幕間、幼なじみの会話
その時、『士』少佐昇任試験の会場である離島に、一人の男がやって来た。
男の名前はイーサン・ガンドルフィ。
『士』の頭領にしてナタリアの幼なじみである。
イーサンは最初海路で移動する予定だったが、予定変更して天馬で島に来ていた。
担当官から空路の方が良いと進言を受けたからだ。
イーサンは上空から見て、その理由を知る。思わず苦笑交じりの感嘆の息を漏らす。
「──ははっ、これは凄いな……っ」
島は森で覆われていた。
木が濃い。異常な密度で成長している。
こんなこと、視察の時にはなかった。
その全てをマクシムが支配しているとしたら──恐るべき能力者だった。
イーサンは天馬の手綱を操り、監督官たちの集まる待合い場所へと移動した。
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待合所では、主任監督官をはじめとした担当者が忙しそうに仕事をしていた。
島内で今部外者といえるのはナタリア・サバトくらいだろう。
ただ、彼女は『竜騎士』の家系にあり、協力者として完全な部外者でもない。
イーサンは監督官たちから状況報告を受けた後、ナタリアを探した。
ただ、ナタリアは探すまでもなかった。
彼女は落ち着かないのか簡易テントの外にいて、ひたすら竜を手入れしていた。
竜は子犬のように大人しく寝そべっている。
監督官たちは遠巻きにして近寄ろうとしないため、彼女は独り、竜の鱗を無心にブラッシングしていた。
どうやら、ナタリアは試験開始してからずっと手入れしているようだ。
結構時間が経つが、疲労は見えない。
無尽蔵の体力に内心驚きながらイーサンは話しかける。
「よ、ナータ」
「あら、イーサンも来たのですわね」
ナタリアはこちらを振り返って、ようやく手を休める。
どことなく竜も安堵したように見えた。
さすがに手入れをずっとされていて落ち着かなかったのかもしれない。
──おや?
イーサンはナタリアにふと違和感を覚える。
『案山子』の件で会ってから少しだけ時間は空いたが、外見に変化はない。
だが、何となく雰囲気が大人びている。
長い付き合いになるが、ナタリアの何が変わったのか……そこで一番に思いつくのは一つだった。
面と向かってお祝いを言ってなかったことを思い出し──ディアマンテではそれどころではなかった──イーサンは口を開く。
「そういえば、良かったな」
「? 何のことですか」
「おめでとう」
「だから、何のことです?」
「本当に『竜騎士』に成れたんだな」
「あ、はい、そうですわね」
ナタリアは一瞬だけ戸惑いの表情を浮かべたが、すぐに素知らぬ顔で頷いた。
イーサンは確信する。
やはりただの『竜騎士』ではないようだ。
その推測は『W・D』からも報告を受けていたが、詳細は不明。
ただ、ナタリアが竜と繋がった時にイーサンは近くにいたから少しだけ知っている。
『武道家』を捕縛するためにあまり注目できなかったが、彼女は竜に指示を出し、『魔王の眷属』を打倒した。
英雄アメデオ・サバトは助からなかったが、ピッキエーレ少佐を始めとした面々、そして、マクシム・マルタンを助けた。
どちらにせよ、ナタリアの成長は、人類の守り手である『士』としてだけでなく、彼女の幼なじみとしても好ましいことだった。
それに、ニルデの件もあった。
彼女の意識を取り戻すための尽力を考えれば、ナタリアの独り立ちは心配事が減る意味もある。
『竜騎士』は実質的に彼女一人だからだ。
いや、もう一人いるのか。
イーサンがその件を確認しようとするが、その前にナタリアが口を開いた。
「ところで、シラは元気ですか?」
「こっちに預けたのは昨日だろ? 特に何もないよ」
「シラと別々に行動したことがないので、ワタクシ、心配なのですわ」
シラはイーサンの元で預かっている。正確には『士』の元で預かっている。
彼女もイーサンにとっては妹分であり、もう成人と変わらない外見だが、まだ七歳。大切に預かっていた。
だが、いくらなんでも心配性が過ぎる。
「安心しろよ。仮に『魔王の眷属』が来ても撃退できるくらいの環境にあるからな」
「いえ、そういう心配はしていませんわ」
「そりゃそうか。じゃあ、何が心配なんだよ」
「……正直、一緒にいられないことが心配なのですわ」
「やっぱり、心配性だな」
「だから、違いますわ!」
シラは『W・D』も一緒にいるから何の問題もない。
どちらかと言えば、不安なのはナタリアの方なのかもしれない。
シラとマクシムが近くにいない状況に慣れていないのだろう。
シラの方は分かるが、マクシムとはまだ出会ってそれほど時間が経っていないはずだ。
それくらい密度の濃い時間を過ごしてきたということだろう。
「ところで、一つ質問だが、ナータはマクシムと付き合っているんだよな?」
ナタリアは頬を赤く染めて、コクリと頷く。
「はい、そうですわ」
そして、ぺしぺしと竜を叩いている。照れ隠しだろうが、竜は無反応。いや、少し呆れているのかもしれない。
あまりにも幸せそうな様子に、イーサンは少しだけショックを受ける。
「あの、小さかったナータがなぁ……」
「ワタクシも成長しましたわ」
「知っているよ」
幼い頃から知っている少女が、大人に成長していることも少しだけあるが、それ以上に彼女の容姿だ。
ナタリアはニルデにとてもよく似ている。
ニルデの現状と無意識的に比較していたからこそのショックだった。
イーサンは気を取り直して質問する。
「で、マクシム君はナータの伴侶として『竜騎士』の資格を得たのか?」
「ええ、そうですわ」
「本当に?」
「どうして疑うのです?」
ナタリアは少しだけ気分を害したような表情。
イーサンは慌てて謝る。
「いや、すまん。伴侶の資格を得るのは難しいって聞いていたからな」
「別に怒っていません。マクシムは立派に『竜騎士』の資格を得ておりますわ」
「そうか……それは凄いな……」
「はい! マクシムは凄いのですわ!」
ナタリアは身を乗り出し、目を輝かせながら恋人を褒めた。頬を上気させながら、竜をべちべち叩く。
指摘すべきか少し悩んだが、竜が動かないので気づかなかったことにする。
イーサンはナタリアが嘘をつけないことを知っている。彼女はとても正直な少女だ。バカ正直なほどに。
だから、マクシムは本当に伴侶として『竜騎士』の資格を得たのだろう。
だとしたら、もうマクシムはジャンマルコ特務大尉に勝てない。
イーサンは内心で安心しながら、前から気になっていたこともついでに訊ねる。
「ちなみに、俺も詳しく知らないんだが、竜たちが伴侶として認める基準って何なんだ?」
「ワタクシにも分かりませんわ。竜たちはとても気まぐれなのです」
「ふーん。ただ付き合っただけで伴侶として認められるものなのか?」
「ワタクシはマクシムと生涯を供にする覚悟がありますから」
ナタリアはサラリと言ったが、初めてできた恋人とそうそう上手くいくものでもないんだぜ、という冷静な指摘はしない。
そんな野暮はしない。
「覚悟があれば伴侶も『竜騎士』になれるのか?」
「いえ、ですから、分かりませんわ」
少し意地悪を思いつく。恋は盲目過ぎる少女をからかってやりたくなった。
……意識を取り戻さないニルデの件が全くなかったとは言わない。
「ふーん、もしかして、マクシムと寝たのか?」
「? 練るですか? どういう意味です?」
「ヤったのか?」
「やる?」
ナタリアはそういうスラングは分からないのか。純粋な瞳で小首を傾げている。
イーサンがナタリアの耳元でセから始まるその行為を囁くと、ナタリアは耳まで真っ赤になった。
視線をさまよわせながら首を横に振る。
「ま、まままままままだですわ!」
イーサンは内心で動揺する。さて、この反応は微妙だぞ。本当に冗談のつもりだったが、この反応は予想外だった。
まだ、という言い方もそうだが、ナタリアが大人びた印象になっていることをふと思い出した。
これは長い付き合いのイーサンにも、嘘なのかどうか分からなかった。
え、本当に? 大人に? え? あのナータが? 大人に成長したの?
先ほど「成長を知っている」と言ったことの真実を全然理解できなかった。真か、偽か分からない!?
ナタリアは真っ赤になって、竜をばしんばしん叩いている。竜は微動だにしないが、呆れているようだった。
……何となく子どもが旅立つような、そんな気分になって、イーサンは今晩痛飲しようと決めた。




