今後について
シラは目の前で涙を流し続ける姉を見ながら困っていた。何度目か分からない呼びかけをする。
「ナタリアお姉ちゃん……」
ナタリアは答える余裕がないほど号泣している。
流れる涙が、光を吸って零れ落ちる。
シラがナタリアの肩を優しく撫でると、彼女はその手を掴みながらより激しく泣く。
「シラ、シラ……」
意味のない呼びかけだが、意味はあるのだろう。
シラはあまり情動の激しいタイプではない。
だが、それでも少しもらい泣きしそうだった。
シラたちがいたのは病院内の喫茶店である。
『W・D』に妊娠しているだろ、という指摘を受け、ナタリアたちはその後すぐ島を離脱。シラはそこで合流。そして、『士』がよく世話になっているという産婦人科もある総合病院にまで移動し、診察をしてもらったその帰りだった。
診断結果を聞いて、ナタリアの涙が止まらず、そのまま病院の喫茶店に避難するしかなかったのだ。
先ほどまで周囲の視線が集まっていたが、誰かが人払いをしてくれたのか店内にはシラたちしかいない。
姉はずっと泣き続けている。
シラは困り果てていた。
もうかける言葉が見当たらない。
しばらく待っていると、遅れてやってきたのが姉の恋人であるマクシム・マルタンだった。
彼は物憂げな表情で入店してきた。
すぐにシラたちと目が合い、困ったような笑顔で言う。
「ごめんね。いろいろ話を聞いていたら遅くなったよ」
ナタリアはその声を聞いてより激しく泣く。
マクシムは驚いたように足を止めて凝視。
その視線に気づいたナタリアは顔を背ける。
「ナタリア……」
「い、今は無理です……」
「ナタリア……まさか……」
最悪な想像をしたのか、マクシムは顔をしかめた。
それを見て、シラはイラっとした。ナタリアの涙を横目にしながら、マクシムの横腹を殴る。
マクシムは身を折って咳き込む。
「シ、シラ、どうして……」
ナタリアが「怒らないでください、シラ」と涙ながらに訴えかける。
シラはそれを無視してマクシムに告げる。
「遅い」
「遅いって……え?」
「お姉ちゃん、ずっと泣いている」
「うん」
「だから、遅い」
責められて、マクシムは神妙な顔で頭を下げる。
「ナタリア、その、遅くなってごめんね」
「先ほども、謝ってくださったではありませんか。も、問題ありませんわ」
ナタリアは少し落ち着いたのか、指先で涙を拭いながら言う。
「これからどうしますか?」
「これからって、これからだよね」
「はい」
「ということは……?」
ナタリアは神妙な顔で頷いた。
ちなみに、彼女が少し顔を背けたのは、化粧の崩れた顔を見せるのが嫌だっただけである。
そして、それまでの涙が嘘のような、花咲く笑顔で言う。
「子ども、できていましたわ!」
+++
マクシムはその報告を聞いて喜んだ後、場所を変えた。人目はなくなっていたが、ナタリアが泣き続けていたことを考えての判断だった。さすがにずっといるのは迷惑だろう。
大きな病院の敷地にある広場のベンチに移動した。
入院患者が散歩している程度の静かな場所だ。
よく晴れていたため、まるで自分たちが祝福されているような心地よさがあった。
ちなみに、ナタリアが泣いていたのはただのうれし泣きだった。
シラは最初その喜びに同調していたらしいが、泣き続けるためにもう飽きてしまっていたようだ。
ナタリアが妊娠したことは嬉しいが、それでも泣き続けられると反応に困ったらしい。
先ほどのパンチもある種の照れ隠しみたいなものだったのかもしれない。
家族が増えるということに対する嬉しさの伴った照れである。もしかしたら、マクシムに対する甘えというスパイスもあったのかもしれない。
そう考えると、家族と認められたという気分になった。
正直、マクシムは「子どもかぁ」とまるで現実感がなかった。言われてもまるで信じられなかった。いろいろなことがあり過ぎて思考回路が麻痺していた。
だが、ナタリアが泣くほど喜んでくれていることは嬉しかったし、そこには紛れもない感謝があった。
「男の子かな、女の子かな」
「まだ分かりません。ですが、妊娠は間違いないようですわ」
「結婚は早めが良いよね。すぐでも良いけど、ナタリアに希望はある?」
「そうですわね。ワタクシ、もう少しで十六歳になりますのでそれから役所に届けましょう」
「うん。それで良いと思う。で、屋敷に戻るんだよね。病院はどうしようか」
「ジャーダの街にも良い病院はあります。紹介状を書いてもらえば問題ありませんわ」
「あ、僕の家族にも伝えないとなぁ。ビックリされるだろうなぁ」
「きっと祝福されますわ」
「まず怒られるから始まりそうだけどね」
そうやってよく分からないながらも会話を続ける。フワフワしながら口だけが動いていく感覚だった。
ナタリアは嬉しそうにお腹を撫でている。
シラは飽きたのか、水筒からワインを飲んでいる。だが、ナタリアの喜色満面の笑顔で耳が揺れる。彼女はいつも通りの無表情だが、それなりに高揚しているらしい。
「あ、『士』の件はどうなりましたか?」
「うん、やっぱり、ちょっと暗黒大陸へ行ってこようと思うんだよね」
「………………は?」とナタリアの笑顔が固まった。
うん、そうだよねとマクシムは思った。彼自身、こんな反応になるだろうなぁ、と想像できていたからだ。
それからナタリアは「ああ、そういうことですか」とばかりに二度頷く。
「『士』と『竜騎士』に関することでしたら、気にしなくても大丈夫です。こちらの借りにはなりますが、お金で充分解決できますわ」
「それは将来的な開発の協力ってこと? 暗黒大陸進出のための。そういう解決方法もアリだとは思うけど、ちょっと僕に行く必要ができたというか……。だから、行ってくるよ。うん」
「暗黒大陸へ行く必要がある? 何故です?」
そこで、ナタリアは一瞬だけ躊躇するが、意を決したように続ける。
「子どもが生まれることを嫌がって、ということではありませんよね?」
「うん。そんなことはないよ。僕は君たちのこと愛しているから。だから、できるだけ早めに、子どもが生まれてくるまでには帰りたいと思っているよ。ただ、どうしても必要だと思ったんだよね」
「では、その理由をお聞かせいただけますか?」
「…………」
マクシムが困ったような顔でいると、ナタリアはまた泣きそうになる。
「どうしてそこで黙るのですか……?」
「いや、ごめん。どう説明したら良いか分からなくて……。でも、僕が口で説明するよりも、僕が見たものを見てもらう方が良いのかもしれないね」
シラに殴られる前に、マクシムはそう言った。
その決断に葛藤はあったが、知らないよりは知っている方が良いと思ったからだ。
何も分からない。
何も分からないなりに、責任について考えた結果だった。
「覚悟は必要だと思うんだ。結構高い確率で傷つくかもしれないから……。でも、ナタリアたちも納得すると思うからさ。行こうか」
そこでマクシムは更に補足する。
シラは無表情だが、ナタリアの不安をできるだけ軽くするために、精一杯明るく笑いかける。
「もしかしたら、アダム・ザッカーバードが英雄たちに殺された理由も分かったかもしれないんだ」




