対決→開始
カルメンは地上に降り立つ。
そこは花屋タイランの入ったビルの屋上である。
五階建てという低層ビルであるため、攻撃魔法の発射地点として位置的にも高さ的にもピッタリだったのだ。
どちらにせよ、もうカルメンの犯行はバレている前提で動いているので『攻撃地点として使いやすいかどうか』だけで選んでいる。
カルメンが降り立ったところで、周囲に人影はない。
いや、屋上の貯水設備の裏にわずかに人影が見えた。
誰かが隠れているようだった。
カルメンは魔法で探知するかどうかを考えた。
だが、相手が本物の『案山子』であると仮定すると、攻撃的な態度だと受け取られた場合、即座に殺されるだろう。
実質的な詰みである。
だから、カルメンはあえて余裕のある口振りで陰に向かって訊ねた。
「降りてきたよ。さて、どうするの」
主導権はないのだから任せるのが一番。
相手の出方を見てから態度を決める。
すぐに殺せる状態にあるのだから逆に焦っても仕方がない。
人類の第一線で戦い続けた胆力が、カルメンを動じさせなかった。
貯水設備の陰から人が出てきたが、見たことのない男性だった。
彼は顔をしかめながら口を開いた。
「──ひとつ聞きたいことがあります」
「なに?」
「どうしてエンリコ社長たちを殺したでありますか?」
カルメンはその前に、と訊ねる。
「あなた、誰? 名前くらいは名乗っても良くない?」
「失礼したであります。自分はヒトトセ・リョウ。『案山子』の名代であります」
あなたが……とカルメンは口の中で呟く。
ヒトトセ・リョウは確かに中性的だが、女性に見間違うことはない。
そして、彼が姿を現したのは意外だった。
『案山子』本人が出てこないのであれば、まだ生き残れる可能性はある。
ただ、やはり下手な行動をしたら、どこかで見ている『案山子』に殺されるだろうが……。
カルメンは迷いを振り払うように言う。
「あなたの話は聞いているわ。で、その『案山子』の名代さんがあたいをどうしたいの?」
「先ほど言いました。エンリコ社長たちを殺した動機が知りたいであります」
「そんなこと……簡単な答えよ。邪魔だったから」
「邪魔だから即排除は短絡的すぎるであります」
「短絡的よね。でも、そもそも、殺人は最悪だと思わない? 持続性がないし、そこには対話が欠けているわ」
「思うでありますが、どうしてそれをあなたが言うでありますか?」
大量に人を殺したあなたが、とヒトトセ・リョウは目で語っている。
「最悪の行為であっても、使い方によっては非常に有用なケースがあるわ」
「普通の人はそもそも選択肢として考えないであります」
「普通って、あなたが言うの? 『案山子』ハセ・ミコトの名代が?」
カルメンは思わずクスッと笑ってしまった。それから説明を続ける。
「エンリコ社長は『士』の情報を『与力』に売っていた。これがどれくらいの問題行動かは分かる?」
「情報戦で上回られたら、『士』と『与力』の立場が逆転する可能性がある、ということでありますか?」
「そんな単純でもないけどねい。『士』がどれだけ強くても、一人で数百人の武装集団を対処するのは相当無理がある。問題の根源を断つのはおかしな話でもないでしょ」
「殺すことはないでありますよ。止める手段はあったはずであります」
「それに、エンリコ社長は呪詛蒐集能力で得た情報を使って脅迫行為もしていた犯罪者よ。諸々合算で死刑ってところ」
「罪と罰のバランスが崩れているであります。それに、エンリコ社長は呪詛を使った情報を元にしたとはいえ、基本的には合法的な手法で資産を増やしたでありますよ」
「インサイダー取引みたいなものじゃない。それに、魔法での諜報には制限があるのに呪詛は無法状態。それはそうよね。使える人がほとんどいないもの。もっと質の悪い行為だと思うわ」
ヒトトセ・リョウはギリッと歯を食いしばる。
「エンリコ社長はメイド天国の従業員を助けたかっただけであります!」
「目的は手段を正当化するタイプの人?」
そもそも、どうしてエンリコ社長に対して感情移入をしているのだろうか?
カルメンとしてはヒトトセ・リョウとエンリコ社長との関係が気になっていた。
「実際に助かった人はたくさんいるであります! 八年前にスラムを潰したのは必要なことだったのかもしれません。ですが、生きていけなくなった人もたくさん生み出し、エンリコ社長はそれを救おうとした! その実績を無視するのはおかしいと思うであります!」
「正当な手段に訴えるべきだった。ま、別にあたいは構わないけどねい」
エンリコ社長もアダルジーザもユーゴーも、呪詛蒐集能力を用いて不法行為を働いて、かなりの蓄財をしている。
確かに一部はスラムを出た人たちのために使っていたようだが、私欲も満たしていた。
カルメンはその証拠を押さえたから裁いた。
それ以外に行った五件の殺人も、それぞれ一般的には悪と呼ばれる人種だった。
無実ということはない。
ただ、最終的に決断できたのは『士』にとって非常に厄介な敵だったから。
カルメンは敵だから手を下せたが、確かに情状酌量の余地はあったのかもしれない。
しかし、決断してしまったカルメンにとって、もうどうしようもないことだった。
過去は変えられないのだ。
「で、どうするの?」
「どうする、とはどういう意味でありますか?」
「あたいを殺すの? 『案山子』ハセ・ミコトは?」
「『案山子』は人を殺さないであります」
「なぁにを言っているのさ。テルツァはあたいが殺してない。本人が『案山子』に殺される、と叫んだって証言もあったよねい」
カルメンが『案山子』の手口を下敷きに呪詛を用いて殺したのは八件だ。
もちろん、ユーゴーの件のようにいろいろ工夫しているが、不可解な死を演出したのはそれだけ。
テルツァは直接殺していない。彼女は殺せなかった。
ヒトトセ・リョウは首を横に振る。
「あれは『案山子』のせいではないであります。呪詛を用いて自殺したであります」
「そんなバカな。テルツァにそこまでの能力はない」
「どうやらあなたは呪詛を何も分かっていないようでありますね」
カルメンはカチンときた。それはかなりの逆鱗。彼女は低い声で言う。
「……じゃあ、あなたに何ができるっていうの」
「自分でありますか?」
「『案山子』の名代を名乗って暗躍。でも、大したことはしてないでしょ。一体、何様よ!」
カルメンは最後の一言をトリガーに攻撃魔法を発動させた。
このまま『案山子』に殺されるかもしれないが、少なくとも『案山子』の名代を語る人間を殺せる。一矢報いたい。その一心で大熱量の攻撃を放った。
ただ、予想外のことがあった。
まず、魔法を発動させても殺されなかった。
遅くとも発動と同時に殺されるとカルメンは覚悟をしていたが、無事だった。
いや、そもそも、魔法が発動しなかった。
通常の手順で魔力を込めたが、何も起きなかった。
それは魔道を志して初めての経験だった。
カルメンは呆然と呟く。
「え……?」
「無駄でありますよ。あなたは既に『案山子』の術中にあります」
その時、カルメンはヒトガタを見た。
『案山子』の制作したものだろう。
出現位置はヒトトセ・リョウの傍ら。
そして、その時、奇妙な現象が起きた。
ヒトトセ・リョウに変化が起きた。
何が起きているのかカルメンにも分からない。
だが、奇妙な赤黒い蒸気を発しながら、彼は前傾になった。
ヒトトセ・リョウは確かに若い男性だった。はずだった。
しかし、蒸気が消えると、そこにいたのは一人の女性だった。
若い女性だ。
ただ、彼女のことをカルメンは知っていた。
「あなたは――!」
カルメンは言葉を失いながらも、どうにか、彼女の名前を振り絞る。
「ミッチェン!」
ヒトトセ・リョウは女性に変身していた。
それはメイド天国でただ一人残った呪詛蒐集能力者。
『案山子』を恐れ、逃げると言っていたはずの彼女がそこに出現していた。
ヒトトセ・リョウだったはずのミッチェン・ミミックは見たことのない表情で嗤う。
「はじめまして、『魔女』カルメン・ピコット大佐」




