幕間、幼なじみの会話 その四
その時、待機所にいたナタリア・サバトは一瞬だけ腰を浮かした。
それを見て違和感を覚えたイーサンは、片眉をあげて質問する。
「どうしたんだよ、ナータ」
「いえ、別に大したことはありませんわ。ね、リトル」
どうして、竜に話しかけるんだよ、とイーサンは思った。
竜のリトルは軽く吠えて応じている。
その直後、島の中から爆発音が聞こえてきた。
イーサンは少し驚くが、すぐに思い出す。
「ああ、誰かが爆薬を使ったのか」
「そんな危険物を持ち込まないでくれませんか!? マクシムがケガしたらどうするんですか!」
「落ち着けよ、ナータ。別にマクシムがどうこうなったとは限らないだろ」
「ワタクシは落ち着いていますわ」
確か受け取ったのはマクシムだったはずだが、それをイーサンは言わない。爆発させた意図は分からないが、ジャンマルコに追い詰められて苦肉の策で使ったのかもしれない。
冷静ではないナタリアに教えるのは怖い。藪蛇は勘弁。
ナタリアは渋面のまま続ける。
「ところで、イーサン。ひとつ訊ねてもよろしいですか」
「なんだ?」
「ワタクシがこの試験に参加したら、竜を持ち込むことは不可なのですよね」
「まぁ、そうだな」
「では『竜騎士』は『士』の佐官になれないということでしょうか。そのくらい、その制限は厳しいと思いますわ。そもそも、『竜騎士』に限らず、騎士はそういう戦い方を専門にし、技術を磨いてきたのです。それを制限されるのはおかしくないですか?」
「…………ん、おい、まさか――」
その時だった。
はるか上空から何か音が聞こえた気がして、イーサンはそちらに視線を送る。
そこで見た。
竜だ!
竜が島の中心部めがけて高速降下している。
それは竜が巨体であり、距離があったから視認できただけ。突撃してくる形だったら、竦んで目を閉じてしまうほどの迫力だろう。
先ほど聞こえた音は、空気を切り裂く衝撃波によるものだ。膨大な魔力を消費した竜の瞬間飛行速度は音さえも置き去りにする。
おそらくはマクシムの元へ行くのだろう。
ジャンマルコ特務大尉を倒すために。
イーサンはナタリアを半眼で睨む。
「……おい、ナータ……」
「ワタクシの質問には答えてくれませんか?」
「この展開をお前が知ってないわけがないもんな。ったく。質問に答えるぞ。『竜騎士』がわざわざ『士』の佐官なんて格下の階級になりたがってどうするんだよ……」
「それはワタクシの質問に答えていないと思います」
「想定してないんだよ、そもそもの話。この状況は極めてイレギュラーだ。それに、普通の騎士は『竜騎士』ほど極端じゃない。そこまで使役する魔獣に依存していない――って言われ方は不本意かもしれないが、事実だから受け入れてくれ。『竜騎士』は特別なんだ」
「別に受け入れますわ。納得しましたもの」
ナタリアはそれからジッと島の中心部に視線を送る。
他のことは気にしている余裕がないとばかりに、祈るように一心に見続けている。
イーサンは気まずいものを感じながら――ジャンマルコがどれくらい手加減しているか分からないが、マクシムがケガしない保証はない――先ほどの話の補足をする。
ほとんど罪悪感から喋っていた。
「本当に『竜騎士』が『士』に入りたいとなったら、無条件で大佐待遇だよ。それくらいの能力はあるからな。世界最強の魔獣を仲間にできるチャンスなんだ。他の佐官たちで硝子の剣を奪い合うさ」
「……つまり、こちらの思惑は見透かされていたということですわね」
「そりゃ、本気で『士』に入りたがっていないことくらい分かっているさ」
「そうですか……」
ナタリアは言葉短く頷いている。
「ところで、イーサン」
「なんだ?」
「今、大事なところなので黙っていてください」
「なかなか厳しいな……」
ナタリアは手に汗を握っている。誇張抜きで血が出そうなほど握りしめている。何かを感知しているのかもしれないが、イーサンには分からない。
しばしの間。
息苦しさの我慢が限界に近づいていた時、ナタリアが口を開いてくれた。
「そういえば、イーサン」
少し皮肉を込め「黙った方が良いんじゃなかったのか」と軽口を叩く。
ナタリアはそれを無視して続ける。
「あなたはまだ見習いのはずですわよね? どうしてそんなに内情に詳しいのですか?」
イーサンは思わず息を呑んだ。
言葉を失っているとナタリアは淡々と続ける。
「実は少し前から不思議だったのです。見習いというにはあまりにも自由度が高いですし、子どもの頃からずっと見習いなのはさすがにおかしいです」
「、どうした急に」
「昔のワタクシでしたら不思議には思わなかったと思いますわ。ですが、基本的に見習いなんて忙しいに決まっていますもの」
ナタリアがそういう思考を持ったのはマクシム家での経験からだった。立場が下の者の労働力から搾取されていくのは自然なことだから。
イーサンは何か言い訳しようと思ったが、その前にナタリアは言う。
「まぁ、イーサンはイーサンなのでどうでも良いのですが」
「どうでも良いのかよ……」
「どうでも良くない方が良いですか?」
「いや……微妙だな」
信頼しているからある程度の秘密は許容する、ということだろうが、興味がないだけかもしれない。どちらも真か。
イーサンは少し考える。
そろそろナタリアにいろいろ打ち明けるのも良いのかもしれない。
だが、やはりイーサンとしてはナタリアに巻き込まれて欲しくなかった。
好きな娘の妹ということだけではなく、幼い頃から知っていて彼女が争い事に向いていないことは分かっている。
しかし、現実問題、もう『竜騎士』はナタリアだけなのだから、そんな理想論は通用しないのかもしれない。
――いや、マクシムが本当に『竜騎士』の伴侶として、竜を使役できるなら話は別か。
そうすれば、『案山子』について明らかにしても良い。そのくらい信頼できるし、協力体制も敷ける。
特異能力を元にした怪物的な実力よりも、竜に認められた存在という実績の方が評価は高い。
ただ、イーサンとしてはまだ半信半疑な部分があった。
そこを確かめたい気持ちはある。
この点において勝敗は重要ではない。
何故ならば、マクシムが独力でジャンマルコに勝つことは絶対に不可能だからだ。
それはマクシムが弱いからではない。
仮に『武道家』やイーサン自身であっても不可能に近い難題だからだ。
ただ、種明かしされてしまえば、非常に脆い『絶対』ではある。
――結局、マクシムがジャンマルコに勝つか負けるかで評価を決めろってことか。
勝敗は重要ではないが、その結果から推し量れるものは重要だった。
ややこしいが、簡単に言うと――これは信頼問題だった。
イーサンは自分でも、マクシムに勝って欲しいのか負けて欲しいのか分からなかった。
ただ、ふと思う。
これは全て決められていたのかもしれない。
ニルデがあんな状態になったことも、マクシムがナタリアと出会ったことも、ジャンマルコが『幻想境』に攫われたことも、全ては一連の運命なのかもしれない。
何か、大きな力が作用している気さえしている。
運命めいたものを感じていた。
「え……っ!?」
その時、ナタリアが驚愕の声を漏らしながら大きく目を見開いた。
何かがマクシムに起きたのか――と思ったら、それは勘違いだった。
彼女の視線の先、テントの外に一人と一匹がいた。
一人が気まずそうに笑いながら頭を下げる。
「あの、あはは、どうも」
一人はミッチェン・ミミック。
『案山子』ハセ・ミコトの人格を宿す、元『メイド天国』従業員。
苦笑いのような微妙な表情で不安そうに視線をさまよわせている。
そして、一匹は、
「そろそろ、決着がつく頃だろうぜ。タイミングはピッタリだな」
『W・D』。
特務大尉の地位にある黒犬だ。
どうしてミッチェンと『W・D』がこの場にいるのか、イーサンにも分からない。
そんな指示は出していなかったからだ。
明らかに『W・D』の独断専行である。
イーサンは言葉が掠れそうになりながら問う。
「『W・D』、どうして……?」
『W・D』はアッサリと答える。
「面倒くさくなったからだぜ」
「面倒って……」
「俺の推理通りならこれが最善手だぜ。俺を信じろ、頭領」
ナタリアが不思議そうに首を傾げる。
耳慣れない単語を聞いたとばかりにキョトンとしている。
「頭領……? どういうことですか、イーサン」
イーサンは内心で頭を抱える。ただ、一言。
「マクシムが負けたら全部教えるから――少し時間をくれ」
懇願するしかなかった。




