テレシーヌとの未来
結婚して4年。
僕は今、ベイカル伯爵の屋敷にいる。
別に離縁したとか、里を追い出されたわけではない。
ファブニルとは仲が良いし、竜人族ともうまくやっているが、実のところ大工道具を貰って以来、年に4、5回ほど僕はここに顔を出しに来ているのだ。
発端は新居が完成してお礼を言いに行った時のこと。
やはり何かお礼をと指輪を渡そうとする僕に、ベイカル伯爵が一つの提案をしてきたのだ。
彼には二人の息子と二人の娘がいる。
そのうちの一人に貴族の礼儀を教えてくれないかと。
それはあの時に部屋にやってきたテレシーヌ嬢のことだった。
最初は男と女ではお辞儀一つをとっても違うからと断ったのだが、堅苦しい教えではなくアドバイス程度でいいと言われ、最後は承諾する流れになってしまった。
掟のこともあるのでファブニルに話したのだが、どうやらご先祖様もたまに街に出ていたらしく、割とあっさり許可が下りた。教える相手が女性だとも伝えたが嫉妬する様子も窺えない。
信用されているのか、はたまた竜人族には不貞の観念がないのか、複雑な感情を抱いたのを覚えている。
もちろん僕にやましい気持ちはないと断言できるが。
「エトゥス様……どうでしょうか?」
「うん。きれいだよ」
清楚な白いドレスを身に纏ったテレシーヌは、僕の答えに満面の笑みを浮かべた。
この4年で彼女は随分と成長した。心も、体も。
「本当はエトゥス様にもご出席して頂きたいのですが」
「いや、さすがに僕がいるとね」
「もう、わたくしの一番のお願いですのに」
テレシーヌは来月、僕の又従兄弟にあたる公爵子息と結婚する。
その結婚式に僕も出て欲しいと言うのだが、王族を離れた身では色々と問題が出ると断っていた。
せめて婚礼衣装だけでも見せたいと、テレシーヌはベイカル伯爵を説得したらしく、僕の最後の教えの場はお披露目会へと姿を変えたのだ。
「もうお願いするような歳でもないだろうに」
「それは、まぁ、そうですけど。それとこれとはまた別なんです」
納得がいかないと眉間に皺をよせ、頬を膨らませるのは彼女の癖なんだろうが、見ているだけで口元が緩んでしまう可愛らしさがある。
「会って4年経つけど、テレシーヌのそういうところは変わらないね」
「4年ですか。ふふふっ。わたくしにとってはもっと前からのように感じますわ」
「まぁ、それは僕もだけど」
実際に会った回数なんて数える程度なのに、不思議と昔からの馴染みのように思ってしまう。
妙にうまが合ったのか、よく懐いてくれたテレシーヌを妹のように感じているからだろうか。
そんなテレシーヌの晴れ姿を見ながら感慨にふけると、僕の目頭が熱くなる。
「あれっ? エトゥス様、泣いてます?」
「な、泣いてない」
目元を拭いながら言う言葉ではないが、そんな僕の仕草を見て笑うテレシーヌの目も潤んでいた。
「ふふふっ。ドレスを汚すと怒られちゃいますので、ちょっと着替えてきますね」
部屋を侍女と共に出るテレシーヌを見送って、僕は自身の結婚の時を思い浮かべる。
ほんのつい最近の気もするし、随分と前のことのような気もする。
今の平穏な毎日では想像できない、とにかく目まぐるしい1日だった。
あまりにも予想外の連続で、テレシーヌに送るアドバイスは何も思いつかない。
しばらくしてテレシーヌは薄い青色のロングドレス姿で戻ってきた。
懐かしいそのドレスは、記憶違いでなければ初めて会った時に着ていたものに似ている。
何故か侍女を連れず一人で戻ってきたテレシーヌは机の上にお茶を置き、優雅なお辞儀を披露した。
「わたくし、テレシーヌ=グリウス=ベイカルと申します。今日はお話ししても大丈夫でしょうか?」
「エトゥス=ンデモルガです。もちろん大丈夫ですよ」
これはベイカル伯爵の紹介を受け、テレシーヌと改めて顔合わせをした時の言葉だ。
テレシーヌは記憶は色あせていないと示すように、僕と出会ってからの思い出を再現していった。
どこに隠していたのか焼き菓子を口いっぱいに頬張ったり、何度も練習した王国文字の美しい書き方をみせたり。
だけど思い出話がごく最近のものになる頃には、僕もテレシーヌも笑い方が変わっていた。
おそらくこうして話をすることはないのだと分かっていたから。
少しずつ会話に間ができ始めると、テレシーヌは僕でも分かるくらいの大きな息を吐き出した。
「ねぇ、エトゥス様。知ってますか?」
「何をだい?」
テレシーヌは微笑みながら僕の目を真っ直ぐ見つめてくる。
「エトゥス様がもしファブニル様と結婚なされてなかったら……わたくしと婚約してたんですよ」
「——えっ!?」
初耳のことに驚きはしたが、あり得ない話ではない。
異種族婚の歴史の中で、相手種族との折り合いがつかず延期となり、下の代での結婚になった事例を読んだことがある。
真相は分からないが、実際僕は長耳族と結婚し、ミルカ姉上が竜人族に嫁ぐはずが逆になった。
もしもの時に備えて、父上が目をかけていたベイカル伯爵の娘にと白羽の矢が立っていてもおかしくはない。
「ふふふっ。だからエトゥス様が初めてこの屋敷に来られた時、わたくしは無礼を承知でお茶を持っていきましたのよ」
「そうだったのか。でも見て落胆したんじゃない?」
今もそうだが、身なりも整っておらず王族には見えない風貌だったと思う。
怒られてまで見る価値があったとは思えない。
「はい。とても」
笑顔で答えられても、直接言われると心が痛い。
「エトゥス様と話せば話すほど落ち込みました。どうして……わたくしの結婚相手がエトゥス様じゃなかったのかな、と」
「えっ?」
それはある種の告白と同じだった。
僕の心に複雑な感情が入り混じる。
「もし、なんて想像するのも可笑しな話ですけど、エトゥス様と結婚していたら……わたくし、幸せだったと思います」
「買い被りすぎだよ。僕はそんなに立派な男じゃない」
「はい。知っています。涙もろくて、流されやすくて、お人好しで、でも優しくて、とても温かい素敵な人です」
「それは喜んでいいのかな?」
「はい。だからわたくし……絶対に幸せになってみせます。夢で見たエトゥス様との結婚生活よりも、エトゥス様とファブニル様との結婚生活よりも……絶対に幸せに……なっで……うぐっ、……みぜます」
泣き出したテレシーヌを思わず抱きしめそうになったが、僕は大きく息を吸って気持ちを落ち着かせると彼女の頭に手を乗せた。
「分かった。僕もテレシーヌに負けないぐらい、ファブニルと幸せになるよ」
「……負けませんよ」
顔をくしゃくしゃにしながら目一杯の笑顔を作るテレシーヌを、きっと僕は生涯忘れることはないだろう。
最後の別れをした僕はベイカル伯爵の屋敷を出て、ジョルグの待つ場所へと歩いていた。
テレシーヌの顔を思い浮かべ、僕は違う未来を思い描く。
叙爵と役職を得て王家を離れ、テレシーヌと結婚する。
きっと今とは真逆の忙しい毎日だろうが、きっと幸せな生活なんだと思う。
一緒に年老い、子や孫に囲まれる暮らし。
それは想像でしかないけど、今とどちらが幸せかなんて分かるはずもない。
でもこれだけは言える。
テレシーヌの言葉じゃないけれど、その想像の生活より今の生活の方が幸せだって言えるくらいになればいい。
だから僕は今すぐファブニルに会いたい。
会って抱きしめたい。
僕は前だけを見て駆け出した。




