お前の名は
――何かが狂っている。
それがマクシムに対するニルデの正直な感想で、思わずため息をつく。
ニルデの手足はまるで動かない。
これがどういう毒による作用かは分からないが、再起不能であることは確信できた。
それは長年、鍛錬を続けてきたからこそ養われた勘ともいうべきもの。
そして、『武道家』がアダムの一族に抱いていた悪意はそれほどまで大きかったのか、と考えていた。
強い悪意。
それは憎悪から生まれるものではない。
それは恐怖から生まれるものだった。
まだまだ修行が足りないな、とニルデは――いや、『武道家』は考えた。
さて、これからも戦いは、そして、人生は続くのだ。
ニルデはマクシムに謝罪の意味で告げる。
「お前の能力はおそらくはアダムとは異なっているな」
「はぁ……そうなの?」
「ああ、マクシムは植物を変化・操作するんだろう。生き物は不可能だよな?」
「うん。動物は無理だね」
「アダムは『料理人』だった」
「あー、うん。そう」
「あいつの作る料理は美味しかった。俺はもう二十七代も経験を重ねてきたが、アダム以上の『料理人』を知らない」
マクシムは首を傾げる。
ニルデの雰囲気がおかしかった。
今までは違和感はありつつも、少女らしい空気があった。
しかし、今の彼女は――年老いた男性のように見えたのだ。
そういう面は元々あったが、より顕著に明らかになったという方が正確な表現だろう。
「ただ、ひとつ疑問点がある」
「えーっと、どういう話か分からないけど、何?」
「『魔王』のいたあの暗黒大陸は、まともな生き物がいなかった。我々の知識の外にある存在ばかりだった」
「そうなんだ」
「しかし、『料理人』は栄養バランスも良い食事を提供してくれた」
「うん」
「新鮮な肉もたっぷりあった」
「うん」
「『竜騎士』の使役する竜の分もアダムが担当、用意していた」
「うん」
「大量の肉だった」
「うん」
「どう考えても、毎日、現地調達したとしか考えられない」
「うん」
「俺たちは、一体、何の肉を食べていたんだ?」
「え?」
マクシムは適当に相づちを打っていたから聞き逃しそうになった。
何の生き物か分からないが新鮮な肉。
それを毎日?
どこから仕入れたのか、六人の英雄たちは誰も知らなかった?
そもそも、誰も疑問に思わない?
そんなことがまともにありえるのだろうか?
少し考え――マクシムは息を呑む。
正体不明の肉を大量に用意する。
それは家で畜産もやっていたマクシムだからこそ、理解できない気持ち悪さがあった。
そして、曾祖母の兄は勇者だったのかもしれないが、かなり謎の多い人物だということが分かった。
ニルデはボソボソと続ける。
「考えてみると俺たちは美味しいと絶賛していたが、誰もどうやって用意したのか、知らなかったし、考えもしなかった……」
「いや、何で?」
「分からない。いや、『予言者』だけは知っていたのかもな。だから、あいつは自殺してしまったのか……。もしかして、世界を救った後の俺たちの扱いに絶望したわけじゃなくて、アダムの真実を知っていたからなのか……?」
「いやいやいや、え、どういうこと? え? 怖いんだけど」
ニルデはフッと顔を上げて笑った。
「きっと、アダムとマクシムは似て非なる者なんだな」
「いや、よく分かんないけど、一緒にされると超怖いんだけど」
「ああ、そうだな。何も知らないだけじゃなく、やっぱり根本的に別物なんだろうな」
「確かにひいばあちゃんのお兄さん、なんか不気味だけどさ。僕は一緒にしないでよ、本当に」
「だが、やはりお前も危険分子なのかもしれない」
「どうしてだよ、そういうの止めてよ」
マクシムは抗議する。
本気で何だか嫌だった。
割と物事を深く考えない彼にしては珍しいほど嫌悪感があった。
ただ、曾祖母から少しだけ聞いたことのある、曾祖母の兄の印象を思い出すと、それほど悪いものではなかった気もする。
いや、そういうものなのかもしれない。
誰かにとって善で好であっても、別の誰かにとっては悪で嫌の可能性はある。
ニルデは思い出したように言う。
「そうだな……名づけるとしたらマクシム、お前の名は『庭師』だ」
「『庭師』? 『農家』とかの方が近いでしょ」
「いや、自分の理想の庭を作り上げる能力。これは得難い才能だ。七十三年前なら、お前が俺たち英雄の仲間になったのかもしれない」
「そうなの?」
「ああ、そして、やっぱり、アダムと同じようにお前も俺たちの手で殺されたのかもな」
「え?」
今、聞き逃してはならないことがあった気がする。
アダム・ザッカーバードは俺たちの手で殺された?
英雄たちに殺された? と言ったのか?
どうして?
「ニルデ、君は今、何て言ったの?」
ニルデは顔を上げた。
「あたしは、今、何て言ったんだ?」
「いや、アダムが俺たちの手で殺されたとか何とか」
「あー、そう……。そうなんだ。あたしももう終わりなのか……そうか、そうだよね。もう手足が動かない。それは『武道家の呪い』も発動しちゃうよね」
もう何が起きているのか、マクシムは混乱してばっかりだった。
手足が動かない。
つまり、悪意がそれほど濃かったということだろうか?
一体、どうしてそこまで自分を害そうと思ったのか、マクシムは理解できない。
過去に親族と因縁があったのかもしれないが――自分とは初対面なのだから。
ニルデは再び老男性のような深い瞳になり、マクシムに告げる。
「最期のアドバイスだ。マクシム。お前は自分をもっとよく知るべきだ。いつか、お前の血が、お前自身の運命を決めるだろうからな」
いやいや、もっとアドバイスがあるなら親切に言ってよ――と、マクシムが抗議しようとした時だった。
ニルデは口笛を吹いた。
澄んだ、キレイな音が遠くまで届く。
そして、空気が動いた。
「え」
その口笛に引き寄せられたのだろうか。
竜が、空から降ってきた。