に立って以前の主を蹴落としたのは、どう考えてもお前だろうに。どの口がそれを言うのだか。
「寝首を掻かれたりしないだろうな?」
こっそり尋ねると、「まさか、あなたはそんなにお弱くもないでしょう?」と逆に尋ね返されてしまった。
こうなってしまうと、「怖いから神殿で守って」と縋ることは私の誇りが許さず、「それはまあ」と頷くしかなかった。
グランディディエは「あなたの身の周りのお世話をいたします、オレールにございます」と、砂色の髪と水色の瞳をした、線の細い少年を私に紹介した。
私同様、色素の薄い子で、こういうのを見るとダルメスに帰ってきたなと実感する。ここダルメスではグザヴィエのような黒髪の方が珍しい。オレールは現在十三歳、かつては王太子に仕えていたということだった。
だからだろうか。彼から感じる、そこはかとない敵意のようなものは。
ここが長年にわたり、王派の牛耳る本拠地であったということを、私はひしひしと実感した。
「オレール」
グランディディエが早々に去った後、私が彼に呼び掛けると、彼は怯えたように身を震わせた。
「は、はい」
「私はこの通り、とても弱そうな見た目をしているが、実際のところはそうでもない。おかしなことは企まないでくれ」
「滅相もありません」
オレールは足をがくがくと震わせ、今にも膝をつきそうになっていた。まるで私が苛めているようである。
もしかしたら、彼がかつて王太子に仕えていたことを理由に、私がつらく当たるとでも思っているのだろうか。
いや、と私は頭を振った。
結論を出すのは早計だった。
可愛らしい見た目に似合わず、彼が実はとんでもなく凄腕の刺客で、今のがくがくは私を油断させる為の演技という可能性もある。
外見と中身というものは、往々にしてかけ離れているというのが私の持論だった。
ダルメスの王都、ソーの郊外には、禁忌の森と呼ばれる森があった。
その名の通り、鬱蒼と茂る木々の色さえ既に禍々しく黒ずんで、一見して立ち入ってはならぬと分かる、昏き異界である。
彼の森の中には「楔」と呼ばれる断続的に長い亀裂が走っており、魔獣はここから生じると考えられていた。
厄災が起きる前年から大地は乱れ、通常の魔獣も数を増す。
頼みもしないのに楔からぽこぽこ湧いてくるこやつらに対処するのも無論、私の役目とのことで、私が厄災発生の一年も前にダルメスに連れ戻されたのは何も、城の主として不在を埋める為ではないのだった。
気の滅入ることだ……。
たんぽぽの綿毛が風に乗り、群れなして空へ飛び立つように、楔から魔獣が湧いて出る。
厄災との戦いの基盤を作ったとされる、偉大なるダルメス神殿第三代武装神官長は、これを「狂宴」と名付けた。
単体で生じたなら生じたで、勝手気ままに地を蹂躙する彼らだったが、複数で生じたなら生じたで、統制の取れた群れとして動く。
「公は既に、魔獣狩りの経験がおありとか」
神殿関係者に確認され、私は「うん、まあ」と頷いた。
こう見えてもライスター辺境伯の養子を名乗っていた身、二、三頭程度の小さな群れなら、一人で問題なく仕留めることが出来る。
夫婦でともに力を合わせ、魔獣からライスター領民を守る前提で生きてきたから、十三歳でガルバレク先生の許可が下りてからというもの、私は家族の魔獣狩りには積極的に同行していた。
――将来、お一人で問題なく魔獣を狩れるようになっておけば。
独り言のように、グザヴィエがぼそりと呟いて。
――姫も大層お喜びでしょうねぇ……。
抗い難いその囁きに、未熟な私がまんまと乗せられたという話でしかなかったが。
あの時は何故気づかなかったのだろう。
――守護者として、魔獣と対峙する時にさぞかし役立つでしょうねぇ……。
彼の言葉の裏にあった、本来の意味に。
「では、皆と連携して動けるように、ちょっと慣らしていきましょうか」
私にそう告げたグザヴィエの笑顔は、ライスターで私を鍛え始めた頃の彼を彷彿とさせるものがあった。
経験があるとはいえ、さすがに十数頭もの魔獣の群れと対峙するのは初めてである。ちょっと荷が重いなと思っていたが、ありがたいことに「狂宴」への対応は私一人で行うのではなく、武装神官たちの協力があるらしい。
私はグザヴィエの指導の下、来る日も来る日も、仲間と共闘しながら魔獣の群れと対峙する為の、特別な訓練に明け暮れた。
私とオレール少年の間には、相変わらず息詰まるような空気が漂っていたが、私たちが互いに相手に対して抱いていた誤解はある日、ひょんなことから解けた。
きっかけは、いつものように青い顔をしたオレールが、紅茶を入れようとして手を滑らせたことだった。
ややおどおどし過ぎているきらいはあるものの、実は意外としっかりしていて、万事抜かりない彼にしては珍しいことだった。
磁器の破片と熱湯が飛び散り、私は咄嗟に薄い膜を張ってオレールを守ったが、どうしたことかオレールはふらりと床に倒れた。
「オレール⁉ どうした。怪我をしたのか」
「お、おゆるしください、おゆるしください、殿下――」
私の腕の中でオレールは、誰かから身を庇うように、怯えて体を縮こまらせていた。
成程――。
かつて彼の主であった王太子が、彼をどのように扱っていたのか、私はこの時、ようやく理解した。
「オレール、よく見ろ。私は誰だ」
私はぺちぺちと彼の頬を叩き、彼に顔を近づけた。
私と王太子など似ても似つかぬと思っていたが、腐っても一応親戚同士、他人から見れば、少しは雰囲気などが似ているのかもしれない。私も彼も、一般的にはあまり見ない、特徴のある淡い褐色の瞳をしていた。これはクラメール家の血筋によく出る色で、言うなれば、ものすごい確率で受け口が遺伝する、某大公家のあれのようなものである。オレールにとっては私も王太子もどちらも同じ、冷酷な王家の人間に見えていたのだろう。
王太子の父たる王も、派閥の人間には懐の深いところを見せる一方、使用人の扱いはぞんざいだったと聞いていた。
「オレール、私は王太子とは違う。お前を傷つけたりしない」
私はオレールの手を取り、私の頬を触らせた。
ほら、あいつと違って、私の肌には人の温もりがあるだろう。
「分かったか」
オレールは涙に濡れた目でぼんやりと私を見上げていた。
オレールはこの日、結局「分かった」ともうんともすんとも言わなかったが、私の真っ当な人柄は伝わったようで、彼の態度はそれから少しずつ軟化していった。
毎日のように生傷を作って神殿から帰ってくる私を気遣い、優しく手当てしてくれる。
いや、手当自体は前からしてくれていたのだが、そこにほんの数匙ほど、心を許したような雰囲気が混ざり始めたというか。
――狂宴など、来るべき日に備え、あなたを慣らす為の児戯でしかない。
そう言い放つグランディディエや、訓練だろうと何だろうと容赦ないグザヴィエと日々接している私にとって、オレールとのひと時は大切な癒しだった。
狂宴は今や、いつ始まってもおかしくなかった。
大きな群れに関しては、目立つこともあり、狩り漏れが起こることはまずないと思われたが、単体、あるいは二、三頭程度ならば、私たちの目をかいくぐって他国に出ていくこともある。
周辺の国及び地域には、先んじてその旨を通知しており、ライスターにも勿論書簡を送っていた。
公式のものと、私から姉上へ、私的なものを。
公的なものへはライスター辺境伯の名で、通知への謝意と了承の返事、私的なものは姉上から「承知した」と、公的なものより短い返事が来た。
張り切っている姉上を想像し、可愛いなと緩みそうになる口元を、私は姉上からの素っ気ない手紙で覆った。
「恋文ですか」
「そんなんじゃない」
本当のことだったが、オレールははぐらかされたと思ったようだった。
「どのようなお方なのですか」
「そうだな……」
私は少し考えてから答えた。
「この世界で姉上だけがくっきりとしていて色鮮やかで、砂糖菓子のように甘く、鋼のようにお強い」
姉上の素晴らしさを言葉にするのはちょっと難しかった。ちゃんと伝え切れただろうか。
「分かるか」
「分かりません」
オレールはあっさりと首を振り、「ですが」と優しい目で微笑んだ。
「大好きってことは分かりました」
「――え?」
あ、そうかと思った。
当たり前のこと過ぎて、今の今まで本当に気づかなかった。
――大好きなのだ。私は、姉上が。
私は遠いライスターにいる愛しい人に思いを馳せた。
姉上、あなたは我が人生を照らす光。
あなたがそこにいるだけで、世界は美しい側面を見せる。




