申し継ぎ
当たり前の話だが、暗黒大陸には港がないので、入港することが物理的に不可能だ。
そこで、四隻の作業艇を用いてピストン輸送することで人員と荷物の運び込みが行われた。
それだけでも丸二日かかった。
暗黒大陸では、食料も燃料も水も貴重だ。人員が増したため、また、各種補給物質の保管のためにも仮説住居の建築が急がれた。
今回は大幅な人員増になるため、しばらくは前班の人間も一緒に仮説基地を作ることになった。
ちなみに、今回駐屯地に常駐する人間は一〇五名で、残りの半数以上は船で保安要員として待機することになっている。
船に残った保安要員の中からも、手空きの人員は基地増築のために汗を流していた。
0.5平方キロメルほどの駐屯地は今までにないほど賑わっていた。
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まず、マクシムたちはそれまで派遣部隊隊長だったパオロ・ガリレイ中佐に会った。
ルチアはニコリと笑いながら「よろしくです」と頭を下げた。彼女が代表して挨拶をする。
「ルチア・ゾフ特務大佐およびマクシム・マルタン少佐、任務のため参りましたです」
「はじめまして、ルチア・ゾフ特務大佐。そして、マクシム・マルタン少佐」
「はい、よろしくお願いします。パオロ中佐」
パオロ中佐は顔立ちが整っているが、陰気な中年男性だった。
目を伏せがちなのだが、身長が高いためむしろ顔がよく見えてしまっている。
彼の少し後ろには長身の若い女性の副官が直立不動でこちらを見ていた。手と体で挟むように何か書類を持っている。
アリアナ・コスタ中尉である。
パオロは「来て早々大変だとは思いますが、効率重視で行きましょう」と言う。
「現在の人類種では私が最も長く暗黒大陸で生活し、この地に詳しいと思います。気になることがあれば、どんな些細なことでも構いません。気軽に質問してください」
マクシムはルチアが会話の主導権を握ると思っていた。『予言者』の後継者としての彼女なら、自分では思いつかないような疑問もあるだろう、と。
だが、彼女は「特には」という様子でニコニコ笑っているばかりだった。
僕で良いのかな、と思いながらマクシムは気になったことを訊ねる。
「じゃあ、早速ですけど、どれくらいの頻度で『魔王の眷属』の襲撃ってありますか?」
「そうですね。平均すると、十日に一回くらいになると思います」
「意外と少ないんですね」
「いや、我々の国への襲撃の回数を考えれば、かなりの頻度だと言えるでしょう。それに、彼らは昼夜関係なく襲ってくるから緊張が抜けません」
「僕らの世界まで来ていなかった理由は何だと思いますか?」
「おそらくですが、単純に海を渡る手段がないのでしょう。彼らは徒党を組む知性がなく、知性がある個体がたまたま来たと予想しています」
なるほど、とマクシムは納得する。
冷静に考えると、もう十二年も前になる『天麗の飢饉』――『竜騎士』が全滅し、マクシムも能力に目覚めたあの一件だ――と数カ月ほど前になる腕の化け物との戦闘くらいしか知らない。
他にもマクシムが知らない戦闘があったのかもしれないが、月に数回は襲われているとした結構な頻度だった。
「それと先に伝えるべきでしたが、この周辺の地図も作成しています。それも含めて、詳細な情報をまとめているから参考にしてください」
パオロの言葉に、アリアナ中尉が「こちらになりますぅ」と独特の間延びした口調で差し出してきた。
あらかじめ準備できるものはまとめてくれていたようだ。ありがたい。
ルチアは楽しそうに資料に目を通し始めた。
マクシムはそちらで何か気づくことがあれば任せようと思い、質問を続けるが、適切なものが思いつかなかった。
「すみません、あんまり僕は分かっていないので、逆に、長年こちらで任務についてるので教えて欲しいです。暗黒大陸で特別注意すべき事項はありますか?」
「そうですね……中尉、君は何かありますか?」
「ア、アタシですかぁ!」
「君は私に次いで長く暗黒大陸にいるスペシャリストです。当然意見は求めます」
「そ、そうですね。暗黒大陸は内地とは常識が異なっているということですぅ」
アリアナは背の高い気丈そうな外見に似合わない、オドオドと自信なさそうな口調だった。
ただ、マクシムとしては彼女のアンバランスさよりも、内容が気になった。
「常識が異なるってどういう意味なの?」
「その、まず気候が変なんですぅ。具体的にはとっても暑い地帯の隣に、極寒の地帯があったりしますぅ。普通、あたたかい空気は冷たい方へ流れますよね? そういうことがありません。まるで空間ごとに断絶されているみたいなんですぅ」
「基本的に暗黒大陸は気温が高くなっています。特にこの辺りは。地図にその辺りのことも書き込んでいるからそのあたりも見て欲しいです」
気候がおかしい場所があるということなのか、それとも、暗黒大陸全体がおかしいのかは分からないらしい。
だが、調べた限りではかなり奇妙な気候のようだった。
「それと、すごく大きな生き物が存在していますぅ。普通なら自重でも潰れてもおかしくないサイズなのに、普通に生活していますぅ」
「これについては竜と同じく、高魔力の生命体の可能性が高いが詳細は不明です」
「あ、基本的に高精度魔力測定器は使えません。これは地形的に魔力の偏在があるみたいだからですぅ」
「我々はこの近隣の地形測定を優先していました。生物は襲われた際に殺害した『魔王の眷属』を蒐集しましたが、それほど多くはありません」
「その大きな生き物が『魔王の眷属』だったことはないんですか?」
「今のところはありません。ただ、あまり『魔王の眷属』には共通点があるようには見えないから、もしかしたら『魔王の眷属』というケースもあるかもしれません」
可能な限り警戒してください、とパオロは言うが、どう警戒すれば良いのかは分からなかった。
見張りを厳とし、逃走手段と大質量の生き物用の罠を張る……くらいだろうか。
基本的にはもう伝え聞いていた情報である。
だが、長年暗黒大陸で戦い続けた人間の言葉は熱量を持ってマクシムにも伝わっていた。
「それと、暗黒大陸の生き物は食用に適していません。可食部があるようには見えませんし、解剖してもいわゆる肉はありません」
「食料については僕が生み出せるからある程度は大丈夫です」
「ああ、そうでしたね。素晴らしい能力だと思います。この駐屯地の畑の管理もよろしく頼みます」
「可能な限り畑を広げ、自給自足できるようになるように頑張ります」
「ああ、自分も上手く婚活できたら戻ってくる予定――いや、失敗した方が戻ってくる可能性が高いかもしれませんね」
婚活するのか、と思ったが、その点について触れる前、その時、ルチアが「さすがです!」と叫んだからだ。
「この資料は素晴らしいです。特に地図がすごいのです!」
「そうですか。ルチア特務大佐。嬉しい評価です」
「はいです。特に地図がすごいです。あと一万年もあれば暗黒大陸を網羅することもできると思うです!」
ルチアは褒めているのだろう。
だが、なかなか絶望的な期間に聞こえた。




