蜥蜴人族の風習
籠が緩やかに速度を落としたのは、日が傾き空が橙色に染まりだした頃だ。
自然豊かな風景しか目にしなかったのでここがどこなのかは判別出来ないが、なにせ擬態を解いてからはさらに速度が増していた。
おそらく王国の中でも辺境の地なのだろう。
「エトゥス、着いたぞ。ここが我らの住む里だ」
ファブニルに手を引かれて籠から降りると、樹々に囲まれるひらけた場所だった。
地平に近い太陽の光は樹木に阻まれ薄暗いが、僕の目はあるものを見つけることが出来なかった。
そう、どう探しても建物一つ見当たらないのだ。
自然を目の前にして里だと言われても反応に困ってしまう。
「ファブニル、ここは里の入口?」
「いや、ここは里の真ん中だ。皆、帰ったぞ」
ファブニルの呼びかけに蜥蜴人族が集まって来るのだから里に間違いはないようだ。だが、暗さのせいかどこからどう現れているのかも分からない。
周りを取り囲んだのは30人ほどで、彼らは布切れのような服を纏っていた。
人間より少し大きめの体格で、全員無駄のない引き締まった体をしてるのは見て取れる。
ただ人間にしか見えないファブニルと違い、微かに皮膚に鱗が見えたり、体の後ろで揺れる尻尾が見えるのだが目の錯覚では無いだろう。
当たり前だが、ここは蜥蜴人族の住む里なのだ。
よく見ると年齢は様々だが子供の姿はあっても老人と呼べるような人はいない。
全員に共通するのはその表情。笑いもなく、怒りも怯えもない、つまりは無表情であった。
ファブニルの呼びかけで集まりはしたが、別段僕には興味が無いことが見てとれる。
「後ほど改めて紹介するが、我と婚姻を結ぶエトゥスだ」
「よろしくお願いします」
言葉に続いて頭を下げたのだが、蜥蜴人族からは何の反応も返ってこなかった。
ファブニルがすんなりと受け入れてくれたから忘れていたが、よそ者でしかない僕は歓迎されなくて当たり前なのだ。
「では婚姻の儀までゆっくりしていてくれ」
その場を離れていく蜥蜴人族を見ながら、僕は大事なことを知らないと気づく。
「ファブニル。婚姻の儀はいつ行うの?」
「日が落ちてからだ」
「そっか。日が落ち——ええっ!」
結婚までは秒読みだった。
決まっていたこととはいえ、勝手に準備期間はあるものだと思っていたのは僕だ。
それにしたって昼前に相手の種族を知り、絶望し、擬態に驚き神に感謝し、夜には結婚ともなれば、とてもじゃないが思考が追い付かない。
「着替えもある、我らが住む場所に向かう」
混乱した頭のまま後についていくと、20歩程でファブニルは足を止めた。
「ここだ」
「ここ?」
あたりを見渡してもやはり建物はない。
ファブニルの指さす先を目を凝らして見れば、少し盛り上がった地面に穴があり、微かな光が漏れている。
まぁ地下に建物を作る種族もいるだろう。
だが足を踏み入れても、穴の奥には人間が4人ほど座れる空間があっただけだった。
不思議なことに硬い土壁がほのかに光を放っているので薄暗いながらも室内を確認できたが、かろうじて厚手の布が敷かれている以外には何もない。
お風呂やトイレはもちろん、家具の一つも見つからなかった。ベッドがあるとは思わなかったが、まさか床にごろ寝とは。
だが、ここで動じてはいけない。これが蜥蜴人族の風習なのだと自分に言い聞かせる。
「これに着替えてくれ」
ファニブルから差し出されたのは何の変哲もない白っぽい布だ。
広げながらどう着たものかと考えていると、ファブニルはおもむろにローブを脱ぎ、見事としか言いようがない裸体にくるりと一回転させて布を纏った。
僕もそれに倣い、恥ずかしいながらも服を脱ぎ捨て布を纏う。
腰巻一つしてないため下半身の感覚が落ち着かないものになっているが、何事も慣れだろう。
ベルト代わりの帯を結び、僕とファニブルは硬い床に腰を下ろした。
「ねぇ、ファブニル。婚礼の儀ってどんなものなの?」
「婚礼の儀か? 婚礼の儀はここに住む者一人一人と会話をする。エトゥスは簡単な挨拶程度で十分だ」
「名前と、よろしくお願いしますって程度でいいってこと?」
「うむ」
良かった。そんなに堅苦しいものではないようだ。
異種族の婚礼のことは文献でも見たことがあるが、種族特有の舞を裸で踊れ(※小鬼族)とか、花婿の血を全員に吸わせろ(※吸血族)など、変わったものが多い。
人生で一度だけの婚礼の儀だ。変わっていた方が思い出に残るのだろうが、しなくて良いならその方がいい。
「会話さえ終わってしまえば最後に皆の前で性交して、儀式は終わりだ」
「最後にせいこうね……せいこう!?」
ファブニルはせいこうといった。
僕の知識とファニブルの知識がズレていなければ性交なのだろう。
自慢じゃないが僕にはまだ経験はない。
その知識は王族の教育として教わっているが、大勢の前で行うことを想定したものなど習ってはいない。
僕に教えていた山あり谷ありの女教師は興奮が大事と話していたが、あいにく僕に大衆の視線で興奮する性的嗜好はないと断言できる。
例え相手が僕の好みを体現したようなファブニルであってもだ。
僕は流れるような動きで地に頭をつける。
「勘弁してください」
その日、僕は生まれて初めて土下座をした。