回復魔法の真実
『大魔法つかい』=『大魔法遣い』クラーラ・マウロが魔法存在の鍵である。
その事実はマクシムをそれなりに驚かされたが、そこでふと思う。それは暗黒大陸の旅の前に会話したことだ。
「確か回復魔法はクラーラさんしか使えないんだよね。『大魔法つかい』が使えるなら普及するんじゃないの? これはどうしてなの?」
確かそういう話だったはずだ。
死者蘇生の一歩手前という回復魔法はクラーラだけしか使えないらしい。
医療魔法は存在しているが、それは通常医療を補佐する程度の効果しかないという。医者を補佐するか、応急処置を越えるものではない。
クラーラはどうしてそんな当然のことを聞くのか、という顔をした。
「回復魔法はとても危険だからよ」
「危険? そんなことないでしょ。回復魔法だよ? ケガや病気を癒すんだよね? 危険とは真逆でしょ」
クラーラはどうして伝わらないのか、という顔をした。それは絶望というほど深刻ではなく、子どもの粗相を見守る母親のような表情だった。
ルチアが口を挟む。
「マクシム、人は二度とやり直せないから慎重に行動するのです。人が大病や致命傷を恐れなくなった場合、どうなるか……。回復魔法は人類社会を根底から覆してしまうほどの危険性があるのです」
「いや、ちょっと待って。ルチアがそれを言うのは反則じゃない?」
「それはおっしゃる通りなのです。ルチアの『夢界』は反則的な能力です。その反則が当たり前になった社会――というほどではないのですが、社会構造が根底から覆ってしまうのです。想像してみて欲しいのです」
マクシムは回復魔法が当たり前にある社会を想像してみた。ケガや大病で悩む人が減る……。
「素晴らしい世界じゃない? ケガを恐れずにいろんなことに挑戦できるし、不治の病も亡くなるから安心して暮らせるよね」
「マクシムのその楽観的なところ素敵なのです!」
「どうして惚気るのよ。『予言者』の後継者、あんた、ちょっと自分の恋人に甘すぎない?」
「クラーラさま、その呼び方は止めて欲しいのです。ルチアはルチア・マルタンなのです」
「えーっと、ルチア・ゾフさん? それは僕がツッコむべきなのかな?」
「マクシム、えっちなのです」
ルチアは本当に真っ赤になっているが、何を言っているのかマクシムには本当に分からなかった。
気を取り直すべきだと咳払いをする。
「いや、真面目に。良い社会だと思うんだけど、そんなに危険なのかな」
ルチアも真剣な顔で頷いた。どうにか仕切り直してくれたようだ。
「よほど管理された社会か、成熟した社会なら可能ですが、現在の人類社会では難しいのです。そして、管理された社会は一種の絶望郷、成熟した社会は終末期にある可能性が高いのです」
「それは『夢界』としての言葉かな」
「ですです。もちろん上手くいく可能性もなくはないのですが、回復魔法の存在は危険な場合が多いのです。しかも、不可逆的に進行するとっても危険な病です。
たとえば、です。死以外から魔法で回復できるとしたら、命の価値がより安くなり、弱い立場の人間が搾取されやすくなるのです。現在のこの世界に奴隷制度は存在しないのですが、資本家が使役する労働者は大勢いるのです。現在より危険かつ過酷な労働を課される可能性が高いのです」
「そうかな? そこまで悲観的にならなくても良いと思うんだけど」
「その可能性が高いのです。他にも、危険に対する認識が甘くなり、治安の悪化が発生するです。それに刑罰への意味も変わってくるので、悪い意味で弱肉強食が当たり前になるのです」
その可能性があることはマクシムにも理解できた。
だが、そこまで酷くなるだろうか?
ルチアの説明を聞いていたクラーラが嘆息する。
「残念ながら、サルドも同じようなことを言っていたわ。悲しいことよね。攻撃魔法よりも回復魔法の方がよほど危険なんてね」
「いやいやいや、そんなことあるのかな。攻撃魔法も十分危険だと思うし」
「意外と人間って善性が強いの。いえ、だからこそ、武器よりも恐ろしいものがあるってわけね」
クラーラたちは社会構造を変えてしまうことに対して、非常に危機感を抱いているようだ。ルチアも同じ懸念を抱いているとしたら、信ぴょう性は高い。
ふと、マクシムは何か考えがよぎりそうだった。
しかし、それが形になる前に――霧散したのだ――気になったことを訊ねる。
「クラーラさんは魔法を制限させられるんだよね? 上手くできないのかな」
「制限というより秘匿ね。蘇生に近い回復魔法は秘匿しているわね。社会構造を極端に崩すものは秘匿しているから別に回復魔法だけじゃないけど。極端な攻撃魔法や移動魔法もだけど、空間干渉する魔法は危険だしね。
ま、基本的には、現在の人類種の魔力量じゃ実現不可能な魔法ばかりよ」
完全空間転移は『大魔法つかい』しか使えないという話を思い出した。疑似的な空間転移もよほど高位な魔法使い以外は使えないとか。
「ただ、あたしは秘匿しているだけだから、間接的に近い魔法を再現してしまうケースはあるわね。
勇者の中にジュリオ・ピコットって奴がいたんだけどさ、あいつは魔法使いとしてはそう大したことなかったの。だから、こちらの大陸に渡ってきてすぐケガをして去った。でも、研究者や官僚としてはかなり優秀だったから、その後の人生は研鑽を重ねて魔法の幅を広げたわね」
懐かしそうにクラーラは語る。どこか遠い目をしているが、決して不快さは感じられない。
苦虫を噛むような表情を堪えているのはルチアだが、この時のマクシムの視界には入らなかった。
ジュリオ・ピコットは『士』の元大佐、『魔女』カルメン・ピコットの養父である。
「じゃあ、将来的には回復魔法が普及する可能性もあるんだ」
「現在の医療魔法の方向性でどこまで発展するかでしょうね。あるいはあたしの秘匿を暴けるほど、人類種が進化したら、かな」
無理に普及させる気がないだけで、自然と成長することにはそこまで否定的ではないのか。
いや、今の人類社会に適合していない技術を警戒しているだけだから当たり前かもしれない。
マクシムは急速に口の中が渇く。
暗黒大陸の深部まで旅してきた目的が叶わないかもしれないと思ったからだ。失敗の危険性の高まりによる極度の緊張により手が震えそうになる。
ニルデの復活――『大魔法つかい』クラーラ・マウロにしか叶わない難題。
「クラーラさん。実は僕らはここまで旅してきたのはあるお願いがしたいこともあったんです」
マクシムが居住まいを正すと、クラーラは少し顔をしかめた後、「分かってる」とばかりに頷いた。
半歩引くというか、少しだけ体の向きが変わった。
「いきなり丁寧になって気持ち悪いんだけど……何よ」
「意識のない女性がいて、その人を復活させて欲しいんです。おそらくはあなた以外には回復させられません」
クラーラの肩から力が抜けた。何だ、そんなことか、という顔だった。
もしかしたら、何か別のことを言われると思っていたのかもしれない。
クラーラは軽く言う。
「ま、条件次第だけど、構わないわよ」




