派遣義務
現在、暗黒大陸へはパオロ・ガリレイ中佐が派遣されている。
そもそも、この派遣は十一年前の『魔王の眷属』の侵攻から始まった。
『竜騎士』たちがほぼ全滅したあの事件だ。
その結果、この世界の航空戦力が著しく減退したため、暗黒大陸に拠点を作り、そこで防衛監視任務を行うことにしたのだ。
洋上で撃退する能力が落ちたのだから、より国から離れた地点で監視、撃退しようという考え方である。
基本的に、戦いは国内の土を踏まれた時点で負けだからだ。
パオロ中佐は派遣が開始して実にその八割近い期間を暗黒大陸で過ごしている。
もちろん、一人ではない。
その拠点には三十人近い人員が配置されている。
そのほとんどは短期任務の『与力』――食糧の配給便が二カ月に一回あり、その度に交代している――である。
『士』の人間も他に数名いるが、ここまで暗黒大陸で生きた人間は英雄を含めて存在しない。
これには理由がある。
パオロ中佐の二つ名は『穴熊』。堅牢さにおいて『士』で右に出る者はいない。
彼一人で、おそろしく強固な基地構築が可能だった。
そもそも、暗黒大陸に拠点を作ることも、パオロ中佐の存在なくしては不可能なことだ。
彼の能力があるからこの危険な任務が可能になったので、鶏と卵のような関係にある。
だが、さすがに彼一人に任せきりは不味いが、『士』の他の佐官で彼の代わりを務めようとするも限界があった。
数カ月の短期間なら代替できても、長期間は困難。パオロの構築した基地が維持できなくなるからだ。
その意味で、マクシムの能力は非常に都合の良いものだった。
植物を用いた堅牢な陣地構築能力、食料を自給自足できる点など、パオロ中佐を上回る適性を示していた。
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イーサンは困ったように言う。
「正直、ナータたちの目的が分からないし、あんまりこちらに関わって欲しくないから遠ざけたが、マクシムが試験に勝ってしまったからな。その力、存分に発揮してもらいたい」
表情に似合わない言葉なのは、ナタリアが物凄く怒っているからだった。
無表情なのだが、信じられないほど視線に力がこもっている。
正直、マクシムも驚くほど怒っていた。
ナタリアは怒りを抑えようとした結果だろう、声を震わせながら言う。
「イーサン……暗黒大陸は超危険地帯ですわ。そこにマクシムを送る? いくらなんでも過酷すぎませんか?」
「安心しろよ。キチンと訓練はするさ。サバイバル能力は高そうだが、佐官としての立ち居振る舞いから叩き込む。それに交代勤務の経験もないだろうしな」
「二年。二年も絶望的な環境ですか」
「おいおい、お前らが臨んでこの試験に来たんだぜ? そこは受け入れろよ」
「……っ」
正論だ。
正論ではあるが、それで感情的になったナタリアが止まるわけではない。
ナタリアは言い返せなくなったため、ギロッとイーサンを睨みつける。
それを見て、ミッチェンが「ひゃっ」と腰を抜かしかける。それくらいの迫力があった。
ちなみに、『W・D』は「しーらない」とばかりに寝始めた。
止めるとすれば自分しかないとマクシムが言う。
「ナ、ナタリア、落ち着いてよ」
「マクシム! あなたのことですよ!」
ナタリアは涙目になっている。
このままだったら、癇癪を起こして暴れるかもしれない――その危惧が現実になると思った。
だから、マクシムはとっさにナタリアを抱き寄せる。
ナタリアは一瞬だけ身をよじって抵抗するが、すぐに「うぅぅ」と泣き始める。
「そんな、泣かないでよ」
「マクシムは怒ってください……暗黒大陸がどれほど危険か分かっていますか?」
「いや、さすがに考えが足りなかったよ。イーサン。今から辞退はできないよね?」
「しても良いさ。その代わり、『士』は『竜騎士』に大きな貸しを作るがな」
「この間の『魔王の眷属』の件で相殺されない?」
「この試験に参加した時点で相殺されただろ。やっぱり、辞めましたは無責任すぎないか」
そうだよね、とマクシムは内心で嘆息する。
上手く言い返せるかもしれないが、イーサンの言い分がどう考えても正しい。
マクシムが言葉に迷っていると、『W・D』が起きて口を開く。
「落ち込むなよ、一応、お前らにもメリットはあるぜ」
「メリット? 暗黒大陸への派遣は給料が良いとか?」
「給料は良いが、『竜騎士』の資産からすればはした金だろうな。そこじゃない」
「名誉とか?」
「仮にも特殊部隊だぞ、『士』は。その任務は秘匿が原則だ」
「分からないよ。答えは?」
「おそらくだが、『幻想境』は暗黒大陸の近くにあるぜ」
『W・D』の言葉にマクシムは驚く。
『大魔法つかい』の居場所は暗黒大陸?
『W・D』の言葉だから一定の信頼感はあったが、こちらをその気にさせるためのウソの可能性もあった。
「本当に? 根拠は?」
「ないぜ」
「ないの!?」
「あそこには『獣姫』がいる。いざという時に解き放つなら暗黒大陸以外には考えづらい。それが根拠だぜ」
「でも、かなり距離があるでしょ」
「『大魔法つかい』は最も万能な存在だ。彼女に不可能の文字は、」
「ない?」
「いや、あるが、その程度『大魔法つかい』なら解決できる問題だな」
ナタリアに視線を送る。
彼女は涙を拭い、頷いた。少しだけ怒りが収まったのか、肩から力が抜ける。
「分かりましたわ。ワタクシもご一緒します。それなら大丈夫ですわね」
その言葉にイーサンは答える。
「いや、それは無理だ。ナータにはこちらの世界に残ってもらう」
ナタリアは無言だった。
無言だったが、その次の瞬間、待機場所の外にいる竜——リトルが吠えた。
ナタリアはゆっくりと笑顔になるが、その笑顔を見て、ミッチェンは完全に腰を抜かす。
それまでの怒りは閾値に達していなかったのか、とその場の誰もが思い知る。
ナタリアは激怒した。




