7.
「はぁ〜。うまかった〜」
そう満足げに声をこぼしたのはソア。
それもそのはずで、次から次へとテーブルを埋めつくしていった主役級のメイン料理たちはペロリと残さず、ソアの腹の中に吸い込まれていった。
もちろん、リチェとレオも食べてはいるが、大部分はソアが食べたと言っても過言ではない。
その小さな体のどこに収まったのか、とレオは信じられない気持ちのままソアを眺めた。
「美味しかったね」
目的だった地元料理が食べられたリチェはご満悦らしく、ニコニコを笑みを浮かべている。
「まぁ……」
たしかに美味しかった。だが、レオはソアやリチェのように言葉を口にすることができなかった。
なぜなら、胃もたれのような症状が体内で起きていたからだ。
普段より多く食べたとは言え、よもや青年と言われる年齢で胃もたれ。リチェに振り回された精神的疲労のツケが回ってきたのか、それとも気づかぬ肉体疲労か。
どちらにせよ、レオにとって認めたくない現実である。
「しっかり味がついた料理ばかりだったから、口直しでもしよっか?」
真っ先にレオの不調を気づき揶揄いそうなリチェは「ん?」と、警戒するレオの視線に対して、こてりと不思議そうに首を傾けるだけだった。
さすがに不調を揶揄うようなイタズラ心は出なかったらしい。
「ちょうどいい感じのモノ、ありそうか?」
「んーっと。どうしようかなー」
ひょい、とメニュー表を手に取ったリチェ。
レオは体の中にある、もたれ感が拭えるのであれば料理にこだわりはない。楽しげに目を細めるリチェの言葉の続きをぼんやりと待った。
「スープ、スパイスズッパはいかかでしょうか? スパイスというか、少々クセのあるハープが入っているのですが、さっぱりとした味わいを感じられると思います」
そんな時、料理の空き具合を確認しに近づいてきたであろう店主が、二人の様子から察したらしく丁寧に提案をしてきた。
「通常は具沢山なスープですが、今回は具は少なめにご用意しましょうか?」
自分のことを棚に上げてしまうが、下町の住民と言えば、ガサツでテキトーな人種ばかりと思っていた。しかし、この店主は珍しく丁寧で気遣いができる人間だった。
「えぇ、ぜひお願いします」
「かしこまりました。お時間をいただかずにお出しできますので、ほんのすこしお待ちいただければと思います」
「それは助かります。よろしくお願いしますね」
料理について話がまとまると、店主はぺこりと一礼し、足早に厨房に戻っていった。
「お前らだけ、追加で食うとかズルい」
おとなしくしていると思っていたソアは、店主が見えなくなると同時に不機嫌な声を上げた。
「スープだぞ」
「でも具があるって言ってたし!」
こちらとしては”口直し”としての料理だが、ソアにとって理由は関係ないらしい。
そして、それよりも確認しなければならないことがある。
「まだ食えるのか?」
「当たり前だ!」
なにが当たり前なのか、レオにはまったく理解できなかった。
あれだけの量を腹の中に収めておきながら?と、喉元を出掛かったが、ソアとのやりとりが続くのは面倒だ。レオは問う言葉を飲み込むことにした。
ただ、このままご機嫌を損ねてしまったソアを放置するわけにもいかない。
どうやって対応しようと脳内であれこれ考えていると、リチェが春風のようにふわりと言葉を重ねた。
「大丈夫。ソアには別の料理が来るはずだから」
「えっ! そうなのか!?」
「うん。だから楽しみに待っててね」
絶対的な信頼に近いものがリチェにあるソア。リチェの言葉にすぐさま機嫌をよくした。
「そんな話してたか?」
なにが出てくるのかと楽しみにしているソアを横目に、ひっそりとリチェに声をかけた。
また機嫌を損ねられたら面倒どころじゃないという危惧からだったが、リチェはレオの言葉に唇で弧を描いた。
「ううん。話してはいないけど、大丈夫」
その言葉通り、もしも、なんていう不確定要素は見えない。
明確な根拠がなくても目の前のリチェのように、不安のひとカケラも見せずに堂々とされてしまうと、予想ではなく、確定事項のようにしか見えてなくなってしまうのだから不思議なものである。
「お待たせしました。スパイスズッパです」
くしくも、リチェの言葉通りのこととなった。店主はリチェとレオの前に、スープを置いた。
ソアは目ざとく、店主が口を開く前にトレイの上に乗ったスープとは別の商品をすぐさま見つけていた。
「あった!」
「ソアにはデザートだ」
店主はソアの声に目元を緩めた。
テーブルの上にことりと置かれたデザートは、白いクリームのようなものに焦げ茶のパウダーがかかっている。
どこかで見たような気がするが名前はなんだったか? レオの思考は、そこで行き止まりとなった。
「ティラミスだね」
リチェはレオとは反対に、いとも簡単に名を口にした。
そのことに店主は何度も目を瞬かせ、大きく驚いていた。
「よくご存知で……」
「えぇ。いろいろ旅をしているので目にしたことがあったんです」
「そうなんですね。まだティラミスはありますので、お気軽に声を掛けてください」
「もちろんです」
店主の提案に、軽く頷いたリチェはスープに手を伸ばす。
スプーンでひと口すくう、その所作は優美だ。本当に見た目を裏切る男である。
リチェを目で追いながら、スプーンで大きくすくったスープからはハープのほのかな香りがしていた。
「んっうま」
口に入ったとたん言葉が飛び出した。
一度、舌の上を滑らせると、具材を煮込んだことで旨味もしっかりと出ており、味わい深い。それに、ハーブが入っているおかげでしつこさが全くなく、するりと喉を通った。
店主の言う通り、さっぱりしている。これならば具材が多く入っていても気にならないだろう。
胃もたれのような重さが腹にはあったが、スープを口に運ぶ手は止まることはなかった。
「わぁ!?」
ソアの驚いた声と、カツンと床に落ちたなにかの音が同時に聞こるまで、レオはスープに夢中になっていた。
「どう、した?」
顔を上げ、そう口にした時には異変は起きていた。
舌が痺れたように動きが悪い。
自分の意に反して、言葉が途切れる。
不思議に思いながらも声がした方を見ると、リチェがテーブルの上に突っ伏していた。手はだらんと脱力し落ちている。
その光景を視界に入れた瞬間、ぶわりと毛が逆立った。
「なぁ、リチェってば…起きろよ、なぁ」
ソアは目の前に起きたことに困惑していた。
顔は強張り、オロオロと視線を彷徨わせながら、リチェの肩をゆすっている。
リチェからの反応はない。
「ちっ」
襲撃されている。
そのことに気づかなかった自分に苛立ちながら、周囲に視線を走らせる。一番、影響が出るであろう子供のソアに変化は見られない。
つまり、敵が狙っているターゲットは、症状が出ている人間ーーリチェと自分。
相手の目的がわかったところで、侵食は止まらない。
レオの指先が小刻みに震え、手からスープをすくっていたスプーンが落ちた。視界は霞みがかっていく。思考が淀んでいく中、ひとつ分かっていることがある。
この場で怪しまれずに、特定の人物だけに毒を入れることができたのは”店主だけ”。
「おやっさん! なんでっ!?」
泣き声のような叫び声が室内に響いた。




