必死
――目の前には確実な死があった。
竜が物理的な圧迫感と共に空から降ってきた時、恐怖でマクシムは足がすくんだ。
巨大な影が近づいてくると思って顔を上げたら、汽車以上の質量と体積が降ってきたのだから腰を抜かさなかっただけ褒めて欲しいくらいだった。
牛や豚の数百倍、いや、下手したら数千倍の体積――その存在感だけでマクシムは圧倒されていた。
竜は巨大な刃物のような鉤爪のついた右翼を大きく振りかぶる。
それが振り下ろされる時に、マクシムは死ぬのだ。
マクシムは生まれて初めて死を意識していた。
そして、彼は走馬灯を見た。
+++
マクシムは田舎の農家で生まれた。
年の離れた姉と双子の妹がいるが、男子はマクシムだけであり、長男として大切にされていた。
両親に姉妹、それに曾祖母の七人家族。
良い家族で、良い家庭だったと思う。
もちろん、苦しいことや辛いことがなかったわけではないが、それよりも安心できることや楽しいことの方が多かった。
転機が起きたのは彼が五歳の時。
冷害で作物が大ダメージを受けてしまったのだ。
それはマルタン家のみならず、全国的に深刻な危機だった。
その時だった、マクシムが自分の才能に気づいたのは。
冷害に強い作物に作り変えることで、マルタン家は、いや、近隣の農家は例外的にその危機を乗り越えることができた。
マクシムは自分の能力を自覚していなかったし、だから、誰かに誇ることもなかった。
たまたま、冷害に強い作物を見つけることができた。
幸運なだけ。
能力に気づいたのは曾祖母だった。
曾祖母は言った。
「マクシムは、私の兄に似ているね」
「そうなの?」
「ああ、その能力は他人に言っちゃ駄目だよ? いや、家族にも内緒にするんだ」
「どうして?」
「んー、長年の勘ってやつだねぇ」
年齢の割に元気な曾祖母だった。
実際、老衰が死因だったが、寝込んだのは最期の3日間くらいで、ずっと仕事を手伝ってくれていた。
曾祖母は知っていたのかもしれない。
自分の兄、アダム・ザッカーバードが英雄たちに殺されたかもしれないことに。
人よりも特別な力の危険性に。
「じゃあ、僕はずっと内緒にしないといけないの」
「いいや、しばらくは私と二人だけの内緒だが……そうだねぇ。私が死んで、マクシムと同種の人間には教えることを許すよ。人と変わった才能がある、そして、それを大切にしている人」
曾祖母はただし、と付け加えた。
「その人が、あんたの友だちになれそうだったら、って条件は付け加えるけどね」
「んー、分かったよ」
実際、マクシムは曾祖母の言葉を守った。
彼はあまり考えるのが得意ではなかったので、素直に身内にも隠していた。
美味しい野菜を作るのが上手な子ども、あとは、見たこともない美味しい野草を持ってくる子ども――それくらいの扱いだった。。
もしかしたら、両親や姉は違和感を覚えていたかもしれないが、マクシムは特に気にすることなく暮らしていた。
自然体が故にマクシムは能力が発覚することなく、成長した。
街の学校に通っていた時にできた友だちやマクシムの婚約者(を自称する妹の友だち)にも内緒にしていた。
条件に当てはまらなかったが、それだけが理由ではなく、マクシム自身も確かに違うと感じていた。
友だちではあったが、同種の人間ではない。
マクシムはちょっと植物を操作できるだけではあったが――やはりゼロとイチは全然異なっているから。
ただ、あまり深く考えるのが苦手だったから黙り続けていた。
マクシム・マルタンは多分、何もなかったら、そのまま平凡に生きていただろう。
今回、曾祖母が漏らした「一回墓参りに行きたかったねぇ」という呟きがなければ、汽車に乗っての旅行もかなり先になっただろう。
タイミングも良かった。
姉と結婚して婿に入った義兄が非常に優秀な人で、効率的な販売戦略を立てた。
そもそも、美味しいと評判の農作物は、冷害・水害・虫害が問題なく対抗できるくらい進化していた。
マクシムは植物を美味しく変化させられるだけで、経営については完全な素人である。
だから、法人化し、もうマクシムはそれほど手伝わなくても済むようになっていた。
それでも、やはりマルタン家の一員として、美味しい野菜を作る暮らしを続けていただろう。
のんびりと暮らし、結婚し、子どもを育て、年老いてから死ぬ。
そんな暮らしが当たり前に続くと思っていた。
だから、彼は今まで一度も感じたことがなかった。
命の危機を。
だから、マクシムは思った。
強く、強く思った。
死にたくない、と。
+++
――死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない! いや、生きたい!
マクシムは竜の爪が振り下ろされるまでの、ほんの一呼吸にも満たない時間で決断していた。
転がるように倒れ、両手で地面を突き、草に全力で働きかけた。
巨大になれ。そして、頑強な盾になれ。
ただの雑草である。
それが、一瞬、一呼吸の十分の一に満たない時間で千年を超す、大木のように成長する。
それは一抱えどころではない。
見上げるほどの巨木になった。
そして、ただの草が成長しただけのはずなのに、靭やかで頑丈な木としての特性も備えていた。
さらに、まるで竜の鉤爪のヒットポイントをズラすように、わずかだが動いていた。
マクシムはそんなことができるなんて思っていなかった。
必死になって生きたいと願っただけ。
マクシムが成長させた巨木は、竜の一撃を見事に遮っていた。
それは『庭師』として、彼が覚醒した瞬間だった。




