そして、誤算
マーラ・モンタルド大尉とディアナ・フェルミ大尉は、すぐに作戦行動を再開した。
ディアナは木に触れないように不定形の土人形を操り、マクシムへ近接させる。
マクシムの視線も外しているため、気づいた様子がない。
不定形の土人形は背後から音を立てずに近寄る。
マーラはタイミングを見計らい、一度深呼吸をして走り出した。音を立ててマクシムに接近。そして、叫ぶ。
「マクシム・マルタン! 降伏しろ!」
あえて見つかるようにして、ディアナの奇襲を成功に導く。
マクシムはマーラにすぐに気づいた。
「っ!? だ、誰?」
マーラに気づいて、そして、構えを取ろうとするが、明らかに戦闘職にある人間とは違う。腰が引けている。
遅いというよりも、躊躇いがあった。
戦闘移行の判断が遅い。
それは通常の生活を送る一般人としては悪いことではない。
非常時に動けるかどうかは訓練の有無もあるが、マクシムが善人であることの証拠でもあった。
そこで、マーラはリオッネロ大尉がリタイアに追い込まれたことを思い出していた。
おそらくその時に、マクシムは思った以上の反撃をしてしまったのだろう。
意図せぬ暴力は、振るった人間を臆病にさせる。
それは善良であればあるほど根深い。
マーラは武器を取り出さず、攻撃魔法の発動準備だけはしておく。
強風で痛打する魔法だ。
失神させる程度の威力に調整しておき、マクシムの注意を引く。
「君は別に『士』の人間じゃないんだよ! どうしてこの試験に参加したのさ?」
距離もあるし、この状況下だ。
マーラも別に返事を期待していたわけではない。
だが、マクシムは少しだけ考えた後、問いに答えてくれた。
「そ、それは、知りたい、ことがあるから」
彼の息は乱れている。
集中力を乱す策は悪くない。
「それは、あなたがどうにかしないとダメなことなの?」
「そ、そんなこと、僕がやるしかないことだから」
「あなた、まだ十代の半ばくらい? 別に『士』に入る必要なんてないでしょ。危険だしさ。死にたくないでしょ」
「死にたくはないけど……」
ディアナの土人形はもうマクシムの足元に迫っている。
この奇襲は決まる!
マーラはほとんど確信していた。
「この仕事、普通に死ぬよ。本当に危険なんだよ。君にその覚悟はあるの?」
「覚悟って……」
「分かってもらうしかないかな」
マーラはダメ押しをすることにした。
威嚇の意図で、最初にリュックに入っていた銃を取り出した。
弾倉に込められているのは失神させるための道具――非殺傷性のゴム弾だ。
こういう使い方ができるとは思っていなかったが、マクシムを無力化するには最適だった。
脅しの道具としてこれ以上はないだろう。
だが、マーラには予想外のことが起きた。
マクシムの顔が引き締まった。
それは覚悟を決めた顔だった。
「――覚悟、あるから」
「え」
「僕だって中途半端な気持ちでこんなことやってないよ。死にたくないけど、どうしても知りたいんだ。じゃないと、僕は、ニルデの死に関わっているんだし……止められないよ」
「何のことよ――」
――あ。
そこで、マーラは自分の失敗を悟った。
殺意を向けてはいけないとディアナに言ったのに、根本的なことを自分で分かっていなかった。
殺意なんて感知できる人間はほとんどいない。
皆無ではないが、本当に一部の達人だけだ。
それに、彼らは周囲の空気に敏感なだけだ。
他人の表情や周囲の畏怖などに反応しているだけ。
何故ならば、殺意に形があるわけではないからだ。
いや、感情は形にはならない。
形にするためには、モノにする必要がある。
そして、銃は最も殺意を形にしたモノだった。
銃は人を殺すための道具だからだ。
殺す意図などない脅しのつもりだったが、マクシムからすれば、殺しに来たと思ったに違いない。
殺されなくても酷い目に遭うことくらいは、話の流れから自然と考えるだろう。
マーラがゴム弾しか持っていないなんて彼は知らない。
ゴム弾を使うということが分かる信頼関係などマーラとの間にはないのだから。
事実、マクシムの顔には『殺される前に倒す』とあった。
人を殺す覚悟ではなく、戦う覚悟。
それを自覚させないことが最上の策だと理解していたのに、明らかにマーラのミスだった。
――失敗した!
だが、作戦は継続中だ。
止めることなんてできない。
タイミング悪く、ディアナの操っていた土人形がマクシムを襲い掛かった。
不定形の土らしい、捕獲するための動き。
マクシムは一瞬だけ動揺したようだが、すぐに顔を引き締める。
マクシムは怪物じみた能力の持ち主であるが――普通の少年だ。
普通の素人。
そして、普通の素人は玄人とは異なり、思い切りが良い。
一か八かの博打でも、素人の方が思い切った行動に出やすい。
手加減を知らないのも素人なのだから――全ベットを平気でしてしまう。
マーラの誤算は、マクシムが本当に普通の少年だったこと。
殴られれば殴り返す、そういう普通さが誤算だった。
その時、空気が鳴った。
ピシっと凍るような音。
そして、マクシムの周囲の樹々が、明らかに変わった。
マクシムを取り囲んで土人形も吹っ飛ばされるのがわずかに見えたが、それよりも先に強大なプレッシャーを感じて、マーラは後ろに飛び退った。魔法も発動させ、空気の反発で加速する。
その一瞬の動きだけがマーラを救った。
そうでなければ、既に彼女は敗北していただろう。
樹が、うねりながら動き出した。
+++
マクシム・マルタンは世界を滅ぼせる最初の人間種だ。
これまでも、その能力の一部は発揮していた。
だが、事実上、彼は身を守ることにしか使っていなかった。
攻撃も、身を守るための延長線上でしかない。
マーラたちはマクシムのことを怪物扱いしていた。
それは間違いではないが、正確でもない。
怪物とはとても言えないほど、マクシムには覚悟が足りていなかったからだ。
だが、その時、マクシムは本気を出した。
自らの意志で戦うための覚悟をした。
それは、世界を滅ぼせる、怪物誕生の瞬間だった。




