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ジュールズ――どうしようもない愚弟1

 おぞましい二頭の獣は食事・・に夢中で、背後にいる私にまったく気づいていなかった。


 私は愛用の鉄扇を広げ、慎重に狙いを定めた。


 肩の力を抜き、手首を返す。


 先端を縁取る繊細なレースのように、びっしりと埋まった鋭利なやいばが空を切り、まず一頭、続けてもう一頭、私が放った鉄扇は美しい螺旋を描き、ガツガツと獲物を貪る二頭の魔獣の背を切り裂いた。


 重い唸り声を上げて戻ってくる扇を片手で受け止め、刃先を染める生臭く赤い血を払う。


「見事」


 背後から聞こえた父の声に、十三歳の私は誇らしい気持ちで一杯だった。


 魔獣の討伐は我が家に課せられた最も大切なお役目の一つであり、その腕を褒められるということは、ライスターの家に生まれた者にとって、この上ない誉れであった。


 ――よいか、クロティルダ。我らの使命は領民の命と暮らしを守ること。


 幼い頃からそう言い聞かされて育った私、クロティルダ・ライスターは、多国間にまたがる高く険しい山脈の東端と、そのすそ野を覆う広大な森を領地に持つ、ライスター辺境伯の一人娘である。


 当代最強の呼び声も高い父から強い魔力と身体能力を受け継ぎ、ライスターらしい勤勉さも併せ持っていた私は、持って生まれた資質に慢心することなく日々こつこつと鍛錬を重ね、十歳になる頃には、父や叔父たちの魔獣狩りに同行するまでになっていた。


 初めて自分だけの力で魔獣を倒したのは十二歳の時である。これは父が打ち立てた記録より一歳若い。


 この日、私は父と二人で恒例の魔獣狩りに赴いていた。


 山と森があれば獣がいるのは自明の理で、特にこの辺りには、人間の女や子供を好んで食らう魔獣がよく出没する。


 魔獣とは、黒灰の硬い毛に覆われた、鋼のような巨体を持つ異形の怪物である。


 尖った鼻先と、口からはみ出るほど大きな牙を持つ相貌は、紛れもなく獣のそれでありながら、不思議とどこか人間の顔のようにも見え、そのことが彼らの不気味をより一層際立たせている。動きは俊敏、跳躍は高く、彼らの討伐においては、父や私のような対魔獣用の訓練を積んだ、魔力持ちが複数名で行うのが必須とされていた。


 まれに地元の猟師が火縄銃の一撃で倒したという話も聞くが、それはあらゆる偶然が重なった上での、奇跡に等しい幸運に過ぎない。


 現に今も、彼らが食事に夢中で背中ががら空きだったからこそ、一発で仕留めることが出来ただけだった。


 私は父と二人、そろりそろりと慎重に、たった今倒したばかりの魔獣の死骸に近づいていった。


 彼らの様子が明らかにおかしかったからである。


 彼らが主に食らうのは、甘く柔らかい人間の女や子供の肉で、それ以外ならせいぜい兎、牛くらいの大きさになるともう食べない。


 だが、この二頭の午餐となっていたのは、遠目からでもはっきりと分かる、黒灰の固い毛を持つ巨体――つまりは彼らの同胞だった。共食いする魔獣など見たことがない。


「これは……」


 近づいてみると、肉ごと皮を食い破られ、骨を暴かれ貪られていた一頭からは、誰とも知れぬ魔力の強い匂いがした。


「成程」と父の低い声。


 何ということ……。


 私は嫌悪で吐きそうになった。


 これの意味するところはひとつ、魔獣たちはこの魔力の持ち主を襲うよう、何者かに操られていたということだった。


 だが、標的となった本人か、その仲間が本人の身代わりとして、捕食者たちのうち一頭に同じ魔力の匂いをまとわせ、彼らに誤認させたのだろう。


 物言わぬ獣の骸から、読み取れることはそこまでだった。


 父は餐となっていた一頭に手をかざし、残された魔力の匂いをたどった。


 山脈に国境線を持つすべての国で、魔獣は発見即討伐という取り決めがなされている。


 魔獣を使って特定の誰かを襲わせるよう仕向けることは、重大な協定違反だった。


 岩のようにいかつい外見ながら、私などより余程繊細に魔力を扱う父は、ほどなくして同じ魔力の匂いを嗅ぎ当てたようだった。


 父は巨体に似合わぬ俊敏さで、我らの庭たる森に飛び込み、気配を消して木々の間を疾走する。


 私も同じようにして後に続いた。


 森の端に沿って内側を進むうち、森の外れにある一本の巨木にもたれている黒髪の男の姿が目に入った。


 まだ若い。二十代前半といったところだろうか。僧服と思しき彼の黒衣は巨大な爪で裂かれたようにぼろぼろで、足元には血だまりが出来ていた。


 あの人、ひどい怪我をしてる――。


 思わず彼に駆け寄ろうとする私を、父が冷静に押しとどめた。


 私は状況も分からぬまま安易に動こうとした己を恥じ、父に倣ってまずは木々の隙間から辺りの様子を窺った。


 黒髪の男は重傷を物ともせず、盆地に鋭い視線を走らせていた。


「――いたぞ!」


 盆地の方から四、五人の男たちが、巨木を背にした彼に向って突進してくる。彼は剣を握り直し、応戦する構えを見せた。


 悪党面をした男たちは、おやと思うほど彼から距離を保ちつつ、じわじわと彼を取り囲んだ。


 リーダー格と思しき男が嘲笑うように言った。


「さすがは王国一と名高い武装神官様。陛下の可愛いバケモノたちは、どうやらあんたにやられちまったようだ。まあ、あんたも無傷とはいかなかったようだが――ガキはどこだ」

「ガキではない」


 深手を負い、追い詰められているはずの男は不敵に笑った。


「ドラージュ卿――いや、陛下とお呼びしろ」

「ほざくな。半死人」


 リーダー格が吐き捨て、他の男たちも「いいからさっさとガキの居場所を吐きやがれ」「力尽くで喋らせてやろうか」といきり立つ。


 彼らが間合いを詰めてきたところで、黒髪の男は待っていたとばかりに一歩前に踏み出した。


「残念だったな。陛下なら我が兄弟にとっくに引き渡している。私はお前たちをおびき寄せ、ここで足止めする役目を仰せつかった」


 すっと表情を消すリーダー格の背後で、男たちが一斉に喚き始めた。


「畜生、まだ仲間がいやがったのか」

「これだから神殿は」

「うじゃうじゃといくらでも湧きやがって、キリがねえ」


 リーダー格が「まあ待て」と彼らを制し、黒髪の彼に向き直った。


 殊更恭しく腰を折り、慇懃に尋ねる。


「それで、陛下はどちらに参られましたでしょうか? お教え願えませんかねえ、武装神官様」

「誰が言うか」


 そう言いつつも、黒髪の彼は一瞬、気遣うように北の低地に視線を走らせた。


 リーダー格は満足げにニヤリと笑った。


「ご親切にどうも。――行くぞ」


 もう用はないとばかりに、男たちは彼に背を向ける。


 次の瞬間、うち一人の背中に彼の投げた剣が深々と突き刺さっていた。


 なんと――。


 私は声を上げぬよう、慌てて口元を覆った。あの深手で、どこにあんな力が残っていたのだろう。あの様子では魔力もほとんど枯渇しているだろうに。


 彼が過たず仕留めたのは、彼を追ってきた男たちのうち、一番体格の良い男だった。接近戦では最も難敵だったであろうその大男は、為す術もなく剣先を腹から突き出して、呆気なく地面に崩れ落ちる。


「どこへ行く。私はお前たちを足止めせねばならぬと、たった今説明したばかりだろう」

「野郎――」


 男たちが目を血走らせ、丸腰となった彼に向き直った。


「お望み通り、先に片付けてやらぁ!」

「グザヴィエ・タイユフェルを殺ったとありゃあ、酒場女にもモテモテだ」


 ああ、あの人は死んでしまう――私は父からの援護許可を今か今かと待っていた。


 もういいだろう。今までの流れからして、人間に魔獣を差し向けたのはあの悪党面たちで間違いない。「陛下」などという注意を要する言葉も聞こえはしたが、たとえ私が彼らをここで斬って捨てたところで、どんな陛下も大っぴらに文句を言ってこられるものか。先に国際協定違反を犯し、ライスターの地に薄汚いモノを持ち込んだのはあちらである。


 この時私の頭にあったのは、今この瞬間にも私と父の目の前で、咎なく深手を負った男がたった一人、自らの死と引き換えに四人の敵を倒そうとしているということだけだった。


 一人目の攻撃を避けて逆に剣を奪い、握り直して返り討ちにする間に、二人目の剣があの人を貫くだろう。だが、そうやってわざと間合いに引き入れた二人目を彼は逃さず斬るだろう。彼は体に剣を飲んだまま、それでも残りの二人を倒すだろう。深手を負ってなお、それだけのことが出来る力量差は見て取れたが、逆に言えば今の彼には、それ以外の方法で四人もの敵を倒すことが出来ない。


 ――もう駄目だ。行きます。


 父の許可を待たず、飛び出そうとした私は、地面にめりこむかと思うほど強く肩を押さえつけられた。


「そこにいろ」という無言のメッセージを全身で受け止め、私は一人安全な後方から、一飛びで彼らの間に降り立つ父の逞しい背中を見た。


「誰だ!」

「お前に名乗る名などない」


 父は不機嫌に言い放ち、愛用の戦斧せんぷを軽く振った。父が持つと普通の大きさに見えるそれは、実際には特注の大物で、斬ってよし突いてよし、殺傷能力も並の戦斧の比ではない。


「我が領で不埒な剣を抜く者は、誰であろうと容赦せぬ」


 名乗る名などないと言いつつ、名乗ったも同然の台詞を放つ父。直後、重い戦斧が軽やかに舞った。


 悪党面たちが鮮血をほとばしらせて地に倒れ、私はもういいだろうと森を飛び出した。


 グザヴィエ・タイユフェルと呼ばれたあの人は、もう立っていられなくなったのか、木にもたれたままずるずるとその場に座り込み、父に小さく頭を下げた。


「しっかりしろ」


 父の大きな腿が、担架のような安定感で彼の頭の下に入る。彼は何かを訴えるように、先程悪党面たちを誘導したのとは逆の方角に視線を走らせた。


 視線の先には何もない。彼が口の中で何か唱えると、小さな藪が出現した。目くらましの魔法である。


 現れた藪の奥からは、贄となった魔獣の体にまとわされていた魔力と同じ匂いがした。


 私は急ぎ駆け寄って藪をかき分ける。


 そこには粗末な旅装姿をした、小動物のように愛らしい男の子がいた。


 ああ、こんなに震えて……。


 少年は端正な顔を強張らせ、目を見開いて私を見ている。


 さらさらと流れる亜麻色の髪は、肩より少し上。透き通るように白い肌は、山の万年雪のごとく清らかで、瞳の色は明るい褐色。


 全体的に淡く優しい色合いをした、泣きたくなるほど可憐な少年だった。


「そのお方の名は……ゲリュオネス・ユーグ・ジュールズ・クラメール」


 途切れ途切れの、グザヴィエ・タイユフェルの声に、父と私はぴたりと動きを止めた。


 聞いたこともない名。


 なのに続いた、隣国ダルメス王家の姓。


「聖剣が、彼を選んだ。故に、命を狙われている。どうか、守ってください、私の、代わりに」

「き、君、もう喋るな」


 父は一息に引き裂いた布で彼の腹部をきつく縛りながら、グザヴィエを黙らせようとした。


「喋るな」とは、重傷者への当然の気遣いであったが、彼の発言内容があまりにも危うかったからでもあった。


 先程の悪党面と彼の会話も併せてまとめると、この少年は大国ダルメスの傍系も傍系王族、しかも命を狙われている。


 ――陛下の可愛いバケモノたちは、どうやらあんたにやられちまったようだ。


 恐らく、ダルメス王その人に。


 グザヴィエの頼みを聞くということは、取りも直さず、ライスターをダルメス王家の揉め事に巻き込むということを意味していた。


 ライスター辺境伯たる父としては、たとえ口頭といえど、迂闊な約束を与えることは出来ない。我らの使命はまずもって、領民の命と暮らしを守ることである。逆にどうしても父の言質が欲しいグザヴィエは、父の腕をつかんで食い下がった。


「いいえ、どうか、あの方を守るとお約束ください、お約束いただけるまで、私は口を閉じませぬ。どうか、守ると、言ってください、どうか、どうか、あの方を、どうか……ゴフゥッ!」

「分かった、分かったから!」


 ああ……とグザヴィエは安堵の吐息を漏らし、満足げな笑みを浮かべてがくりと首を垂れた。


「いかん!」


 意識を失ったグザヴィエを肩に担ぎ、父は城内へ戻る魔法回路の輪を開く。戦闘に特化した我々に、重傷者をその場で癒せる治癒魔力の才などない。


「その方はお前が責任を持ってお連れせよ!」


 父はそう言い捨てると、一瞬で輪の中に消えた。


 後に残されたのは私と、傷ついた小動物のような目をした、幼い傍系王子だけだった。


 私は彼を怖がらせないよう、彼と目線の高さを合わせ、四つん這いになってそろそろと彼に近寄った。


 改めて、色素の薄い子だと思う。


 綺麗だな……。まるで淡い光の中にいるようだ。


 彼とは違い、私はと言えば、鴉の羽のような黒髪に、「血のよう」と陰口を叩かれることもある、赤みがかった紫の瞳という残念な濃さだった。優美な母の資質を何一つ受け継がず、ライスター家特有の冷たい顔立ちで、「ちゃんと娘のなりをすれば、美人さんです」などとばあやは気遣ってくれるが、こんな男顔、女装なんて全然似合わないことは自分でもよく承知していた。


 つまり、目の前の少年にとっては、少々きつい顔立ちをした年上の少年が、じりじりと近寄ってきているという状況に外ならなかった。


 案の定、彼は私が伸ばした手にびくりと身を竦ませた。


「あ、あの、怖がらないで、私は何も……」

「ごめん、なさ……」


 直後、彼の目から溢れ出した涙に私は声を失った。


 ――どうして君が謝らなくてはならない? 君が一体何をしたという?


「ごめん、なさい……」


 しゃくり上げながら、彼が何度もそう繰り返す。私は堪らなくなって彼を遮った。


「――泣くな」


 私は彼の頬に伸ばした指で、彼の涙をぐいと拭った。


「君が謝らなければならないことなんて、何一つない」


 だって、そうだろう。本来であれば、幼い君を慈しみ、守るべき立場にいる者たちが、恥知らずにも君を泣かせた。その罪を背負うのは決して君ではない。


「よく頑張ったね」

「がんばった……?」


 怪訝そうに首を傾げる彼に、私は「うん」と大きく頷いた。


 小さな体で追っ手を振り切りながら、恐らくは何日も険しい山道を旅してきた子供である。


 それはどれほど過酷な道のりだったのだろう。


 彼を守り、目の前で散った命を、彼はいくつ見送ったのだろう。


 彼に付けられた従者が、最初からグザヴィエ一人だけだったとはさすがに考えられなかった。


「そうだよ。よく生きていてくれた。……ここまで大変だっただろう」


 淡い褐色の瞳が見開かれる。


 私は彼の目をまっすぐに見て告げた。


「だから、君は今、生きていることを誇れ」

「え……」


 彼はもう私に怯えていないようだったから、私は更に手を伸ばし、彼の頭にぽんと乗せた。


「生かされた命を抱きしめて――君は今、生きていることを誇れ」


 瞬きもせず、私を見つめる美しい瞳。


 その目から、涙の最後の一粒がこぼれ落ちた。


「あ、そうだ」


 私はポケットの中にいいものがあることを思い出し、真っ赤な鼻先をちょいとつついた。


「ご褒美をあげる」


 私は戦闘や鍛錬などで激しく体を動かした後は、無性に甘いものが欲しくなる質だった。それ故に討伐の際はおやつを欠かさず、今日も小さな砂糖菓子をふたつほどポケットに忍ばせている。丁度良かった、これを彼にあげようとポケットを探り、私ははっとした。


 ――しまった、今日は食べちゃったんだ。


 魔獣に出くわす少し前、農家の娘を集団で襲おうとしていたごろつきを見つけてボコボコにしたのだが、その際に私はうっかりふたつとも食べてしまっていたのだった。


 ――何てことだ……あんな、肩慣らしにもならない運動で。


 どうしよう。少年は心なしか期待のこもった目で私を見ている。ごめん、食べちゃったとは言えず、私は身を屈めて少年の頬に顔を寄せた。


 ――ああ、今日は何をやっても駄目な日だ……。


 本当は彼の頬に軽くキスして「あとでね」と言うつもりだったのに、体勢が不自然だったのと、彼の顔が思った以上に小さかったのとで位置がずれ、私は彼の唇の真横という、まったく訳の分からない部位に口づけてしまった。


「ご、ごめん。あっ、あっ、あとで――」

「ごほうび……りがと……」


 うう、ああ。


 違うんだ……。


 だけど、彼があんまり嬉しそうに笑うものだから、私はそれ以上何も言えなくなってしまった。


 弁明の機会を逸した私は、うんとかああとか誤魔化しながら、「じゃ、帰ろう……」と城に戻る回路を開き、彼と二人、ぴたりと仲良く寄り添ってライスター城に帰還した。

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