僕の伴侶は片言で
僕の意識は耳からの情報を遮断して、脱出計画を練ることに集中する。
5年前に小人族と結婚したジュリア姉上も、3年前に人馬族と結婚したゲイル兄上も7日ほどの結婚準備期間が設けられていた。
つまり残された時間は7日。いや、5日ぐらいと少なく見積もって考えておいた方がいい。
持ち物を選別して最小限にし、衛兵の見回り時間も再度確認しなくてはならない。
逃げる方向も重要だが、それにはこの先どう生きるかで変わってくる。
僕は兄弟の中でも多才だ。様々な言語は習得したし、手先も器用な方だと思う。武道も筋が良いと誉められてきた。
一芸に秀でてるわけではないが、どうとでも暮らしていける自信はある。
言語能力を活かして隣の国にでも逃げ込もうか、はたまた冒険者として名を上げようか。
その時、未来への妄想を膨らませていた僕を現実へと引き戻す残酷な宣告が耳に流れてきた。
「お前たちの相手がみえている。そのまま新しい生活の地に赴くことになるが、余はお前たちの幸せを願っているぞ」
——ちょっと待って!!
予想外の展開に僕は慌てた。
そのまま婿入りともなれば逃げだす時間がない。
フル回転で打開策を模索する僕を嘲笑うかのように、真横にある客人専用通路から扉が開かれる音が聞こえてきた。
意識は僅かに逸れ、別の考えが浮かんだ。
名前に惑わされて逃げ出すなど愚の骨頂。
蜥蜴人族といっても、もしかしたら腕に鱗があるとか、蜥蜴の尻尾が生えているだけで人と変わりない姿なのかもしれない。
淡い期待をもって横に顔を向けると、そこには長く尖った耳を持つイケメンとその従者、そして人間と同じ大きさの蜥蜴としか言い表せない一団が謁見の間に足を踏み入れていた。
——蜥蜴じゃないか!!
僕は心の内で叫んだ。
文献に【人間の大きさで二足歩行の蜥蜴】としか記せないわけだ。
全身を覆う麻色のローブに身を包んではいるが、その隙間から見える姿はどう言葉を選んでも大きな蜥蜴としか言いようがない。
どれだけ見ても性別すら判別できない蜥蜴姿だ。
想像以上のイケメンに、ご満悦な表情で再度拳を握りしめるミルカ姉上はすでに自分の世界に入っている。
長耳族と蜥蜴人族を国王陛下自らが出迎えたが、蜥蜴人族との握手の瞬間、僅かに顔を引きつらせたのを僕は見逃さなかった。
「ンデモルガ殿、ルシアハムア殿。よくきてくださった」
「これは国王陛下、お出迎えありがとうございます。古くからのしきたりとはいえ、今日のこの日が来ることを一日千秋の思いで待ち望んでおりました」
「コクオウモ、カワリナイナ」
片言!?
僕の伴侶(予定)は片言で、ンから始まる名前の蜥蜴でした。
言葉で意思疎通できるだけ良かったと思うべきなのか?
「さっそく紹介しましょう、息子のエトゥスと娘のミルカです」
僕の直感が知らせてくる。
ここでの第一印象が人生を左右する。
隣ではミルカ姉上は恥じらいながら上目遣いで優しげな笑顔を、僕はせめてこいつは無理とか言ってくれないかと顔の中心に力を込めて表情を歪ませる。
「初めまして、ミルカと申します。わたくし、ルシアハムア様に出会えた奇跡を神に感謝いたします」
「——これは失礼ミルカ様。貴方の美貌に一瞬言葉を失っておりました。美しいとは聞き及んでいましたが、これほどとは。私の方こそ神に感謝しなければ」
なにこのやり取り。イケメンは女心を掴むのもイケメンですか?
そもそも神様がいるのなら僕を助けてくれませんかね?
まぁ、義理の兄(予定)は世辞かもしれないが、姉上は本心から出た言葉だろう。僕だって結婚相手が美貌の長耳族なら嘘偽りない笑顔で言える。
だが僕の結婚相手は蜥蜴だ。
「エ、エトゥスです」
お花畑を咲かせる横で、僕はというと名前をいうのが精一杯だった。
蜥蜴人族の鋭い細く縦長の瞳孔が、獲物を捕捉したように凝縮する。
本気で怖いんですけど。
何を感じたのかンデモルガさんは無言のまま、先が二つに割れた長い舌を何度も口から出し入れする。
違います。違いますから。僕は食べ物じゃありませんから。
ほら、国王陛下。いや父上。「やはり息子を差し出すことは出来ん」と言うなら今ですよ。
しかしヘタレな父上がそんな言葉を発することはない。
「おぉ、ンデモルガ殿も気に入って頂けましたか。愚息ではありますが、よろしくお願いします」
「ウム」
ウムじゃない!
何か……状況を一変させる何かがあるはずだ。
だが無情にも時間の流れを止めることはできなかった。
捕獲しましたといわんばかりに僕の両隣に立つ蜥蜴人族の人達。
強い力で掴まれているわけではないのに、僕の両腕はピクリとも動かすことができない。
助けを求めるように僕は両親に視線を投げかけた。
少し困った顔の父上に、ニッコリと笑顔で手を振る母上。
終わった。
心の片隅では分かっていたが、誰も助けてはくれない。
半ば蜥蜴人族に引きずられるように出口へと近づいていく。
この扉を出れば僕はもう王族では無い。
さようなら父上、母上。さようなら兄上、姉上。
僕は蜥蜴人族の慰み者としてこの城を離れます。
「ちょっと待って!」
連行される僕を引き止める、叫びにも似た声。
僕は声の主を見てその名前を呟いた。
「……ミルカ姉上」
イケメン義兄上との世界に夢中だったはずのミルカ姉上は、顔を曇らせながら僕の元へと駆け寄って来た。
「エトゥスと、弟と少しだけ話す時間を下さい」
「イイダロウ」
蜥蜴人族の拘束が解けると、ミルカ姉上はギュッと僕にしがみつき耳元で囁いた。
「エトゥス、よく聞いて。私、自分が蜥蜴人族と結婚するんじゃないかって色々調べたの」
「えっ?」
おそらくミルカ姉上も僕が蜥蜴人族から逃れられないと分かっているのだろう。
だから多分、何かしらの助言をくれようとしている。
「いい、エトゥス」
「う、うん」
「蜥蜴は交尾の時に雄が雌の首や腕を噛むのよ」
「——へっ!?」
「私は噛まれる側だから想像だけで練習は出来なかったけど、エトゥスは噛む側だから一人で練習して。いい? 覚えておきなさい」
全く意味不明の助言だった。
えっ、ミルカ姉上、それだけ?
まるで姉としての最高の仕事を終えたようなすっきりとした顔をして、ミルカ姉上は自分の主人の元へと駆けていった。
呆然とする僕は再び蜥蜴人族に確保され、そのまま扉をくぐり抜けるのだった。