『士』隊舎にて その四
オリンピオ・マルターニ大尉はシノビの末裔である。
シノビとはその昔、諜報などの仕事を任されていた者の通称だ。
だが、今はオリンピオしかシノビの技術を継承する者はいない。
シノビの技術継承は非常に厳しいため徐々に廃れていったのだ。
高齢で既に亡くなった父から受け継いでいなければ、オリンピオもシノビになったとは思えない。非常に希少な技術だった。
オリンピオは今回の少佐昇任試験に賭けていた。
理由はいろいろあったが、彼の野望のためである。
それはシノビの復興――遠大な目標であった。
そのためだったらどこまでも手を汚す覚悟が彼にはあった。
オリンピオは今回の昇任試験において勝機を見出していた。
まず、諜報に長けている彼は他の参加者よりも情報面で有利に立っている。
参加者のうち、マーラ・モンタルド、ディアナ・フェルミ、ウーゴ・ウベルティ、リオッネロ・アルジェントの四人は能力から性格まである程度の情報を収集できていた。
まだ入手できていないのはジャンマルコ・ブレッサ特務大尉と外部からの参加者というマクシム・マルタンのみ。
後者については『竜騎士』ということで対策手段が難しい。
ただし、逆に言えば、直接の戦闘は避け、マクシムの食事や睡眠時の不意打ちに特化すれば良いだけだ。
そもそも、竜をマクシムの装備としてカウントするのであれば、持ち込みにも制限が入るはずだ。あまりにも有利過ぎる。
更に言えば、マクシム・マルタンは前代――英雄アメデオ・サバトが崩れたばかりでまともな戦闘経験はないらしく、長期間のサバイバルも不慣れであることを考えると脅威度は低いと見積もっていた。
サバイバルかつバトルロイヤルなら勝機はある。
オリンピオにとってマクシムはただのターゲットである。
シノビであるオリンピオにとって暗がりからの不意打ちは得意分野だった。
そして、ジャンマルコ特務大尉については現在調査中であった。
あの名探偵『W・D』と同じく『特務』を冠されている。何らかのスペシャリストであることは間違いない。
ただし、『士』の人間は大なり小なり特別が当たり前。
多少、その枠からはみ出ている程度であれば、対処の仕様があるはずだ。
そのために必要なものが情報。
戦いは既に始まっていた。
おそらく試験開始前から勝者は決まるだろうと予測するほどに、事前準備で差がつくとオリンピオは考えていた。
オリンピオはそのためにジャンマルコ特務大尉を追跡調査していた。
+++
――しかし、ジャンマルコは何をしているんだ?
オリンピオはジャンマルコ特務大尉を陰から観察していた。
彼は外食をしていた。ただし、その量が半端ではない。
普通のファミリーレストランだ。
そこでランチを五人前食べた後に、バーガー、ピザ、ポテト、イチゴパフェにドリンクまで注文していた。
オフとはいえ、ちょっと尋常ではない。個人の自由だとは思うが、見ていて心配になるほど食べていた。
とりあえず、食事内容も不健康すぎる。子どもっぽい印象も受けた。
彼はとても幸せそうに食べている。その姿を女性店員が熱っぽく見守っている。男性店員が舌打ちしながら注意するが、女性店員は目を離せない。その気持ちがオリンピオにも分かった。
ジャンマルコ特務大尉は美少年だ。
美少女と見間違うほど顔立ちが整っているし、線も細い。一体、食事は腹のどこに収まっているのか不思議に思うほどだ。
正確な年齢は確か一五歳で、現『士』隊員で最年少。
他の少佐昇任試験参加者が二十代であることを考えると、若すぎると言っても良い。
元々昇任試験の参加者は五人しかいなかった。
それから、『竜騎士』とジャンマルコ特務大尉が順に追加された。特務大尉は『竜騎士』の後だったが、その理由は知らない。重要な意味を持っている可能性はあるが、まだ結論は出していない。
オリンピオは可能ならジャンマルコ特務大尉を試験開始前に排除したいと考えていた。
そして、ファミリーレストランでの食事を見て閃きがあった。
健啖家であることは弱点に成りうる。
問題はタイミング。
オリンピオが疑われず、ジャンマルコを確実に排除できるタイミングはいつかを考えた。
そこでオリンピオは決断を下した。
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ジャンマルコ特務大尉は『士』の隊舎で寝泊まりしている。
臨時で寝泊まりしている他の昇任試験参加者とは異なり、彼は年齢的にそこを本拠地とするしかないのだ。
オリンピオは朝から晩まで彼の行動を観察していた。
彼が毒を混入させるために狙ったのは一点である。
歯磨きのタイミングだった。
食事に毒を盛った場合、確実に調べられる。
だが、歯ブラシとコップに付着させてしまえば、後に残りづらい。吐き出すからだ。ただし、口内の粘膜から少量でも確実に摂取させられる種類の毒にした。
これだけ食事をし、健康を気を遣う必要のある『士』の隊員であれば、歯磨きは入念に行うだろう。そう予測したのだ。
オリンピオの判断は正しかった。
ジャンマルコ特務大尉は入念に歯磨きをしていた。
オリンピオは歯ブラシとコップに一ヶ月はお腹を下す、特注の下剤を混入させた。個室であるために隙をつくのは難しくなかった。
ジャンマルコ・ブレッサ特務大尉は試験開始まで医務室とトイレを往復するだけの人間になるだろう。棄権は必至だ。
やたら女性の視線を集める美少年だからこそ耐え難いだろう。
オリンピオは自身の策の成功を確信していた。
+++
それはオリンピオがジャンマルコ特務大尉に毒をしかけた、その日の夜だった。
ある情報を聞いたのだ。
「よぉ、オリンピオ大尉、元気にやっているか」
「ベニート大尉、お久しぶりです」
それは以前、お世話になった先輩隊員だった。
モヒカン頭に顔に傷のある非常に厳めしい男性だが、外見とは異なり、花を大切にする優しい心の持ち主だ。
オリンピオはふと思い出したことを訊ねる。
「そういえば、ベニート大尉、ディアマンテ支部で勤務されていましたよね」
ベニート大尉は渋面になった。
どうしてそんな表情になったのか、その理由についてオリンピオも理解できた。だが、踏み込む。
「ああ」と口数少なく首肯。
「カルメン大佐の件、大変でしたね。なんでも、連続殺人鬼と相打ちになったとか」
「そうだな。大変だったよ……」
「カルメン大佐と相打ちできるなんて恐ろしい奴がいたもんですね」
「間違いないな」
ベニート大尉は言葉少なに遠い目をしながら苦笑する。
その態度に疑問を感じながらもオリンピオは会話を続ける。気になるのはここから派生した別のことだった。
「少しだけ聞いたんですけど、今度の少佐昇任試験で『竜騎士』が参加するって……?」
「ああ、『竜騎士』の伴侶、マクシム・マルタン君だな」
「ええ。なんでもディアマンテ支部でいろいろあったって聞いたんですけど、どんな人か教えて貰えますか」
「ああ、オリンピオ大尉は腕的な話が気になるんだな。ライバルになるから」
「正直、竜は脅威ですが、サバイバル能力があるとは思えません。だから、戦いようはあると思っていますよ」
「いや、その認識は間違いだな。戦闘能力は高くないはずだ」
「『竜騎士』が? そんなことはないでしょう」
「マクシム君は『竜騎士』の伴侶であって『竜騎士』ではない。それに、彼は植物を操作・変化させる特殊能力者だ。サバイバル能力は極めて高いだろうな」
予想外の情報だったが、知っていれば対処の仕様がある。
確かにサバトとは家名が異なるとは思ったが、親族だと判断していた。
オリンピオは自身の幸運に感謝した。
「……なるほど、情報感謝します」
「頑張れよ。マクシム君たちには感謝している面もあるが、やはり『士』内部の人間に勝って欲しいと思っているからな」
オリンピオは礼を言って、ベニート大尉と別れる。
マクシムは予想外の能力者だったが、かなり勝機が見えてきた。
『士』の中でもサバイバルに特化しているオリンピオにとっては、竜を退治するよりもよほど楽である。
そんなことを考えながらニヤニヤと笑っていると、向こうから歩いてくる人とぶつかる。
わざわざ体をぶつけられたと思い、顔を上げる――オリンピオはそこで絶句する。
「どうも」
そこにはニヤニヤ笑う一人の美少年がいた。
ジャンマルコ・ブレッサ特務大尉。
オリンピオが毒を入れた相手が目の前に立っていた。




