君の二年を俺にくれ
再び籠に乗った僕とファブニルさん。
籠の中での張り詰めた緊張感は変わらないが、その性質はさっきまでとは真逆だ。もう僕の頭から食べられる不安は吹き飛んでいた。
むしろ違う意味で食べられたい。
さりげなく視線を横に泳がせる。
隣に座る恐怖の対象者は美しい女性に様変わりしていた。
そう美女だ。
緩やかに吊り上がった目は少々きつい印象を与えるが、まっすぐ通った鼻筋に薄い唇。茜色の長い髪は無造作に見えるが、神秘的な美しさを醸している。
僕の視線は徐々に下へと向かう。
ローブの隙間から見える男女の区別もつかなかった体は、確かな曲線美を描いていると想像するに容易い。
長耳族が痩躯の美しさなら、こちらは豊満な美しさである。
視線を戻すとファブニルさんと目が合った。
「驚かせたな。我らはあまり擬態に慣れていない。出来るだけ早くこの姿に戻りたかったが、擬態を解除するには広大な場所が必要だったのだ」
「擬態……ですか?」
「あぁ、古くから一族に伝わる習わしで、人族と接触する時はあの姿でなければならない」
僕も人族ですよと言いたいが、すでに蜥蜴人族の一員にされているとしておこう。
擬態の姿より今の姿の方がはるかにありがたいのだから。
「……この姿も本当の姿とは呼ばぬがな」
「えっ?」
ぼそりと呟かれた言葉をうまく聞き取れなかったが、ファブニルさんは「なんでもない」と会話を切ってしまった。
「そういえば、先ほどは話が途中だったな」
急に変身前の話題に戻したファブニルさんは流暢に喋りだす。
「我らは人間と比べて寿命が長い。個体数も少ないのに100年に1度も結婚相手を探していては一族の血が薄まってしまう。こちらとしては1000年に一度でも良いくらいだが、300年に一度と最初の取り決めで決まったはずだ」
「そうなんですか」
「うむ。エトゥスが知らないならば王家で引継ぎが途切れたのか、はたまた王家から逃げ出したい者のための隠れ蓑となったか」
なるほど。僕の考えでは後者の可能性が高い。
実際僕もミルカ姉上も蜥蜴人族が当たったら逃げ出すつもりだったし、もしかしたら王家から出たかった者や、王家にいられなくなった者の救済処置として使われたのかもしれない。
「ファブニル様の言う通りかもしれませんね」
そう答えると、ファブニルさんがずいと顔を近づけた。
美女の顔が接近するのも中々に威圧感があるもので、僕は反射的に頭を後ろに引いた。
「エトゥスは我と婚姻を結ぶ。様を付けたり丁寧に話す必要はない」
「あっ、はい。……うん。分かったよファブニル」
「うむ」
急に呼び捨てろと言われても難しいが、本人が望むのであればその限りではない。
なにより食材ではなく、僕はこの美女と結婚するのだから、もっと身近に感じる話し方に慣れるべきだろう。
しかしファブニル様……ファブニルは僕との結婚をやけにすんなりと受け入れている。
貴族なら顔も見たこともない相手と婚約、結婚となるのは珍しくもない話だが、ファブニルは貴族ではないし。
「ファブニルはその、僕との結婚は嫌じゃないの?」
「エトゥスは面白いことを言う。決められた約束に抵抗を覚えるなど一族の恥だ」
そうですよね。ファブニルの好意的な対応に、たまたま僕が好みだったとか都合の良い答えを期待してしまったが、どうやら一族の面子によるものだったみたいだ。
「我らは長寿ゆえか、人族が抱くような愛や恋とかいう概念が薄い。一族の結婚も歳の近い者同士が子孫を絶やさぬ為にするだけのものだ」
僕が落ち込んだのかと思ったのか、ファブニルは気を遣うように言葉を続けた。
「だが、幼き頃とはいえ、叔父と叔母の仲睦まじい姿は見ている。我も同じようになれるかは分からないが、エトゥスとの生活に期待してるぞ」
「ははははは、努力するよ」
自分でそう答えて笑ってしまう。
ファブニルの、蜥蜴人族の考え方は貴族に近いのかもしれない。
結婚を受け入れる受け入れないなど、僕の方がよほど幼稚な考え方に思えるほどに。
不安がないとは言わないが、僕はファブニルと結婚する。
性格の相性は分からないにせよ、蜥蜴だと思っていた結婚相手が美女なのだ。何の文句があるのだろうか?
僕が死ぬまであと50年としよう。
一生寄り添ったところで、長寿であるファブニルにとってはほんの僅かな時間でしかない。
そんな事を考えていると、ふと昔の事を思い出した。
『君の二年を俺にくれ。俺が一生分愛すから』
王都で流行った劇で、余命二年のヒロインに主人公が叫ぶ言葉だ。
姉上達に強引に連れていかれ僕も見たが、周りの女性たちがうっとりとした表情を浮かべていたのを覚えている。
おそらく自分をヒロインに当てはめて妄想を膨らませていたのだろう。
王族ゆえに恋愛結婚を望めない姉上達ですら、死ぬまでに一度は言われたいと言っていた。
思うに今の僕の状態も逆の立場ではあるが似ている。
きっと僕の一生などファブニルにとっては2年ぐらいのものだろう。
もし僕があの劇のようにファブニルにそう告げたら、恋や愛に薄いと言う彼女の心にも変化があるだろうか?
僕も少し妄想してみた。
いつしかファブニルが愛に目覚め、例えば僕が死ぬ間際、若く美しい姿のファブニルが耳元で囁くのだ。
『我にとっては短い時間だったが、我は一生分愛された。例えエトゥスの身が無くなっても、我の心はエトゥスと共にあり続ける』
妄想に口元が緩んでしまう。
それは勝手気ままな願望だ。
だけど二人で過ごす時間の中でファブニルがそう思ってくれるのなら、僕は彼女に一生分の愛を捧げる価値はあるのではないだろうか。
僕はファブニルを見て「覚悟しておいてね」と、とても小さく口の中で呟いた。