勇者編 拳聖
最強の剣士はもう決まっていた。
将来的に『士』という異名を冠される、クレート・ガンドルフィだ。
まだ幼いが、間違いなく既に現代最強。
おそらく歴史上も類を見ない達人に至るだろう。
実際、彼も試合をしたことがあったが、未熟な時点でも勝負にならなかった。
剣の道では上回れない。
なので、拳の道に方向転換した。
バジーリオ・スキーラ十四歳。
異常な鍛錬を己に課す怪物。
そして、それは『拳聖』イザベッラ・カレンツィに初めて逆らった日のことだ。
+++
イザベッラが『無武道』を立ち上げたのはわずか十年ほど前、彼女が二十歳になる年だった。
わずか一年の結婚生活にけりをつけ、武術の流派を立ち上げようと思ったのはいろいろ理由があった。
だが、ひとつ確かなことがある。
彼女は『拳聖』と呼ばれるにふさわしい腕前の持ち主だった。
「そんなバカなこと、許可できるわけがないだろ」
『無武道』は徹底的な防護の武術だ。
攻撃と防御の割合は一対九。
あまりにも守りに偏った鍛錬をしているように見えるが、それは決して消極的を意味しない。
細心の注意を払い、わずかでも敗北の可能性を排除する。
負けないための、勝利にこだわった武術である。
その理念があるため、師範代であるバジーリオ・スキーラの提案を受け入れられなかった。
「ですが、師範。暗黒大陸からの侵略は人類全体の危機です。そこに参加するのは義務だと思うのです」
それは暗黒大陸派遣に参加したいという純粋な若者の願いだった。
精鋭である勇者を募り、暗黒大陸からの侵略者たちを打倒するという計画が立ち上がったのだ。
一方的に侵略される人類側にとっては、起死回生とも、大博打ともいえるそんな計画だ。
「招集をされたのは私だ。お前じゃない」
「違います。『無武道』から代表者をという話だったはずです。師範が行かないのなら、師範代の僕が行くべきではないでしょうか。それが筋というものです」
「違う。『無武道』の代表者は私だ。その私が断るならそれで終わりだ。師範代は師範ではないからな」
『無武道』は国内屈指の武術集団だ。
わずか十年で一大勢力ともいえる成長をみせたのは、全てイザベッラのカリスマ性が故だ。
実際、師範代で最年少のバジーリオだが、師範代の地位にある人間は他にも何人かいる。
だが、師範であるイザベッラは替えがきかない。
イザベッラとバジーリオでは立場が違い過ぎた。
「ですが、師範。『無武道』から暗黒大陸派遣に一人も参加しないのは問題があると思うのです。立場というものがあるはずです」
「問題ない」
と、断言するイザベッラにバジーリオは違和感を覚える。
「むしろ、そこまでどうして反対するのです? どう考えても誰かが参加するなら僕が適任です。家族もいないし、体力も自信がありますから。実際、『無武道』に僕よりも体力ある人いませんよね」
「あまりにも危険が多すぎるからだな」
「本当に?」
「……この件を考えたのはサルド・アレッシという男なんだがな……あいつは信用できない」
「ああ、あの男ですか」
『無武道』の道場はいくつかあるが、本部は一つだ。
バジーリオも詰めていたので、見た。
その場に交渉人として現れたのがサルド・アレッシと名乗る、役人っぽい眼鏡にスーツ姿の男だった。
確かにうさん臭い男だったが、そこまでだっただろうか?
「あいつは人を利用することに長けた男だ。ただでさえ過酷な暗黒大陸派遣だぞ。お前のような実直さと体力しか取り柄のないタイプはいいように使われて終わるぞ」
「そんなことは分からないでしょ」
「分かるんだよ、私にはな」
「どうしてです? そこまで断言できるのです? 確かに少しうさん臭かったですが、そこまで言えるのが分かりません」
イザベッラは嘆息する。渋々という具合で。
「あいつは私の元夫だよ」
バジーリオは「は?」という言葉しか思いつかなかった。
思考が固まったバジーリオに対して、イザベッラは思考が加速する。
彼女が『拳聖』とまで呼ばれるまで強くなれたのは、サルドのおかげもあった。
天性の才能があり、努力の方向性を指示してくれたからだ。
適切な判断ができる、頭の良い人間だった。
だが、結婚していても腹の底が見えないそういう一面もあった。
サルドとは幼なじみで、家同士の関係から自然と結婚していた。
愛情は当然あったし、今でも別に嫌いではない。
だが、今考えるとどうだろうか。
信頼関係は築けていただろうか?
あいつとは見ている世界が違っていた気がする。
別れたのはイザベッラからだが、思い返してみるとそもそもサルドも離婚を承知していたような気がする。
まるで歴史の流れの一つのような――。
そこで、イザベッラはハッと顔をあげる。
「まさか、お前なのか……?」
「はい?」
「いや、気のせいだ。何でもない」
まさか、『無武道』を立ち上げたのは、いや、立ち上げさせられたのは、このバジーリオ・スキーラという怪物を自分の牙として囲うためだったのか?
純粋無垢な強さへの憧れ。
その純粋さ故の圧倒的な強度。
暗黒大陸派遣という任務のため、この少年は必要だというのか?
そんなバカな。
そんなことまで見通せるわけがない――予知能力の持ち主、それこそ『予言者』でもなければ、そこまで分かるわけがないのだ。
「とにかく、私は反対だ」
「それでも僕は参加します」
+++
結局、暗黒大陸からの任務が終わり、『予言者』サルド・アレッシが自殺後にイザベッラは『無武道』師範の地位を退き、隠遁生活を送る。
そして、『無武道』師範の地位に就いた『武道家』バジーリオ・スキーラはその数年後に『無武道』を壊滅させてしまう。
結果、『無武道』の一定の実力者たちは特別警備隊『士』に吸収されていくが、それは余談である。




