3.
「……なぁ、もう解放してくれよ」
数時間前までは、強気だった少年は弱々しい声を漏らす。
その身体は見えない糸で縛られたように固まっている。
「ダメだよ、ソア。動いたら壊れてしまうから」
いつもふわりと笑うことの多いリチェから放たれているのは真剣な眼差し。
ソアと呼ばれた少年は苦しげな表情を浮かべた。
「ムリ、限界だ」
「おしゃべりする元気があるなら、まだまだいけるね」
ニッコリと笑ったリチェ。
「まだやるのか!? どんだけやれば満足なんだよ!!」
ついに耐えきれなくなったらしいソアは、糸を断ち切るように大きく体を揺らして声を上げた。
「あーあ。もうちょっとだったのにー」
ソアの言動に驚くことなく、残念そうに呟くリチェ。
「おいっ。お前、こいつになんとか言えよ! 狂ってる!!」
自分の言葉に反応しないリチェに何を言っても無駄だと即座に判断したソアは、言葉の矛先をレオに変えた。
「俺がなにか言って変わるなら、お前にモデルを持ちかけた時点で止めている」
「ぐっ」
うめき声に近い声を出したソア。
レオはそんなソアの様子に横目に、ほくほくとした表情でスケッチブックをめくるリチェを見る。
本当に自分の主人は変わり者であると、あらためて思い知らされレオの頭痛は痛みが増すばかりだ。
「指示した体勢のまま、視線ひとつ動かさず、じっとしていろ。なんて……ラクな仕事だと思ったのに」
ソアは恨みがましく呟いた内容。
それはリチェが盗みを犯した目の前の少年に出した条件だった。
街の警備隊に突き出さない代わりに、こちらから出す条件をすべてのむこと。
「えぇ? デッサンモデルの基本だよ?」
リチェはソアの反応に不思議そうに首を傾げた。
「はぁ!?」
反射的に漏れ出たソアのひと声に「なに言ってんだコイツ」という混乱じみた言葉が含まれているようにレオには聞こえた。
しかし残念ながら、これはソアが選んだ結果だ。
警備隊に出せば、たとえ軽犯罪という括りであろうが、留置所へ入れられる。出るためには、指定の業務、強制労働に従事させられるか、保釈金を支払う必要がある。
どちらも、年端もいかない少年であるソアにとって、どちらも避けたいことだった。
だからこそ、私刑を選んだ。
その内容がいささか、ソアの想像を一脱していたことは気に入られた相手が悪かった。その一言に尽きる。
「それにちゃんと20分に10分は休憩させてあげてたでしょ?」
リチェなりの優しさのつもりらしい言葉だとレオは察することできるが、気軽にうなずける内容ではない。
プロの絵画モデルでも音を上げる内容を、素人の少年に求めていたこと。
美術、芸術に関することとなると、常識の感覚から外れてしまうところがあるのが目の前の男、リチェだ。
「んなこと言っても何時間かかるんだよ!」
「えーっと、3時間ぐらい? でも本当のデッサンだったら6時間とかやってるよ」
「まじかよ……」
ソアの言葉ひとつひとつ、律儀に返すリチェ。
その律儀さをほかにも適用して欲しいものだと、レオはつくづく思った。
「でも、まぁ、いろいろ描けたし。今日は終わりにしようっかな」
「終わったー!」
開放された喜びから、飛び跳ねるように両手を天井に伸ばすソア。
「じゃあ、明日はお昼頃にココに来てね」
「は? いま終わったって…」
「うん。今日”は”終わり、だよ」
頬を引くつかせるソア。
ニコニコと笑うリチェ。
「くそっ」
「いまからでも僕たちは、君を警備隊に出すこと、できるよ?」
そんな気もないクセに意地悪な言葉を並べるリチェ。
子供を揶揄うなと、レオは視線に込めるがリチェの表情は変わらない。
「・・・わかった。だけど明日の昼はダメだ」
ソアにリチェの真意などわかるはずもない。
警備隊に突き出されることを避けたいソアは顔を背け、声を絞り出した。
「なんで? 予定でもあるの?」
盗みをする時点で生活が困窮していることは予想できる。
だからこそ、警備隊を避けているはずなのに、そのリスクを冒してまで断る理由が存在している違和感。
「仕事がある。今日は休みだったから」
「へー? 子供を雇ってくれるところなんてあるんだ」
「採石場の発掘仕事。体力があればそんなの関係ない」
なるほど。たしかに鉱彩石が特産品であるこの街であれば不思議ではない。
大人でも重労働な内容ではあるが、猫の手でも借りたい、ということなのだろう。
「そっか。それじゃあ、そっちを優先しないといけないね」
「いいのか!?」
「当たり前だよ。僕のこれは一時的なものだし、今後もこの街で生きていくなら地元のお仕事はちゃんとしなきゃ」
「あ、そ、そうかよ」
自分の意見が尊重されたことがなかったのだろう。
リチェの言葉にソアは戸惑いを見せた。
「なら、いつなら空いているの?」
「あきらめてはくれないのか…」
わずかな希望があったらしいソアは盛大に肩を落とした。
リチェは反対に目を輝かせる。
「当然! だって、子供のモデルなんて希少なんだよ。おかげでじっくり描くなんてこともできないし」
「地味にキツいしなっ」
己のツラさを伝えるべくソアが言葉を足した。
しかしリチェはさらりと流す。
「それもあるけど、僕が稚児趣味なんて思われても困るからねー」
腕を組んで軽く頷きを繰り返すリチェは困ったとわざとらしいポーズをとった。
なにが困っただ、とレオがうろんだ視線をリチェに送るなか、ソアがぽつりと口を開いた。
「ちごしゅみ?」
ソアの言い慣れない、たどたどしい音に室内の時間が止まった。
「えっとー。なんていうかー。うん、ある意味、ヘンタイってことかな?」
「は? お前みたいな絵が大好きなヘンタイってことか」
言い得て妙。レオもうなずくツッコミをいれたソアに、リチェはめずらしく視線をさまよせた。
「いや、なんかすごーく語弊があるかなー? そうだけどそうじゃないっていうか、違うんだよー」
ソアが答えを求めてじーっと、子供特有の真っ直ぐな視線を突きつけられたリチェ。眉を下げ、へらりと笑いながら思考をめぐらせていたらしいリチェは、レオと目が合うと「あぁ」と声をこぼした。
「レオ、説明してあげてね!」
とてもつもなく良い笑顔で、丸投げである。
「こういう時ばかり、俺を使うな」
「なに言ってんの。ずっと黙ってて寂しかったでしょ?」
リチェのイタズラ心を理解していないソアに、誤解をあえて生まれさせようとする発言。
いや少年とのやりとりを誤魔化そうとしているかもしれない。
「をい」
レオはリチェの内心はどうであれ大半がイタズラ心と理解しているが、現在の状況はかなりよろしくない。
傍観していただけなのに寂しいと思われるのは気分が悪い。
言葉と視線に、レオは否定の意を込めるがリチェはにこりと笑って受け流した。
本当にリチェは”自分が楽しい”のための追求に与念がない。
「なぁ、なぁ。どういう意味だよ!?」
そして質問の矛先を変えた子供の追求は純粋で、厄介。
「うるさい。黙ってろ」
「うわっ。口、わっるー」
まったく次から次へと、頭痛のタネが尽きない。
レオは痛みを響かせるこめかみに手を当てた。
●警備隊
現代の警察みたいな団体