病室での一幕
その病室は漂白されたように白かった。
整理、整頓、清掃が徹底されているだけではない。
可能な限り余計な要素を排除するために、これだけ白く保たれていた。
どこまでも彼女の影響を排そうとする点は、ある種の執念じみたものさえある。
故に、その白さは清潔さよりも拒絶感を強く表していた。
病室のベッドには一人の老婆が横たわっている。
もう目を開ける力もないのか目を閉じ、細い寝息のような呼吸をしているだけ。
もう未来は永くないだろう……見る者にそう感じさせる姿だ。目を逸らしたくなるほど弱弱しい。
その時、幼い少女と帯剣した男性が入室してきた。少女が先導するように前だ。
男性の方は部屋に入ってすぐ、扉の横の壁に寄りかかるようにして立つ。
彼は監視者だった。
少女は老婆の枕元に立ち、話しかける。
「『魔女』カルメン・ピコットさん、はじめましてです」
老婆は『魔女』と恐れられた魔法使い、元『士』大佐のカルメン・ピコットだった。
彼女は『案山子』との戦いに敗北した後、わずか数カ月で一気に老衰が進んでいた。
これには二つの理由がある。
一つは獣人種特有の急速な老化。
もう一つは魔術への耐性実験による影響のもの。
前者が根本的な原因だが、老化の加速は明らかに後者のせいであった。
ゆっくりとカルメンは目を開き、そして、口も開く。
「あんたは……?」
少女はとても美しい微笑を浮かべた。
顔立ちが整っているだけではなく、何の鬱屈も感じられない明るい笑顔だった。
見ている者も思わず笑い返したくなる、そんな天真爛漫さがある。
「ルチアはルチアです」
少女の名前はルチア・ゾフ。
マクシムの婚約者を自称する美少女だ。
まだ十歳の幼さだが、彼女は誰よりも美しかった。
「ルチアは『予言者』の後継者です」
「『予言者』……? あの、サルド・アレッシの、後継者……っ!?」
「はいです」
カルメンは気力で目をカッと見開く。
そこにあったのは英雄に対する反抗心。それが命の炎を最後に燃え上がらせていた。
「まだ子どもに見えるけど、本当に?」
「ルチアはウソを言わないです。そんな必要がないからです」
「なるほど。で、その『予言者』が今さらあたいに何の用があるんだい?」
「用があるから来たです」
「なら、用件を言いなよ」
「まず、勘違いを訂正するです。ルチアの能力は『夢界』と名付けたです。夢を現実世界に映し出す能力。『予言者』とは似て非なる力です。正直、サルド程度と一緒にされるのは心外なのです」
「ふーん、大口を叩くのね」
カルメンは混濁した意識がハッキリしてきたのか、こけた頬に笑みを浮かべる。
ルチアはそれを見透かしたように言う。
「ルチアは『魔女』に良い話と悪い話を持ってきたです。どちらから聞きたいです?」
「それは予言ってこと?」
「違うです。ただの現実であり、真実です。時間軸が将来的なことであっても、ルチアにとっては大差ないです」
「断ることはできるの?」
「あなたは断れないです」
「……なるほど。じゃあ、良い話から聞かせて」
「はいです」
その時、カルメンはこう考えていた。
自分が良い話から選ぶことをこの少女は知っていたのだろうか、と。そして、こういう思考回路になっていくことも知っていたのだろうか、と。
この少女の言葉が真実――つまり、『予言者』という英雄の中の指揮官を担っていた存在の上位互換だとすれば、これから起きる会話も既に識っているのかもしれない。
未来を知る者との会話はよく分からなくなる。
どこかで必ず論理の不一致が発生するからだ。
ルチアは全てを見透かしたような澄んだ余裕の笑みで話し始める。
「まず、あなたの孫娘であるシラ・サバトさんは幸せな人生を送りますです」
その時、大きなリアクションを取ったのは壁際に佇む男だった。
驚愕。
眦が吊り上がるほど目を見開いている。
男の名前はイーサン・ガンドルフィ。『士』の頭領であり、『竜騎士』サバト家とも縁が深い。
彼でさえもシラの素性は知っていなかったのだ。
カルメンは「そう」と短く頷いた。
これはイーサンが大きな反応を返したからで、そのおかげで冷静になれた。
平静を装っていたが、彼女自身かなり動揺していた。
シラと自分の関係は、誰も知らないはずの事実だったからだ。
「シラさんはナタリアさんたちと一緒に暮らすですが、将来的には子どもも二人生まれ、幸せな家庭を築くです。多少の波乱はあっても一般的には幸福な人生だったと思いますです」
「未来の話なのに過去形なのね」
「そういうものなのです。感想は?」
「……良かったわ」
「喜んでくれてルチアも嬉しいです。ただ、あなたが悪い話の方を警戒して、素直に喜べていないこともルチアには分かっているです」
「……本物、なのね」
「はいです」
「じゃあ、悪い話を聞かせて」
シラは淡々としていた。笑顔も崩れない。
「『大魔法つかい』クラーラ・マウロさんを超す魔法使いは未来永劫現れないです」
「え……」
「あなたと養父――ジュリオ・ピコットさんの考えた魔法技術の未来、それも無駄です。というよりも、クラーラさんはとっくに呪詛と魔力の融合を完成させていたし、魔法技術の究極に至っているからです。あなたは足元にも及ばなかったのです」
「…………」
「あなた程度の魔法使いが見た大望。それは無駄でしたです。最低最悪の連続殺人者として無駄死にする人生があなたです。何の意味もなく死んでいくのが相応しいです。無念です。ジュリオさんが可哀そうです」
カルメンの顔がどす黒い赤色に染まっている。
ギュッとシーツを掴み、暗い視線を『夢界』に向ける。
激怒。
それは殺意に塗れた激怒の表情だった。
激怒の理由はルチアの挑発的な物言いもあった。
だが、一番は図星。
養父を哀れまれたことも含め、図星を突かれたことが理由だった。
カルメンは折れた針金のような腕を振り上げ、搾りかすのような魔力を絞り出し、現在の彼女に可能な攻撃魔法を構築。そのままルチアの首を吹き飛ばす。
――いや、吹き飛ばそうとした。
魔法の構築は完ぺきだった。
魔力量も衰えたとはいえ、国内最強ランクの魔法使い。
さすがの威力の魔法が編み上がっていた。
だが、何故か発動しない。
彼女の人生の中で何万回、いや、何十万回どころではない魔法行使で初めての事態だった。
発動しなかった分の魔力が彼女の体内で荒れ狂う。
それは衰弱していた体にとって致命的な事態を引き起こした。
「がっ!」
体内の内臓を溶かすほどの熱。その激痛を一瞬だけ感じた後、カルメン・ピコットはビクンと大きく体を震わせる。
白いシーツがわずかに変色するが、それだけ。
彼女の呼吸は停止し、焦げ臭い息を吐き、白目を剥いて倒れる。二度痙攣をして動かなくなった。
特別警備隊『士』の中でも至高の魔法使い。『魔女』と恐れられ、人界の守り手として活躍。その後、『大魔法つかい』への妬心で殺人行為に手を染めた獣人種。『案山子』の密かな一人娘。
カルメン・ピコット――死去。
それを見届けてから、一瞬だけルチアは痛ましい表情になる。
それは悼みの顔でもあった。
そして、それを振り払うように後ろを振り返る。もうその時にはいつもの柔らかい笑顔だった。
「終わったです」
「お前、本当に、本物なのか……」
イーサンの顔は驚愕で染まっていた。
「はいです」




