『暴威』と『穴熊』のコンボ
戦闘において最も大切なことは何か?
無論、重要な要素はたくさんあるため、一つに絞ることは難しい。
体力、知力、武器の習熟度、判断力等々、欠けてはならない要素が多いからだ。
それでもあえて一つに絞るならば、『冷静さ』が挙げられるであろう。
冷静さという土台が失われてしまった場合、それ以外の要素が活きなくなるからだ。
『士』で唯一危険人物一覧入りしているアリアナ・コスタ中尉の能力『暴威』は正にそれに特化している。
指定した対象者の攻撃本能を刺激し、その行動を支配してしまう。
つまり、冷静に考える力を完全に奪うのだ。
『暴威』能力に支配されている間は対象者の記憶も残らない。生きた死体のような状態でただただ暴れる存在へと堕としてしまう。
ある種の肉体的な制限も取り払われるため、対象者は腕力などいちじるしく向上するが、それが全く利点に繋がらなかった。
その支配は圧倒的な強度を誇る。そのため、彼女の能力から逃れられる存在は多くない。
ただし、それだけ強力な能力であるためデメリットも少なくない。
まず、暴徒の攻撃対象はアリアナ本人に限定されている。
幼い頃は任意の対象を指定できたのだが、その面では能力が劣化してしまっている。
つまり、アリアナ本人は囮にしかならない。
しかも、彼女自身の戦闘能力は低いため、それほど長い間は耐えられない薄弱な囮である。
そして、次に能力を中途半端に発動させることができない。
『暴威』の能力に晒された対象は、完全に思考能力を奪われる。
どんな聖人であろうと破壊衝動のない人間はいないが、その閾値を超えてしまうからだ。
要は、制御の効かない能力だった。
他人の精神に直接干渉できる能力者は、究極の殺し屋『案山子』、唯一無二の魔法使い『大魔法つかい』、そして、『暴威』アリアナ・コスタ中尉の三者しか現時点では存存していない。
それくらいアリアナは特別な存在だった。
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アリアナは自身の能力が有効に作用していることを確認する。
突然現れた人間全員を暴徒に変貌させられていたからだ。
その思考能力を無くした暴徒はまっすぐこちらに向かってきている。
狂気に彩られた視線は通常なら怯えに繋がるが、今のアリアナに怖さはない。
愛しい人が守ってくれるからだ。
「いくぞ」
「はいぃ」
「いつも通りだ」
「了解ですぅ」
アリアナの隣に立つパオロ・ガリレイ中佐は彼女を両腕で抱えて走り始める。
その速度は人を抱えているとは思えないほど速い。
「キャァ」とアリアナは短い悲鳴をあげるが、表情はどこか嬉しそうに見える。
『暴威』に晒されたターゲットたちはアリアナ以外目に入らないため、他の『士』隊員たちはその場から迅速に距離を取る。
パオロが能力を十全に使える広さを確保するためだ。
暴徒の進行方向上に入らなければ問題なく退避できた。
アリアナを抱えたパオロはむしろ敵に向かって近づく。
これは敵の出現した地点の方が自由に動けるくらい広かったからだ。
暴徒たちは言葉にならない叫びをあげながら拳を振りかぶる。
パオロは「はは」と軽く笑いながら体さばきだけでそれを避ける。
決して小柄ではないアリアナを抱えているにしては異常に素早い。
彼が笑ったのはもちろんこの状況を楽しんでいるからではない。
無駄な力を抜き、自在に動けるように、という自己暗示だ。
実際、軽やかな動きで避けたため、暴徒の拳はパオロにかすりもしない。
『暴威』により底上げされた速度・体力であっても意味がない。
直線的な動きはパオロにとってどれほど速かろうとも見切りやすいものだった。
パオロは一人、二人、三人とかわしながら良いポジションを模索する。
暴徒が殺到する瞬間、パオロは魔法を発動させる。
「はじけ」
短い単語と共に発動したそれは薄い光の膜のような防御魔法だったが、殺到しようとした暴徒を一瞬だけ押しとどめ、弾いた。
暴徒たちの体勢がそれぞれ崩れた結果、空間が生まれる。
パオロは最も近くにいた敵を当身で失神させる。
『暴威』の能力に支配された者であっても、脳震盪を起こしたら失神する。
アリアナを抱えているため、肩の裏の部分ですれ違うような動きだった。
彼は止まることなく動き続ける。
パオロは徒手格闘の達人だ。
いわゆる剣などの武器は使用しない。
ゆえに『士』の佐官に与えられる硝子の剣も飾り物になっている(もっとも、まともに武器として扱っているのは『猪』ピッキエーレ少佐だけだが)。
ただし、それ以外も武器を持たないのはパオロ自身の意志によるものだった。
これは『契約者』のような契約による縛りではなく、純粋な覚悟の問題であった。
選択肢を限定することで防御術を効果的に使用するためだ。
パオロの攻撃は続かない。
彼は暴徒から離れるまで退いてから、ポケットから取り出した鉄線を自在に操る。
これも攻撃のためではなく、低い位置へ張った鉄線で暴徒を転倒させるためだ。
場合によっては踏みつけて無力化するが、今回、その必要はなかった。
転倒した暴徒たちは『士』の隊員たちが手早く捕縛しているからだ。
こうやって暴徒は徐々に鎮圧されていく。
『暴威』と『穴熊』のコンビはこういう仕掛けだ。
『暴威』による暴徒化と『穴熊』による多彩な防御術で敵の行動を制限する。
それを『士』の隊員たちで背後から鎮圧する。
暴徒がどれほど凶暴化しようとも、無防備な方向から抑えてしまえば危険はない。
これが長年、暗黒大陸で『士』が基地を維持できた理由の一端である。
ちなみに、その間、アリアナはパオロにギュッとしがみつきながら目を閉じ、能力の維持に努める。
そこにあるのは信頼と安心だけ。
暴徒の凶暴さとは裏腹な光景が確かにあった。
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ルチアは『士』の隊員たちの奮闘を見ながら、ボソッと言う。
「今回『城』は必要ないみたいです」
「城って?」とマクシムは訊ねる。
「パオロ中佐の奥義です。防御術のスペシャリストである『穴熊』の築く城は固くて遠いのです。『魔王の眷属』であっても崩せないほど堅強なのです」
どうやら、そういう能力があるということらしい、とマクシムは理解する。
その奥義とやらが不要なのは、あっという間に出現した人間たちが鎮圧されるこ様子からも伝わった。
そもそも、彼が繰り出す防御術は魔法や道具、戦術眼、体さばき、部下の指揮法などマクシムには理解できないほど多彩だった。
ルチアはマクシムともども今回の戦闘からは距離を取りながら見守っていた。
「それにしても、強いね。やっぱり、みんな」
「はいです。暗黒大陸派遣部隊は精強なのです。被害なく鎮圧できるです」
確かにパオロ中佐の動きは『士』の大尉クラスと比べても一際精度が違う。
しかし、それより以上に、統率された武装集団は芸術のような洗練さがあった。
それは統一された遺志の美しさだった。
自分が異物のような居心地の悪さを覚え――どう考えても目的が彼らとは違う――マクシムはそれを振り払うように訊ねる。
「それでさ、あの人たち一体何だったのさ? ルチアちゃん、知っているんだよね」
「彼らも内地から派遣されてきたのです。それで敗けて逃げて来たのです」
「派遣って『士』とは違う部隊があったってこと?」
「民間でも暗黒大陸のことを調べてお金儲けをしようとする会社はあるのです」
「なるほど。それで逃げて来たってことは、『魔王の眷属』に襲われたってことだよね?」
「違うです」
「ああ、暗黒大陸の生き物からってことか」
「違うです」
「違う? じゃあ何に負けて逃げているのさ」
マクシムは困惑する。
ルチアは遠くを見ながら答える。
「あの人たちはこの暗黒大陸の守り人から逃げて来たのです」
「守り人って……?」
ルチアはそこでマクシムを見た。
タイミング良く暴徒たちが鎮圧されたため、パオロたちの方へ歩き出しながら彼女は言う。
マクシムは聞き間違えたと思った。
だが、その名前は間違いなかった。
「クラーラ・マウロです」
ルチアは暗黒大陸の守り人として『大魔法つかい』の名前を言った。




