日常が……
英雄について調べるのも限界があった。
その間もナタリアは毎日竜の世話をしていた。
寝転がる竜の巨体の付着した土やら汚れを、特注っぽい鉄爪で丁寧に取っている。
マクシムが見る限り、本当に一日も休むことがなかった。
「そんなに世話していたら『竜騎士』から遠ざかるんじゃない?」
というマクシムの疑問の言葉に、ナタリアは困ったような笑みを返す。
「ですが、もう日課ですから」
「そこを変えたら竜たちも焦るんじゃない? あ、俺たち、あの娘をこき使い過ぎたかも……反省したっ、とか」
「それ、本気でおっしゃってますか?」
「冗談ってわけでもないかな」
完全に本気では言っていないが、何かを変えた方が良いとは思っていた。
ナタリアはあまりにも献身が過ぎる。
そのままでは、竜が背を許すことは永劫ないだろう。
竜は魔獣の王だ。
あまりにも残酷な現実だが――王が奴隷の気持ちを慮ることはない。
しかし、マクシムの目にナタリアの行為はとても健気で、意味のある行為で価値があるように見えた。
変えなければ変わらないが、変えてしまっては価値を失う。
それはなかなか難しい問題だった。
しかし、マクシムが気にしていることは他にも多々あった。
アメデオは再び寝てばかりで話ができないし、正直、手詰まり感があった。
そうなると、自分の立場を気にするしかない。
いつまでこの屋敷に滞在すべきだろうか?
「あ、そういえば、ナタリア。お願いがあるんだけど」
「はい、何でしょうか」
「実はまた電話を借りたいんだ」
「ええ、構いませんわ。分からないことがあれば、シラに言ってください」
「ありがとう」
+++
ナタリアが竜の世話をし終え、屋敷に戻ってくると、シラとマクシムが会話をしていた。
立ち話に加わるか少しだけ逡巡していると、
「電話、よくしてる」
「まぁ、家族も心配しているからね。仕方ないというか」
「そろそろ、帰る?」
「そうだね。もう『竜騎士』の言質は取れたし、でも、動機が分かる人間も見つかりそうもないし、手詰まり感はあるからなぁ……」
そんな会話だったので、思わずナタリアは身を隠した。
確かに、これ以上彼がサバト家に滞在する理由はない。
そして、ナタリアにもマクシムを引き留める理由がなくなりつつあることに気づいていた。
というよりも、いろいろ酷い目に遭っている割に、ここまで付き合ってくれたのはマクシムの善性もあるだろうが、やはり自分にひとめ惚れしたという部分もあるのだろうか。
ナタリアは努めてそのことを意識しないようにしていた。
山奥に、家族だけで暮らしてきた彼女はあまり色恋沙汰に耐性がない。
『士』見習いのイーサンが初恋の人というのも、家族以外の異性で会うのが彼だけという面もあった。
正直、ナタリアはそういう風に言われて、悪い気はしていなかった。
別に、マクシムのことが好きになったからというわけではない。
好きと言われて嬉しくないほど嫌いではないし、気に入っていないわけではない。
もちろん、遺恨は多少あるが、彼の立場や状況を考えると情状酌量の余地はある。
ナタリアは自分に言い聞かせるように、冷静にそう考えた。
シラとマクシムの会話は続く。
「なんか、女の声が聞こえた」
「ああ、妹とその友だちだよ」
「妹、何歳?」
「二人とも九歳。あ、妹の友だちもね」
「泣いていた?」
「あー、妹の友だちだね。僕に懐いてくれているからさ。なんか『危ないことはしないでー』とか。心配性だよね」
「お前、この状況伝えたのか?」
「いいや。でも、あの子、やたら勘が鋭いところあるから、何か気づいているのかもなぁ」
シラもマクシムと仲良くなっているような気がした。
しかし、シラもナタリア同様、あまり外とのつながりがないので――買い物など多少頼むことはあるが、基本的には配達をしてもらうので機会自体が多くない――人見知りはする方だが、それだけマクシムの人柄が悪くないということだろう。
その点は良いな、と何となく考えている。
「その友だちとの会話が一番長かった」
「本当に耳が良いな……さすがは獣人種」
「別にたまたま聞こえただけ」
「正直、妹たちより僕のことが好きだから。あ、これは妹と僕を比べたんじゃなくて、妹よりも僕に懐いているって意味ね」
「どうでも良い。婚約って何?」
「あー、聞こえたんだ。怖いくらい耳が良いな。多分、あの子が僕の婚約者を自称しているってことかな。僕と結婚するんだーって昔から言っていて」
「ナタリアお姉ちゃん、悲しむ」
「いやいやいや、絶対に悲しまないでしょ」
実際、それを盗み聞きしたナタリアは衝撃を受けていた。
世界が一瞬揺れ、思わず壁に手をつく。
マクシムは笑いながら軽く言っていたが、ナタリアは動悸が激しくなるほど動揺していた。
正直、ここまで動揺するとは思っていなかったのに、動揺しているという事実に更にナタリアは挙動が怪しくなる。
まだ十代半ばで、精神的に成熟しているわけではない。
ナタリアはその場を逃げ出した。
+++
「あれ、今、そこ誰かいた? というか、ナタリアいた?」
「いない」
「そっか。まだ竜の世話をしているのかな、偉いよなぁ」
「お前、ナタリアお姉ちゃん、好き?」
「うん、好きだけど」
「どれくらい?」
「かなり」
「どこが?」
「顔かなぁ……でも、同じ顔のニルデはそうでもなかったから、やっぱり、性格もあるんだろうね」
「ふーん、そう」
マクシムはかなりナタリアに惹かれていたが、しかし、それは一時的なものだと分かっていた。
住む世界が違う。
結局、恋から愛を育むには価値観なり、生活なり共通項がないとダメだ。
そういう意味で、毎日竜の世話をする生活は農家のマクシムと共通項がないわけではない。
ただ、英雄のひ孫と、殺された最後の勇者の血縁では、やはり価値観がすり合わない気がした。
ニルデの件もある。
死なせてしまった過失は埋めようのない違いだろう。
しかし、それも言い訳なのかもしれない。
マクシムがナタリアを諦めるため言い訳。
少しも脈がないことは分かっているのだから、よほど良い材料が揃わないと躊躇しているだけ。
そもそも、マクシムにとってこれは初恋なのだから。
初恋は成就しないのが当たり前らしいし、仕方ないのだろう。
マクシムがそんなことを考えている時だった。
「ナタリア! シラ、いるか!?」
そんな声がいきなり響いた。
マクシムが振り返ると、そこにいたのはアメデオ・サバトだった。
英雄が、凄惨とも言える目つきで立っていた。
シラが言う。
「アメデオおじいちゃん、どうしたの?」
「ナタリアは?」
「お姉ちゃん、多分、その辺り。どうしたの?」
アメデオは一瞬マクシムを見た。
そして、眉間にシワを寄せ、呟くようにして言う。
「襲来だ」
「? 何が?」
「『魔王』の眷属が。十一年前の再来だ」




