説教
ルチアに説教をする。いや、しなければならない。
――と、マクシムは思ったものの、未来を見通せる人間に対してどう説教するかが難しかった。
こちらが何を言うのか先読みされてしまったら無意味を超えて有害だろう。
説教は自分が気持ちよくなってはダメなのだ。というくらいの理性は残っている。
でも、何かを伝えなければならないという感情が、叫びが心の中で渦巻いていた。
感情に任せて怒鳴りつけて泣き叫ぶ、というにはタイミングを失していた。
冷静になりつつある部分とそうでない部分で頭の中がグチャグチャだった。
マクシムは「あー」と唸る。言葉に迷っていた。
とりあえず、『大魔法つかい』クラーラ・マウロの淹れてくれたお茶はあたたかくて美味しい。久しぶりに文明の味がした。どうやって手に入れたのかは考えない。
マクシムは口を湿らせてから何か言おうとしたが、先に口を開いたのはルチアだった。
「ルチアは本当に反省しているのです」
「え」
「もうちょっと上手くここまで来られると読んでいたのですが、そうでもなかったのです。暗黒大陸には不確定要素が多くて、完璧を目指すには危険度が高く、毎日が爆弾処理のようだったのです」
ルチアはそう言うが、マクシムは聞き流した。
というよりも、その言葉を聞いてしまうと説得されてしまいかねない。
それくらい彼女の言葉は自分の中で大きなスペースを持ってしまっている。
「待った。ルチアにも言い分があるのは分かるよ。でもね、きっと僕は叱らないといけないと思うんだよ」
「ところで、マクシムは気づいているです? ルチアのことを呼び捨てにしていること」
「え……」
「ちなみに、ルチアもマクシムと呼び捨てにしているです。でも、違和感はもうないです。いえ、指摘されるまで意識もしてなかったはずです」
確かにそれは指摘されるまで意識していないことだった。
だが、あまりにも自然なことで、全く違和感なんてなくなっていた。
それは何故なのかと言われれば、もちろん、あの世界での経験がそうさせていた。
「それは……いや、それが本来の歴史だったんだし、呼び捨てくらい大したことじゃないでしょ」
「立ち位置が変化したのです。マクシム、ちょっと想像してみて欲しいのです。ルチアがマクシムではない人に愛を囁いているのです。他の男性と結婚し、幸せな家庭を築いている世界です。そこには四人の子どもがいて、とても大切に育てているのです。それは本来ならマクシムと築くはずの家庭ですが、そこにあなたの影はどこにもないのです。ただ、そのルチアはとても幸せです……」
マクシムは渋面になりそうな自分がいることを認める。それは胸がムカムカとする想像だった。
身勝手な想像だ。
そうなるのが自然なのに。
マクシムだってナタリアと幸せな家庭を築けるはずだが、まだそれは遠い世界の話のようだった。
ナタリアのことは暗黒大陸派遣に出て以来、毎日のように想う。
彼女を失うことを想像すると身を焦がされるような想いに駆られるし、子どもももう生まれていてもおかしくはない。元気にしているだろうか、と心配にもなるし、逆にナタリアの側だって、こちらのことを心配しているに違いない。
だが、ルチアのこともマクシムの中で大きく占めるようになっていた。
どうしてこうなったのか。
そんなことはここまで旅をしてくれば、決まっていた。
「……このためにルチアは僕と旅に出たんだね」
「そうです。マクシムがルチアのことをナタリアさんと同じくらい大切にしてもらうための旅でもあったのです。あのタイミングでなければ、ルチアがつけ入る隙がなかったのです」
「それは、そうだろうね……」
「ただ、それ以外に手段がなかったのも事実なのです。滅びの運命に抗うためにはあまり選択肢がないのです。もしかしたら、最初からその可能性が存在しないくらい過酷なか細い道なのです」
その理屈も理解できた。
あの滅びの世界を見てしまったから分かることだった。
「でも、あったんだよね?」
「はいです。まだ確定ではありませんが、その質問に対しては是と答えるのです」
ルチアが嘘を言っている可能性は未だにある。
だが、自分の命まで賭けた行動を見ると、信じられる気がした。いや、信じたかった。
「いえ、ルチアがいろいろ考えていたのは言い訳みたいなものなのです。なので、マクシムはルチアに怒りをぶつけるべきなのです」
思いのたけを、さぁ、という具合のルチア。
彼女の手が微かに震えていることを見ると、意外とこの先のことは読んでいないのかもしれない。
本当に反省している――それが理解できた。
マクシムは再びお茶に口をつける。少し冷めてしまっていた。お茶の味がしない。冷めて苦みが出たという意味ではなく、ただただお茶の味が感じられない。
「……ルチアにはもっと自分を大切にして欲しいんだよ」
「自分を大切にしたからこその行動なのです」
「あのまま失血死する可能性だってなくはなかったはずだよ。そもそも、ここに来るまでに死ぬ可能性がある時点で大切にできてないだろ」
「その可能性は低いのです。勝算は高いのでルチアは決して自棄的な行動は取っていないのです」
やはり耳を貸したら負けになる。
ルチアのことが大切になっているから、どうしても甘い対応になってしまう。
だから、マクシムは嘆息してポケットから種を取り出した。
「これは僕が作り出した種だよ」
「? はいです」
「これにはちょっと特殊な仕掛けを施した。これはある条件を達したら開花する」
「それは――」
ルチアは目を大きく見開く。そして、その次の行動を読んだことを、マクシムも読めた。
だから、その前に動いた。
「待っ――!」
マクシムはその種を呑み込んだ。喉に引っ掛かったので残った冷めたお茶で一気に流し込んだ。吐き出しそうだが、激しい吐息で耐えた
マクシムは生理的な拒否反応から少し涙を浮かべながら説明の続きを行う。
「ある条件は、『僕がルチアの行動に自棄的な行動を感じた場合』だね。この種は体内で休眠して僕の体を根付く。この花は、開花する時に僕の体液を吸って真っ赤な綺麗な花を咲かせるよ」
「それは、それは、それは……!」
こういう種はもう二度と作るつもりがなかった。
ニルデの毒で後悔したからだ。
それでも作れたのは自分に使うからという――それが自分に対する言い訳である。
ルチアは真っ青な顔になっている。ワナワナと震えながら、言葉を絞り出した。
「それは、とてもダメな行動なのです……その花が咲いたら、マクシムは死んでしまいます……」
「ルチアは自棄的な行動を取る予定なの?」
「そんなことはないのです! でも、それはルチアの行動に制限ができるのです。それは可能性が狭まってしまうのです」
「自分を蔑ろにしての行動は止めろってだけ。そっちと同じ手段を取ったんだ。僕の気持ちが分かった?」
ルチアは「もっとしっかり読むべきだったです。絶対に止めるべきだったのです」と悲壮な顔で頷いた。
「これで運命共同体になってしまったのです……」
「別に構わないでしょ。どうせ一生一緒にいるんだから」
この一言はサラッと言った割には覚悟が必要だった。
ナタリアに対する罪悪感とかいろいろなものがない交ぜになっていたからだ。
ただ、それでも一つ理解していた。
百万言を費やすよりもこちらの方が効果的だ。
人は言葉に感化されることがあるだろう。
説教が通用するケースだってたくさんある。
だが、それよりも、行動に伴った覚悟の方が人に訴えかけることも多い。
マクシムは覚悟を決めたのだ。
毒物を飲む以上の覚悟を。
ルチア・ゾフとも生涯を共にする覚悟を。
「えっと、それは──」
先ほどの言葉通り、ルチアは今後のことを読んだのだろう、一気に真っ赤な顔になり、涙を浮かべた。
言葉にならない顔で何度も頷いた。
「もう、絶対に、この可能性を手放さないのです!」




