二人旅のはじまり
そもそも、植物とは何なのか?
動物との違いとは?
学術的なことなんてマクシムには分からないが、この答えは彼にとって明確だ。
――マクシム自身に認識できること。
それだけだった。
そして、マクシムの『庭師』は未知の効能を有する植物すら生み出せるのに、暗黒大陸の種子に見えるものは植物として認識できなかった。
植物ではないが、何らかの生物である。
故に動物に違いないという判断だった。
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「どうかしたです?」
「ううん、何でもないよ」
「顔が暗いです」
「緊張しているんだよね、正直」
「怖いです?」
「そりゃね」
「楽しみはないです?」
「楽しみかぁ」
「はいです。暗黒大陸は人跡未踏の地も多いのです。いえ、そればかりなのです。未知へのワクワクはないです?」
「そうだね……。すごくドキドキしているけど、これはワクワクというよりも、」
「はいです」
「やっぱり、不安が大きいのかなぁ……」
マクシムは嘆息しながら答える。
これから『大魔法つかい』探し前の猫探しに出るという時だった。
特務大佐と少佐という派遣部隊の中枢が基地から離れるという時でも、他の隊員の見送りはない。
それはそうだろう。
秘密裡というほどではないが、任務というには私的すぎるからだ。
マクシムは『種』についてルチアには伝えなかった。
伝えても意味がないと思ったわけではなく、何がなんなのか分からない状況では早い。
もう少し分かってから言おう、とそれだけで他意はない。
ルチアは楽しそうだった。
鼻歌みたいなものも口ずさんでいる。
聞き取れないが、流行歌か何かだろう。
彼女も旅装をしているが、これからの暗黒大陸を走破するにはやや軽装に見えた。
マクシムは万が一の事態に備え、できる限りのものは揃えた。
特に植物の種は常用・非常用を厳選した。
ただ、必要だからと詰め込んでばかりでは重くなりすぎるので、それなりに軽くした(暗器使いのウーゴ・ウベルティ大尉が手伝ってくれた)。
楽しそうなルチアはマクシムに全身で振り返る。
「ルチアは楽しみなのです」
マクシムが「どうしてさ?」と訊ねる前に、彼女は花咲く笑顔で答える。
「大好きな人と二人旅なのです!」
マクシムは言葉を失う。
そう、暗黒大陸という環境ばかり気になっていたが、そういうことだった。
ルチアは幼い少女だ。
やはりまだ恋愛対象では見られないし、それに、マクシムは妻帯もしている。
だから、冷静に考えると忘れていた事実だった。
二人旅。
ルチアはその状況に高揚しているのか。
だから、マクシムは「あー……」と唸るしかない。
「ま、それは良いのです」とルチアはあっさりと言う。
「良いんだ」
「旅は危険も多いのですが、ルチアの能力なら最大限避けることが可能なのです」
「期待しているよ。というか、期待していないと怖くて踏み出せない」
「十分期待してくださいです!」
ルチアはふんすーと気負って頷く。
マクシムは依存することの怖さみたいなものが溶けていく気分だった。
そう、それは信頼の裏返しでもあるのだから、必要以上に恐れる必要はない。
指針として頼らせてもらう。
お互いが協力するだけなのだから。
「で、とりあえず、僕らはどっちへ行けば良いのかな」
「はいです。右手に山が見えるです?」
「うん、とりあえずはそちら側に猫がいるんだね」
「そうなのです。ちょっと距離はあるですが、比較的に安全な道なのです」
比較的という部分にはわずかに引っかかるが、完全に危険を排除なんてどう考えても無理な話なのだろう。
右手側の先は、なだらかな山が続いている。
それほど険しくはなさそうだが、山の肌合いから感じるに緑は深そうだ。
人がいないということは未舗装の道なので、あまり簡単に往くことはできないだろう。
それでもルチアの能力を考えれば、歩けない道ではないはずだった。
仮に遠回りするとしても結果的には最短の道に違いない。
そういえば、マクシムが植物とは認識できないモノも見た目的には植物だ。
だから、視覚的な錯覚を起こしそうになる。
あれは植物に見えるが、植物ではない。
故に、ただ植物が繁茂しているならマクシムにとっては自分ちの庭のようなものだが、そうでないから難路になってしまう。
目的地は遠い。
それでもいつかはたどり着けるはずだから気圧されずに踏み出そう。
「じゃあ、行こうか」
「はいです!」
ルチアが手を差し出したので、マクシムは自然とそれを手に取った。
手を引く感触のあまりの軽さに少しだけ驚く。
忘れそうになるが、まだ幼い少女だ。
自分が守らなければこのか弱い存在は傷つくかもしれない。
それくらい細くて柔らかく軽かった。
責任感のようなものが生まれ、より暗黒大陸への畏れが膨らむ。
想像力は敵をより大きくしがちだが、未知であるが故に強大になりすぎているか。
ルチアの手の熱を感じながら、マクシムは先を歩く。
だから、ルチアの顔が赤くなっていることにマクシムは気づかない。
手を繋いだ喜びで顔が緩むのを必死で抑えている。
「…………!」
実際、ルチアがマクシムに直接触れるのは本当に久しぶり。以前、ナタリアたちがマクシムの家に訪れた際のキス以来だった。
彼女はそれが嬉しくて仕方ないのだった。
しばらくは黙々と歩く時間が過ぎる。
基地から離れてもう声は届かない。
つまり、本当に二人旅が始まったということ。
ルチアは手のぬくもりで夢見心地の表情だったが、そこでハッと我に返って叫ぶ。
「止まるです! マクシムさん」
「え」
マクシムはグッとルチアに手を引かれ、バランスを崩してその場に腰を落とす。
ルチアもサッとマクシムの懐に入って身を低くする。
寄り添った状態になったところでマクシムは質問する。
「一体、どうしたのさ?」
「暗黒大陸の生き物です」
「え」
「もう少ししたらこの先を横切るです」
「どんな生き物が?」
「正直、分からないのです。ですが、その可能性が高いのです」
「避けるべきってことだよね」
「はいです」
「やっぱり、敵対的なの?」
「そうでもないです。ただ、縄張りに入った敵に対しては容赦しないです」
マクシムはルチアの能力がよく分かっていない。
だが、そういうものだと思い、息を殺して待った。
実際、それほど時間は経過していなかったはずだが、緊張感からずいぶん待った気がした。
自分の鼓動がルチアに聞こえるのでは、とそれもドキドキする。
汗がにじむ時間だった。
そして、暗黒大陸の生き物が姿を現す。
それは蛇に近い形をした生き物だった。
手足がないというか、筒状のフォルムは蛇を連想させる。
ただ、巨大だった。
いや、正確には長い。
体高はマクシムの身長の二倍弱――三メルほどだが、その体長は何メルくらいあるのか分からないほどだ。
さすがにキロメルにまでは至らないと思うが、どれだけ続いているのか分からない。
そして、わずかに宙に浮いていた。
飛ぶというほどではないが、指先くらいの高さを浮いていた。
だから、これほど巨大な生物の移動であっても、この距離まで気づかなかったのだろう。
熱感のなさもそれを手伝っていた。
ルチアの温かさがあるから余計に感じるのだろう。
マクシムはルチアの耳元で囁く。
「……大きすぎない?」
「です」
ルチアは短く頷く。
耳元で囁かれたのがくすぐったいのか、軽く身をよじる。
「こんなのが普通にいるの?」
「多くはないのです」
確かにこれほど巨大であれば食料なども膨大になるので、そう多くも存在できないか。
「でもさ、これ、下手すれば竜でも勝てないんじゃない?」
「はいです。一頭では難しいです」
そんな存在も、基地から徒歩圏内に存在している。
マクシムは暗黒大陸の深遠さに絶句した。




