もう一つの聖櫃
条件次第だが、意識不明で半死半生のニルデ・サバトを救ってくれると『大魔法つかい』クラーラ・マウロは約束してくれた。
では、その条件とは?
無理難題でなければ、いや、無理難題であっても挑まねばならない。
マクシムは先ほどとは違った意味で拳に力が入った。
クラーラは一瞬だけ眇めてから、マクシムとルチアを順に見た。
「『予言者』の後継者、あんたは条件が何なのか読めているでしょ。是か非か答えなさい」
「イエスです。それ以外に選択肢はないのです」
勝手に話が進みそうだ。
ムダに入っていた力が少しだけ抜ける――ルチアが即答するということは無理難題というほどではないのだろう。多分。そう思いたい。
他に選択肢がないだけかもしれないが、少しくらい楽観的な想像をしても罪はないだろう。
「マクシム、これはかなりの艱難辛苦と言えるのです。力を合わせて立ち向かうのです!」
「僕の楽観を返して欲しい」
「残念ですが、覚悟を決めて欲しいのです」
「僕はまだ条件すら知らないんだけど……」
「ノーとは言えないのです」
「オー。選択肢がないことは分かるよ。だから、別に嫌ってわけじゃないんだよ。条件を教えて欲しいし、覚悟はあるって言いたいんだよね」
「分かった分かった。やるならなんでも良いわ」
クラーラは、言質は取ったから、と詐欺師のような笑みを浮かべた。
「本当は、あたしのことを完全に忘れさせたかったの。『料理人』の子孫なんて絶っ対に会いたくなかったから。合わせる顔がないもの。でも、さすがにそれは止めたの」
クラーラの気持ちが分かるとはマクシムは言えない。
マクシムには殺した仲間の子孫と会う気持ちなんて想像できなかったからだ。
世界を救った仲間。英雄として名を残せない背景。魔王を打倒した後に殺害の罪悪感……要素が多すぎる。
いや、罪悪感を受け止めた、というほどのことでもなかったのかもしれない。
直でマクシムに会って、もう受け入れてしまうくらい時間が経過していただけかもしれない。
「でも、あんたに謝ることはできないの。必要だったし、あたしは直接手を下したわけじゃないけど、謝ることでその罪を薄めることはできない」
「いえ、正直、大昔すぎて謝罪は必要ないというか、 よく分からないし、むしろ、感謝しているんだよね」
「え」
「条件を呑めば、ニルデを救ってくれるんだよね」
「……ニルデ?」
「うん。ニルデ・サバト。『竜騎士』アメデオさんのひ孫が今死にかけているんだよね」
クラーラは天を仰いだ。降参したとばかりに。
その仕草はマクシムには意外だった。
知らなかったのか? 世界最高の魔法使いならそのくらいのことは把握していると思い込んでいたからだ。
クラーラは忌々しげに舌打ちをした。
「…………………条件なんてつけるんじゃなかった。そうか。『予言者』の後継者。あんたはこのことを知っていたから条件を受け入れたのね」
「はい、そして、いいえです。ルチアは条件を読んだことで受け入れた方が良いと思ったのです。クラーラさまがアメデオさまの血縁だと知って、無条件で治療したいと思うのは別の話なのです」
「あたしの中で貸しができちゃうのよ。ったく。あんた、サルドすぎるんだけど……撤回は可能?」
「不可です、クラーラさま。あと、ルチアはあの程度の能力者ではないのです。そして、あそこまで性悪でもないのです」
「いい勝負でしょ、あんたはどう見ても性悪よ」
だが、面罵しながらも、どこかクラーラは楽しそうですらあった。
『大魔法つかい』は世界最高の魔法使いにして魔法遣いだ。
ルチアが軽口を叩いても良い対象になれたとしたら、それは快挙だ。気に入られたという証だからだ。
クラーラは遠い目をして、ブツブツと独りごちる。
「ニルデ・サバトは今――ああ、アメデオの屋敷じゃなくて『士』管理下の病院か。ま、そっちの大陸で半死半生の人間を保護するとしたらあいつらが適任か」
次の瞬間、クラーラの姿は一瞬消えた。
マクシムはルチアを見るが、彼女は意味ありげに微笑むばかりだ。
クラーラはすぐに戻ってきた。戻ってきた彼女は笑うような泣くような片目を半開きにした奇妙な表情だった。
「終わったわ」
「え、もう治ったの?」
「ただ、ん-……。ま、帰ってから確かめなさい。ケガに関しては完治させたから、あたしを信用しなさい」
クラーラは一瞬だけ言い淀んだ後、投げやりにそう言った。
ケガは完治させられたが、それ以外に何か問題があったのかもしれない。
「何か問題でも起きたの? 大丈夫? 死んでいたら治せないってあるけど、もしかして、心が死んでいたとか? それで治せないとか?」
「ノーコメント。もう一回言うわ。帰ってから確かめなさい。安心しなさい。条件を渡したら帰してあげるから、すぐに理由は分かるわ。あたしが百万言を費やすよりも見た方が早いから」
「運んでくれるのはありがたいよ。暗黒大陸の道を帰ること考えたら半端なくしんどいから。でもさ、ギンはどうすれば良いのかな。連れて帰って大丈夫?」
いくつか気になることがあるが、とりあえず、仲間になったネコのことが気になった。
ギンは『獣姫』との確執を考えれば、暗黒大陸に残すのは問題があるだろう。
それ以前に、マクシムの中でこの暗黒大陸での旅を通してギンへの愛着とか情が生まれている。暗黒大陸でさようならはあんまりだが、同時に、あの子が人類社会で受け入れられるかは微妙だった。分の悪い賭けだろう。
「ギン、ああ、あの戦闘機械融合生命体か。連れて帰れば? どうにかなるでしょ」
「いや、そんな軽いものかな。こっちの世界とは常識が違うからさ」
「どうにかしなさいよ、そのくらいって言い換えれば納得する? あたしの関与することじゃないわ。運ぶくらいは手伝ってあげるわ。大した手間じゃないしね」
マクシムは、クラーラの優しさを感じていた。
こちらに選択肢をくれているのだ。優しすぎるとも感じていた。
「ギンはルチアが飼うのです。心配要らないです」
ルチアはそう言うが、将来的なことを考えれば、面倒を見るのはマクシムも一緒になるはずだが……それを言ったら、いろいろ問題がある気がしたので口をつぐんだ。
ナタリアの屋敷なら……いや、ルチアだけでもアレなのに、ぶっ殺される要因が増えるか。どうしよう。
マクシムが心の中で煩悶していると、クラーラが呆れたようにため息を吐く。問題、分かっているじゃないとばかりの態度だ。
「それよりも、そろそろ、条件を渡すわよ。アイーシャ、入ってきなさい」
「待ちくたびれたのじゃ」
『獣姫』アイーシャ・サレハが『大魔法つかい』の言葉で入室してきた。
一気に部屋が狭くなる。狭く感じる。
それは『獣姫』の持つ圧倒的なオーラがそうさせていた。
だが、当の『獣姫』は大人しそうにしている。肩を落として静かにしている。
いや、肩を落としていると見えるだけで、それは違った。
彼女は両手で体の前に函を持っていた。
それは巨大な『聖櫃』と同じような文様をしている。
異なっているのはサイズだ。
クラーラは言う。
「あたしの条件はこれ。もうひとつの『聖櫃』を管理して、函の中に残った『希望』に備えることよ」




