出会い再び
どこか遠くで声がする。
マクシム・マルタンはゆっくりと浮上する。
「……本当にお姉さまの匂いがしたのですか? この男の子から?」
「うん、ナタリアお姉ちゃん」
「間違いありませんか?」
「血の、濃い匂い。間違いない」
「ん-、ですが、普通の子にしか見えませんが……でも、確かにシラがお姉さまの匂いを間違えるはずはありませんしね。何かを知っているかもしれませんわね」
「起きたら調べる」
「そうね。それにしても、シラ。あなたはどれだけ強く殴ったのですか? この男の子、頬がすごく腫れていますよ?」
「手加減はした」
それは女性同士の会話だった。
マクシムは夢うつつでその会話を理解できずとも確かに聞いていた。
「それに、バスツアーの最中に拉致したのなら、ガイドさんたち、困っているのではないでしょうか」
「大丈夫」
「どうしてかしら?」
「伝えた。身柄は確保する、と」
「それ、完全に誘拐犯の言い方ですわよ……」
呆れたような少女の声には、確かな聞き覚えがあった。
それに気づいた瞬間、マクシムは覚醒した。
「っ!?」
「キャッ!」
あまりにも急激にマクシムが飛び起きたので、少女は小さな悲鳴をあげてのけぞった。
ただ、そのまま起き上がることはできなかった。
マクシムは喉元を捕まれ、元の体勢――ベッドに横たわった状態――に押し戻された。
「ぐえっ」
潰れたカエルのような声を出すが、マクシムは全く動けない。
苦しみながらも顔を上げると、喉元を押さえつけられていたからだ。
マクシムを押さえ込んでいるのも少女だった。
ただし、かなり体が大きい。
背が高いという意味だけではなく、純粋に体のサイズがマクシムよりもずいぶんと大きいのだ。
丸顔の中心――大きな目には、今は敵意と警戒心がむき出しになっている。
理由は分からないが、かなり怒っているようだった。
押さえつけられている大きな手も振り払えるとは思えない。
そして、少女の頭部には人のものとは異なっている、狼のような獣の耳がついている。
獣人族の少女。
頑強な肉体と優れた五官(目・耳・鼻・舌・皮膚)を持つ種族だ。
マクシムは初めて異人種を見た。
エルフほどの希少種でもないのだが、特定の地方で暮らしているため馴染みがないのだ。
そういえば、ジャーダ鉱山の広大な面積には、竜以外の種族の集落もあるとガイドブックに少しだけ載っていた気がする。
マクシムが抵抗しようとする前に、
「シラ! 止めなさい!」
少女の一喝が飛んだ。
シラと呼ばれた獣人族の少女は一瞬だけ動きを止めた後、無表情のまま後ろに下がった。
マクシムは押さえつけられていた喉元をさする。
おそらく止められなかったら、あのまま首の骨を折られていたかもしれない。
それくらい腕力が強かった。
ちなみに、喉元よりも左頬が熱をもって痛い。
そして、獣人の少女を止めてくれた少女は――。
マクシムは息を呑む。
そして、そのまま無言で見つめる。
少女はどこか居心地悪そうに、髪をかき上げる。
「失礼しましたわ。ただ、シラもあなたのことを警戒しておりますの。少し問題がありまして、いえ、それにあなたが関わっている疑惑がありますの。もちろん、弁明があれば聞かせていただきますわ」
早口でまくし立てる少女の顔はニルデと極めて似ていた。
ただし、少しだけ幼いように見える。
あまりに美しい顔立ちはそのままなので息が詰まる。
この状況は想定していなかった。
家族はいるかもしれないとは思ったが、明らかに妹だろう。
顔立ちはとても似ているが、見間違えるほどではなかった。
それは表情に険しさがないからだろう。
余計なことは言わないようにしようと思った。
敵意があるようだから、こちらとしては素直に手の内は明かさないようにすべきだ。
マクシムは呼吸を整えた。そして、問う。意外と頭はクリアだった。
ここはどこなの? と、当然の質問でとぼけるのだ。
「ニルデとよく似ているね」
マクシムから出たのは素直な感想であり、言うつもりのなかった言葉だった。
その瞬間、二人の少女の表情が変化する。
それはもしかしたら怒りに属する感情に寄るものだったのかもしれない。
ただ、今回は飛び掛かられることはなかった。
ニルデとよく似た少女は問いかける。
「……お姉さまのことをご存じなのですか?」
「うん。いろいろ話したくて、ここまで来た……いや、来たわけじゃないのか。連れてこられたから。でも、僕がジャーダに来たのは、ニルデの身内に伝えたいことがあって来たんだ」
「あなたは何を知っているのです?」
「これだけ怒っているってことはニルデに何が起きたのか知っているんだよね」
「……いえ、何も知りません。どうしてお姉さまが家を出たのかも知りませんもの」
「そっか、じゃあ、『武道家』は知っている?」
「……『武道家』? ひいおじいさまと同じ英雄の一人ですか? もちろん、知っておりますが、それが何か?」
ニルデとよく似た少女は怪訝な表情を浮かべた。
どうやら『武道家』については何も知らないらしい。
どこから説明するかマクシムは悩むが、それと同時に気づいたことがあった。
この少女に嘘はつきたくない。
「ところで、僕の名前はマクシム・マルタン。君の名前は?」
「ワタクシの名前はナタリア・サバトですわ。こちらはシラ。ワタクシたちの妹ですの」
獣人族の少女を妹と紹介することに違和感を覚えるが、それよりもナタリアという名前を噛みしめる。
「ナタリア、良い名前だね」
「……何ですの、気持ち悪いですわ。いきなり」
「いや、別に」
マクシムは、この少女にひとめ惚れしていた。
十六年の人生で初めての恋でもあった。
ただ、現状を考えると、あまりに実りの少ないひとめ惚れだった。
なんといっても、マクシムは彼女の姉の死の原因を作ったのだから――。
恨まれて然るべき立場の人間なのだから――。
誠実に答えよう。
どれだけ怒りを買い、嫌われようとも。
それだけがマクシムにできる精一杯の誠意であり、失恋を予感した精一杯の強がりだった。




