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姉上、ご褒美をください  作者: 初春餅


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クロティルダ――我が人生の光4

 ――お迎えに上がりました。


 美しい男はそう言って、恭しく頭を垂れた。


 ダルメス神殿武装神官長、リュカ・グランディディエ。


 彼とは実に、六年ぶりの対面だった。相変わらず常人離れして美しい。実は本当に人間ではないのではないかと思うほど、あの頃と見た目が全然変わっていなかった。


 声も出せずに私が呆然としていると、表を仕切る家令が現れ、グランディディエに一礼する。


「当主の許へご案内いたします」


 グランディディエはぞろぞろと引き連れていた随行員のうち、数名を選んで後の者はここで待つよう指示した。


「ジュールズ様もご一緒に。お帰りになりましたら、同席するようにとのことでしたので」


 家令に促され、私も慌てて後を追った。


 ダルメスからやってきた招かれざる客たちは全員、身のこなしから相当な手練れのようだった。選ばれた数名は特に、グザヴィエ並みに強そうな匂いがする。


 気に食わなかった。何しに来た。いや、分かっているし、何なら今もはっきり「迎えにきた」と言われたが。


 父上の執務室には既に皆が勢揃いしていた。


「お前たちは外で待て」


 私はグランディディエに続いて部屋に入ろうとした、武装神官たちの前に立ちはだかった。


 ここライスターの地で、彼らの好きにさせるつもりなどなかった。


 グランディディエは余裕の表情で、「仰せのままに」と一揖した。


 父に促されて着席すると、彼は親しげな眼差しを私に向けた。


「ドラージュ公、ご立派になられて」

「はて、ドラージュ公とは? 私は幼少の折にダルメスを離れて久しい。家督を継いだ覚えもないが」


 私が父の死を正式に通告されていない以上、その称号は父のものだった。更に言えば、父の嫡男である私は、ダルメス王の発表によると長らく消息不明である。ドラージュ公家が今、ダルメスでどのような扱いになっているのか知らないが、もはや断絶したも同然の家であり、称号なぞまた別の傍系王族に回してもらって一向に構わなかった。二代前にそんな感じでうちに回ってきた時のように。


「これは失言でした――陛下」


 私の怒気にあてられたドゥミリューヌが危うく出てきそうになり、私はすんでのところで抑えた。


「フラ・グザヴィエ、申し開きはあるか」


 美しい男は突然グザヴィエを責め始め、それがまた私の癪に障った。


「待て、グザヴィエが何の――」

「この者は時満ちた後も、あなたをダルメスにお連れすることをしませんでした。職務怠慢と言わざるを得ない」

「……ドラージュ公が自らお戻りになるのを、お待ち申し上げておりました」

「相変わらず甘い男だ」


 グランディディエは呆れたような笑みを浮かべたが、その目は決して笑っていなかった。


「山ひとつ越えただけの辺境伯領に、亜麻色の髪をした綺麗な子がいる、などと。気づかれぬとでも思ったか。いち早く事態を把握した我らが、水面下で公の保護に動いていなければ、今頃どうなっていたと思う」


 私は皆とともにうなだれた。


 後で聞いたところによると、神殿側は実に涙ぐましい努力を地道に重ねていたようだった。


 神殿から遅れること数日、「ライスター本家にいつの間にか引き取られていた、亜麻色の髪の子供」の情報を王側の諜報も入手した。


 報告を受けた王が頷き、私の顔を知る者が、速やかにライスターへと送り込まれた。


 神殿側はこの刺客に、「亜麻色の髪の坊ちゃん」がピクニックに行くという偽の情報をつかませることに成功した。


 当日、木の陰に潜む刺客の前に現れたのは、神殿が男装させて私の代役に仕立てた亜麻色の髪の少女だった。


「坊ちゃん」と「ばあや」のキャッキャと楽しげなピクニックの模様を目視確認した刺客は、本国に帰って「別人でした」と報告した。


 神殿側の工作はこれで終わらなかった。


 これ以降も、時と場所を細やかに調節しながら、広い大陸のあちこちに「亜麻色の髪の子供」を出没させたのである。


 でっち上げの与太話を作ることは、太古の昔から、神に仕える者たちの得意分野だった。


 王の配下は、西に奇跡を起こす亜麻色の髪の少年がいると聞けば突進し、東に眠り続ける亜麻色の髪の少年がいると聞けば取って返した。


「やり過ぎると向こうもさすがにおかしいと思うでしょうから、匙加減には気を遣いましたね……」とはグランディディエの弁である。


 大陸中を駆け巡らされ、散々振り回された王側は、グランディディエらの目論見通り、「亜麻色の髪の子供」情報に倦んだ。


 その後は、どれほど本物らしい目撃情報が上がってこようと、ライスターで聖剣らしきものを片手に暴れた少年の話が入ってこようと、「またガセか」と現場の判断で切り捨てるようになった。


 この話を聞いた時、私は悔しさに震えながらも、神殿側の尽力に謝意を述べるしかなかった。


 だが、ライスター城の一角で、久方ぶりに彼と対面した時の私はまだ、そこまでの苦労を彼らに掛けていたことを知らない。


「ご帰還を」というグランディディエの要請を私は言下に断った。


 何も私が出張らずとも、ダルメスには厄災に勝るとも劣らぬ、血に飢えた凶暴な獣どもが跋扈しているではないか。獣は獣同士、勝手に共食いでも何でもすればいいだろう。


 私は既に、ダルメスを故郷とも何とも思っていなかった。


 厄災に蹂躙される? それがどうした。無辜の民がと言われても、彼らを危険に晒すのは私ではなく、無理を通そうとした王である。


 これが姉上なら、きっと行くだろう。


 あの人はそういう人なのだ。


 そして、そんなあの人のことを、私は心から尊敬している。


 だが、あの人ではない私には、ダルメスの為に腰を上げる気などこれっぽっちも湧かなかった。


「私はライスターに婿入りして幸せに暮らすので、お前たちと共に行くことはない」


 だから私のことは忘れて、さっさと帰ってほしかった。私には彼らの相手をしている暇はない。私にはこの後、求婚という人生の一大イベントが控えているのである。


「もし厄災がここライスターを襲うことあらば、私は愛するライスターの為、迷わず剣を取るだろう。この身果てるまでライスターの為に戦うことを、父母より授かった名に懸けて誓う。だが、ダルメスのことは知らない。お前たちで何とかするがいい」


 それが私の答えだった。


 私は手の中にドゥミリューヌを呼び、彼に差し出した。


「ドゥミリューヌはダルメス王にお返ししよう」


 その瞬間、彼女は猛然と抗議し始めた。「聞いてない」だの何だのと。え、今更何を言ってるの? その件についてはもう話し合ったでしょう?


 しばらく私たちのやり取りを聞いていたグランディディエが、澄ました顔で講釈を垂れた。


「聖剣が守護者のおそばを離れることはありません。思うに、あなたの言うダルメス王と、ドゥミリューヌが理解するダルメス王に、若干の齟齬があったかと。ドゥミリューヌにとって、ダルメス王とは他の誰でもなく、あなたのことでございますから」


 そういうことか、と私は奥歯を噛みしめた。


 何かいいことを言っている風で、やたらと私をけしかける彼女と、やらなくていいことだったら極力やりたくない私は、普段から全方位的にあまり意見が合わないのだが、この時ばかりはすんなり行ったので、珍しいこともあるものだと思っていた。


「時に、現国王と王太子でしたら、お二人とも突然の病を得、現在は離宮にて静養中でございます。病は篤く、もう二度と、あのお二方が表舞台に出てくることはありますまい」


 さらりと言われた言葉に、私は頬を打たれたような衝撃を受けた。無論、病は言葉通りの意味ではない。彼らが降りたという意味だ。だが、あの二人がそう易々と引き下がるとは思えなかった。何故――いや、違う。


 グランディディエらが、どのルートを通ってライスターに来たのかまでは知らなかったが、彼らのまとう僧服やマントは、かつての私やグザヴィエのように、みすぼらしく汚れてなどいなかった。彼らの旅はもはや、追手を避け、人目を忍ぶ密やかなものではなかったということだ。


 潮目は変わり、神殿は機を逃さなかった。


 王は時の流れという、見えざる敵に敗れたのだ。いつまでも私を発見できなかったから。


「先のドラージュ公ご夫妻のことは、心よりお悔やみ申し上げます」


 突然父母(ちちはは)のことに言及され、私は動揺した。


「ご自害でございました」


 馬鹿な。


 私はグランディディエの顔を穴が開くほど凝視した。


 父母は賊に襲われたのではなかったのか……。


「お屋敷に押し入った賊は、お二人を拘束し、あなたを呼び戻す為の人質とする算段だったようでございます。お二人はそれを察し、その場でご自害を。お二人が用いられたのは、王族にのみ所持が許されていた、とある毒でございました。眠るような、穏やかな死であった、と……」


 ああ、と私は思わず息を吐いた。


 そうか。あれを使ったのか。


 この時、私の心を覆ったのは大いなる安堵だった。


 ならばお二人は本当に、苦しまず逝ったことだろう。


 賊に、否、賊を装った王の手先に襲われての死ということだったから、お二人の最期は恐らく、王族としての尊厳など皆無だっただろうと覚悟していた。彼らはどんな風に父母を扱ったのだろう。殊更に嬲り、苦しめたか。そう思う度、胸が張り裂けそうだった。


 だが、彼らの好きにさせることなく、最期の時を自ら選んだというのなら。


 ――本懐であっただろう。


 敵の卑劣な刃は、ほんの一瞬もお二人に届きはしなかった。


 呆けたようになっている私を、薄氷の色の瞳が油断なく見つめていることに気づき、私は弱々しく取り繕った。


「何故、今そんな話を……」

「お知りになりたいかと思いまして」


 その通りだ。喉から手が出るほど知りたいことだった。


「賊の正体も判明し、処刑も済ませております。驚くなかれ、何と王の側近中の側近、ラモンド伯爵でございました」

「ただの実行犯を処刑して、それで手打ちにしろと?」

「何のお話でしょう? 罪を犯した者が罰を受け、正義が成された。それ以上でも以下でもないお話でございます」


 何と度し難い男だろうか。


 こうして私と対峙する前に、彼が済ませてきたことは恐らく、よくぞここまでと言うべきことだった。


 だが、私にとっては全然足りない。


 だから、この男は言わないのだ。


「ここまでしたのだから、どうか」とも、「ここまでしてやったのだから、それ相応の働きを」とも。


 彼は深々と私に頭を下げた。


「公、伏してお願い申し上げます。ドゥミリューヌもて厄災をお倒しください。そして王とおなりください」

「倒せなかったら?」

「ご安心を。今まで倒せなかった守護者はいません」


 えええー……。


 揺らぎかけていた気持ちが、この瞬間、すっと引いた。今まで誰もしくじったことはないが、難易度は決して低くないミッションなど、私の一番嫌いなことだった。


 それまで黙っていたグザヴィエが口を開いた。


「ジュールズ様、どうか」


 私はカッとなって言い返した。


「水に流せと言うのか、すべてを。父母を奪い、それまでの暮らしを一方的に奪った国を救えと、お前まで言うか!」

「いいえ」


 グザヴィエはそこに誰かがいるかのように、そっと胸に手を当てた。


「あなたを守り、死んでいった我が兄弟の為に、どうか世界にしばしの平穏を」


 ――「フラ」とは、兄弟という意味の、古い言葉なのです。好きな言葉です。


 まるで昨日のことのような、目の前で散った命。私を前に進ませる為だけに、盾となった命。


 私の足をぼろ布で巻く彼らの手。グザヴィエの手。凍える山の夜、私をマントの中に包むグザヴィエの、彼らの鼓動。彼ら一人一人の顔と名など、私の命の奥深くに、今も鮮明に刻みつけられている。


「そうか」以外の言葉はなかった。


 お前がそう言うのなら。


「ならば――行かぬ訳にはいくまいな」


 お前もまた彼らと同じく、誰かの花揺れる穏やかな日々の為、死ぬことを厭わなかった兄弟の一人。


 間違えるな。


 私が行くのは亡き兄弟たちと、お前の為だ、グザヴィエ。


「参ろう。だが、ひとつ、はっきりさせておきたいことがある。――クロティルダ」


 突然私に呼び捨てられ、姉上は驚いたように私のそばに来た。


 守護者としてダルメスに行くのはいいとして、その前に是が非でもやっておくべきことがあった。


 私は何も知らずにやってきた姉上の手を引き、素早く拘束した。


「ジュールズ? 急にどう……」

「こちらはライスター辺境伯がご息女、クロティルダ・ライスター」


 姉上、いい匂い。


 私は姉上の首筋に顔を寄せながら、グランディディエに姉上を紹介した。


「私の最愛の人だ」


 姉上が驚いて私から離れようとするが、逃さない。私は姉上を抱く手に力を込め、一息に告げた。


「私は姉上のおみ足を見た」


 腕の中で、姉上の体がぐらりと傾いた。


 どうです? 姉上。否定などお出来になりますまい――。


 あの午後の鍛錬場で、姉上が私におみ足を見せたことは、紛れもない事実だった。


「私は守護者として、それ以前に一人の男として、不誠実な振る舞いをする気は毛頭ない。こうなった以上、クロティルダを娶るのが私の……」

「ま、待てッ、ジュールズ……」


 待たない。今の今まで本当に私を男として意識しておらず、それ故にこうしてあっさりと私の罠に掛かった姉上が憎らしく、私は責めるような口調になった。


「姉上はよもや、軽い気持ちで私におみ足を見せたのですか」


 姉上がぱっと赤くなる。


 それを見た皆が、「そうだったんだ……」という顔になった。


 何と言ったらいいのだろう、蜘蛛の巣に掛かった美しい蝶が、身じろいだ拍子にうっかり蜘蛛に近づいてしまい、死期を早めたかのような。


 姉上は必死になって私の腕の中から出ていこうとしているが、無駄だった。私は触れ合っているところからこっそりと微弱な魔力を流し、姉上の足首の関節に干渉している。姉上の身のこなしをもってしても、一人では立ち上がれないように。


「姉上、愛しています……」


 姉上が離れられないのをいいことに、私は姉上を掻き抱いた。


「姉上、一生大切にします。どうか断らないで」


 固まってしまった姉上とは対照的に、どうやら色々と察したらしいグランディディエが即座に動いた。


「勿論です。ドラージュ公の誠意、しかと見届けたり。大任を果たされた後は、即座に婚礼を。――閣下、構いませんか? ご令嬢をダルメス王妃とさせていただいても?」

「えっ? そりゃ、クロティルダはどこに出しても恥ずかしくない、立派な娘に育てたが」


 いいぞ、グランディディエ。父上はこのまま丸め込めそうだ。


「我が娘は確かに王妃の器であるが、我がライスターの大切な跡取りでもある。差し出せと言われ、すぐにはいとは申せぬ」

「その点はご安心を。守護者の妻となる者は皆、不思議と多産の傾向があるのです。陛下とクロティルダ妃がもうけるお子の一人を、養子にお取りくださればよろしいかと」


 グランディディエの弁舌は淀みなく、母上様は納得したように「ふむ」と頷いた。


 これは行けるか? と思った矢先、すぐそばにいる私しか聞こえないほどの小声で、姉上が「怖い……」と呟いた。


 怖い? 何が……? と首を捻った私ははっと思い当たった。


 姉上が今、懸念されているのはもしかして、子をなす行為のことだろうか。


 私の頬が熱を帯びた。


 私の奸計により、その純潔が思い切り疑われている姉上だが、実際そんなことがないのは誰より私が知っていた。


 ――姉上、ご心配には及びません。


 いざその時に、姉上に怖い思いなどさせはしない。そこは男の私が責を負うべきところだった。


 私は姉上にそっと耳打ちした。


「姉上、大丈夫です。万事私にお任せください」

「うん、ありがとう……」


「お前に何が出来るのか知らないけど、気持ちだけはありがとうね」という感じの、優しい「ありがとう」だった。


「跡取り様が成長なさるまでは、閣下が引き続き領を治めればよろしいでしょう。それともまさか、早々に隠居なさりたいと? これはこれは。勇名を天下に轟かせる当代ライスター辺境伯、フランツ・フェルディナント・ライスターともあろう方が!」


 グランディディエに挑発され、「誰がじゃあ」と父上がいきり立つ。完全にグランディディエの手のひらの上だ。


 母上様が低い声で尋ねた。


「ダルメスはライスターを乗っ取る気ではあるまいな……?」

「逆でございます、奥方様」


 美しい男はにっこりと笑った。


「ライスターが、ダルメスを乗っ取るのでございます」


 母上様の満面の笑み。


 この瞬間、姉上は私に娶られることが確定した。






 姉上から「話がある」と呼び出された私は、ボコボコにされることを覚悟していた。


 ――卑怯な真似をしてすみません。どうしても断られたくなくて。

 ――いい。ジュールズ。お前が好きだ。

 ――あ、あああッあッあねうえッ、い、いいいいい今何と。


 夢ならこのまま覚めないでほしい。姉上は私に背を向けたまま、愛の告白めいたことをしてくださったのだった。


 今思えば、何故、鍛錬場だったのだろう。ああいう話は、花とかが咲いている庭園などでしてもよかったのではないか。


 私は天にも昇る気持ちだったが、ご自身の魅力をちっともご存じない姉上はこの後、向こうで私に好きな女が出来たら身を引くとか何とか、とんでもないことを言い出して私を慌てさせた。


 ――私がただのジュールズで、本当に縁あって姉上の婿となる為に、引き取られた身であればよかったのに……。


 姉上を後ろから抱きしめ、私は心からそう思った。


 ライスターは既に私の故郷だった。


 だが、不本意ながらも、私は行かなくてはならない。


 姉上をダルメスに呼び寄せるのは、厄災を倒してからということは決めていた。今、安易に姉上を連れ帰っても、私は討伐の準備などで恐らく多忙の身、ダルメス宮廷の情勢も分からぬまま、姉上を敵も味方も分からぬ場所に、一人置いておく訳にはいかなかった。姉上なら討伐に参加すると言い出しそうだが、それはそれで、そういうことをさせたくもないし。


 私は姉上を私の方に向かせ、泣き止んだことを確認した。


 ――姉上が私を信じて待っていることが出来たら、ご褒美を差し上げます。


 そう言って、私は姉上の唇の横に触れた。


 ここに、と。


 ――その代わり、私が厄災を退けましたら、私にもご褒美をください。

 ――いいよ。


 姉上は私たちが積み重ねた、きらきらと輝く懐かしい日々を思い出したのか、ふっと柔らかく微笑んだ。


 ああ、その笑顔が見たかった、あなたはいつも笑っていてくださいと私は心の中で願いながら、ここに、と自身の唇を強調するようにとんとんと指す。


 姉上の目が「待って」と訴えていたが、勿論私は待たなかった。


 ――約束しましたよ。


 強引にそう言ってしまうと、姉上はうんと頷いてくださった。しめしめと思う反面、押しに弱くて少し心配になった。私がいない間、他の男に口説かれでもしたら……。


 別れ際、あれこれとしつこく釘を刺したせいで、私は姉上に一喝された。


 私は馬上から口づけを投げ、未練を断ち切るように前を向いた。


 ――待っていてくださいね。きっとですよ。


 かくなる上は、厄災をさっさと倒し、姉上をこの腕の中に迎え入れるのみだった。

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